7-4
「何でお前らこんなの持って来てんだよ」
休み時間、俺はクラスの女子が『たまたま』持って来ていたというミニドライヤーで、ズボン(もちろんはいたままだ)に温風を当てていた。
「女子はいろいろあんのよ。でもありがたいっしょ? マジで」
「しっかし、櫻井もドジだよねー、蛇口の水ひっかけるなんてさー」
「ね、ね、マジで間に合わなかったとかじゃないんだよね?」
3人の女子に囲まれてちょっとしたハーレム状態だったが、これじゃ見世物である。
助けを求めるように千鶴の方を見たが、大げさにあきれた顔をしてすぐに目をそらされてしまった。
キュンキュンし過ぎて寝坊するほどの素敵なおじさんと比べたりしてねぇよな。
いまの俺、1つも勝てる要素ないんだけど……。
「ちょっと櫻井、無視ー?」
「マジありえないんだけどー」
「ちょーウケるしー」
女子ってなんでこんなにキーキーうるせぇんだよ。母さんと千鶴もうるさいっちゃうるさいけど、なーんか違うんだよなぁー。
結局、この休み時間はズボンを乾かすだけで終わってしまった。千鶴と夢についてゆっくり話したかったのだが、人目のある教室で魔法が何だなどと話せるわけもない。
それに、まだ俺達が付き合い始めたことは誰も知らないのだ。
これが漫画の世界なら昼休みに屋上で……なんてイベントがありそうなものだが、残念なことに俺の通う学校では屋上を開放していない。
仕方がないので、この話題は放課後に持ち越すこととなった。
学校からの帰り道、俺と千鶴は並んで歩いた。
途中、俺が産まれる前からあるという大判焼き屋であんことクリームの大判焼きを1つずつ買う。コンビニの肉まんも捨てがたいが、すっかり顔なじみになった老店主とのやり取りが好きなのだ。もちろん、味も文句なし。
最近はとにかく「あんこたっぷり!」なものが多いが、多ければいいってもんじゃないと俺は思う。
ここの大判焼きはあんこの量も絶妙である。
「とうとう夢に出て来ちゃいましたかー。おじさんも待ち切れなかったのかな?」
そう言って、千鶴はクリームの大判焼きにかぶりついた。
「かもなぁ。どれくらいのレベルが合格なのかわかんないけど、まだまだかかるって思ったんだろうな」
「でもさ、ズボンがびしょびしょになるほど溢れさせることには成功したんでしょ?」
その言葉で教室内での嘲笑を思い出す。
せっかくの大成功なのにどうしてカッコよく決まらないんだ、俺は!
「まぁ、一応な。ちょっとカッコ悪い結果に終わったけど」
「あはは。でもさー、由香里がドライヤー持ってて良かったよね。あたしもこれから持ち歩こうかな」
「いや、千鶴は持つな、そういうのは」
「何でよー、身だしなみじゃなーい」
「いや……何つーか、そういうのは家でやって来てほしいんだよ。何かみっともないじゃん、電車の中で化粧するみたいなさ。恥じらいっつーか、そういうのが無いみたいでさ」
父に素顔を見せたくない一心で、鏡を使わずに化粧をしていた母を思い出す。
あそこまで徹底しなくても、それでもやっぱりそういう気持ちは持っていてほしかった。
「ぐふふっ、祥太朗って意外と古風だよね。見た感じはバリバリいまどきのヤングなのに」
ヤングって……お前は俺の母さんかよ。
「まぁ、冗談だけどね。荷物増えるの嫌だし。それにあたし、セットするほどの髪じゃないし~」
そう言って首を振り、さらさらとショートボブの髪を揺らした。
「あ、ねぇねぇ、あそこに噴水あるよ。あれで試してみてよ」
千鶴は10メートルほど離れたところにある大きめの公園を指差した。たしかに、その中央には小さめだが噴水がある。
「……俺、着替え持って来てないからな」
「……びしょ濡れは確定なんだ?」
「確定はしてないけどさ、もしものことがあったら風邪引くだろ。いま10月だぞ」
「じゃあ夏まで見られないのー? あ、それとも温泉行く? こ・ん・よ・く・の」
千鶴が大げさにウィンクしてみせ、その表情にどきりとする。
もちろん、混浴という言葉にも。
「……わかったよ、ちょっとだけな」
ちょっとだけ、なんて言ったものの、うまいことちょっとだけで止められるかはわからなかった。
噴水の前に立つ。
秋風吹き荒ぶ公園の、しかも噴水近くで遊ぼうとする子どもはさすがにおらず、通行人もまばらである。
水の中に右手を入れる。水温は思っていた以上に低く、軽く身震いをした。ゆっくりと目を瞑り、深呼吸をして考える。
この噴水への敬意と感謝の気持ちってなんだろう、と。
そういえばこの公園は俺が小さい時からよく来ていた。
夏の暑い日にはこの噴水で遊ばせてもらったし、大きくなってからも水が吹き上がる光景が好きで、それを見るためだけに立ち寄ったりもした。
すげぇお世話になったなぁ。本当に楽しかったよなぁ。その節は、お世話になりました。
何だか自然とそんな気持ちが湧いてきた。
「しょっ、祥太朗ぉっ!」
千鶴の絶叫で我に返る。
目を開けるとそこには、中央にある控えめな水柱の隣に、10メートルはありそうな巨大な水柱があった。
「――え? ぅええええぇぇぇぇっ? ちょ、ちょっとマジ、ストップ、ストップー! もう良いから!」
あわてて右手を引き抜く。
水柱は一瞬で水蒸気に変わり、周りの冷たい空気に混ざっていった。
しばらく俺達は放心状態だった。
「……見た?」
俺は、固まった表情のまま、千鶴に聞く。
「……見た」
同じく、固まった表情のまま千鶴が答える。
「すご……かったな……」
「うん……。ズボンは……無事?」
「あー……、ちょっと跳ねたかな」
「……」
「……」
「――ぷっ」
「あっははははは! あー、びっくりしたーぁ。すごいじゃん、祥太朗!」
「すごかったな、俺。でも、ここではあんまりやらない方が良いな、人に見られたら大変だし」
「そうだね。とりあえず、帰ろっか。夢の中でおじさんによろしくね」
「おう、披露してやんなきゃな」
公園からは手を繋いで帰った。右手はすっかり冷えてしまっていたので、左手にしたが。
「――よし、寝るか!」
まだ20時を回ったところだったが、少しでも長い時間夢の中にいられるようにと、もう寝ることにした。そのために今日は食後のコーヒーも止めたのである。
「明日は学校も休みだし、俺が自発的に起きるまで起こさなくて良いからな。アラームも切ったし」
こう言っておかないと母は休みだろうが何だろうがお構いなしに、定時に起こしにやってくるのだ。
「気合入ってるわねー、祥ちゃん。でも、出来ればお昼までには起きてきてね、ご飯の予定もあるんだから」
「わかったよ、お休み」
「お休み、良い夢を」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます