第6章 いだいなる天然の魔法使い
6-1
★★★
海で結婚式を挙げた2人は、日が傾くまで砂の城の中で過ごした。
夢のようなひと時を過ごしていたが、佳菜子は1つ気がかりなことがあった。世話になっている遠縁のオジサンのことである。厄介者扱いとはいえ、いきなり失踪となれば事件である。捜索願も出すかもしれない。この人(人と呼んでいいのだろうかという疑問はあったが)と一緒にいれば、見つかることはないだろうと思ったが、せめて一言、家を出ていく事くらいは伝えるべきではないか。
佳菜子は、砂の窓から沈む夕陽を眺めている魔法使いに向かって言った。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
「どうしたの?」
魔法使いは、身体ごと佳菜子に向き合った。
「あのね、あたし、家の人に何も言わず来ちゃったの。家の人って言っても、遠い遠い親戚のオジサンなんだけど、あなたと一緒になることとか、伝えなくちゃって思って……」
魔法使いは、拳を顎に当ててしばらく考えた後に、口を開いた。
「そのオジサンは君の親代わりということで良いのかな?」
とても真剣な表情だった。
「そうね。何だかんだ言って、ここまで育ててくれたわけだし、親代わり、ね。うん、そうだわ」
「わかった。僕に任せて」
魔法使いの力を持ってすれば、この海岸から佳菜子のいた家まで10秒とかからないのだが、彼女を連れてとなるとその速さは危険と判断し、オジサンの家に行くのは翌朝にしようということになった。
しかし、さすがに砂の城で一晩を過ごすというのは無理があったので(ベッドもあったが、やはり砂なので寝心地が最悪だったのだ)、ゆっくりと時間をかけて魔法使いの家に戻ることにした。
魔法使いの家はひっそりとした森の中にあり、当然だが人気はなかった。
もしかしたらいままでの優しい態度はすべて演技で、いよいよこの家の暖炉で焼かれてしまうのではないかとも少し考えた。佳菜子は、幼いころに読み聞かせられたおとぎ話の中の、恐ろしい魔女を思い出していた。ただ、その話の中では、暖炉で焼かれたのは魔女の方だったが。
でも、最後にもう一度海を見ることも出来たし、舟で空も飛べたし、砂の城で結婚式まで挙げた。もし、ここで死ぬんだとしても、思い残すことはないかな。
それでも少々身構えていると、魔法使いはそんな佳菜子を不思議そうに見つめ、温かい料理をどこからともなく運んで来るのである。これを食べたら死ぬのかしら、などと考えたりする。
「これ、あなたが作ったの?」
白米に味噌汁、それから焼き魚に煮物。ほかほかと湯気を立ててとても美味しそうだった。
「うん。材料はこの間、村の人がくれたんだ。火事を消したお礼だって。見よう見まねで作ってみた。美味しいかはわからないけど」
いただきます、と手を合わせて、味噌汁を一口すする。
「しょっぱい……」
――煮物は?
「甘すぎ……」
毒ではなかったけど、衝撃的な食事だった。
結局、まともに食べられたのはやや芯の残る白米と、少々塩を振りすぎた焼き魚だけだった。多少のまずさは目を瞑るつもりだったのだが、あまりの味につい正直な感想が口をついて出てしまったのだ。
「ごめんね。料理を作ったことなくて。僕、1人の時はそのままで食べてたから」
魔法使いはがっくりと肩を落とした。
魔法使いだからといって、何でも出来るわけじゃないのね。佳菜子は、明らかに年上のこの魔法使いのことをなんだか可愛いと思い始めていた。
★★★
「――わかる! わかります! ギャップ萌えですよね! おじさん、可愛い~!」
千鶴が目をキラキラさせながら母に握手を求めている。そして母も、それに力強く応えた。
「そうでしょう、そうでしょう? もうその瞬間、死ぬかもなんて考えてたのが一気に吹き飛んじゃったのよね~!」
「で? で? その後はどうなったんですかぁっ?」
興味深い話ではあったが、女性陣のテンションに1人ついていけない俺である。
良いのかよ父さん、この2人ほっといて。ほら、早く出て来て止めろって。
「それでね……」
★★★
「じゃあ、君はこの部屋で休むと良い。朝になったら起こすね。疲れただろうから、ゆっくり休むんだよ」
魔法使いは自分の寝室を佳菜子に与えた。自分の寝床などどうにでもなるのだ。夫婦になったとはいえ、人ならざる自分と、いきなり同じ部屋で寝るなんて、彼女が怖がるかもしれない。そう思ってのことだった。
「ちょっと待ってよ。あたしたち夫婦でしょ? 別々の部屋で寝るなんて変よ」
佳菜子は魔法使いの着物の袖をつかんだ。
「そういうものなのかい? でも……」
「妻が許可してるのよ。ほら、こっち来てよ」
佳菜子は魔法使いを強引に引っ張って、ベッドに座らせた。
「もう少し話がしたいの。一緒に寝るのが嫌なら、あたしが寝るまででいいから、もう少しお話しましょうよ」
「嫌じゃないよ。君が怖がると思ったんだ。君が良いなら、眠るまでずっとここにいるよ」
魔法使いは優しく微笑んだ。
「あなたの方が怖がりすぎよ。あたしが怖がることを怖がりすぎなのよ。もっと自分に自信を持ってどーんと構えてなさいよ。あなた『偉大なる』魔法使いなんでしょう?」
「怖がることを怖がりすぎ、か……。たしかに、そうかもしれないな」
「あなたはどうしてそんなに怖がられることを恐れているの?」
魔法使いはしばらく佳菜子を見つめ、そして、目を伏せて静かに話し始めた。
「僕は……君達と違うから。こうやって形は似せることが出来るけど、本物の人間じゃない。動物や植物になっても、風や水、炎になっても同じ。全部偽物なんだ。どんなに人の役に立っても、人にはなれない。君に出会う前、いろんな人に声をかけたんだ。でも、僕が魔法使いだとわかると皆離れていく。人の形をしていても、僕は偽物だから。君が離れてしまったら、また僕は1人ぼっちだ。それが怖い」
魔法使いは話し終えてからも目を伏せたままだった。
「だから最初に会った時『普通の人間です』なんて自己紹介したのね」
「ごめんね、嘘をついて」
顔を上げたが、その表情は寂しそうだった。
「あなたはとても正直ね。それにとても優しいし紳士だわ。偽物だって構わないわよ。あなた、あたしがいままで出会った人の中でいっちばん素敵よ」
そう言って、魔法使いの頬に唇をつける。
彼は一瞬面食らったように目を見開いて動きを止めた後、少しだけ首を傾げ――、
「――違う。僕が見たことがあるのは、こっちだった」
そう言って佳菜子の唇にそっと口づけをした。
そして唇を離すと、顔を赤くして固まっている佳菜子を見て再び首を傾げ、ぽつりと問うのだ。
「あれ? 間違えた?」と。
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