3-4

 家に着き、いつものように食卓に座るや否や、母さんはじゃんけんの構えを取った。これはおそらく、『どちらがコーヒーを淹れるかじゃんけん』だろう。話を中断させず、手のリズムだけでじゃんけんをする。


 俺はパー。

 母はにっこり笑顔で余裕のチョキ。


 あいよ、と言って立ち上がり、お湯を沸かす。沸かしている間にインスタントコーヒーの瓶から、母の分はスプーンに大盛り1杯、自分には摺り切り1杯を入れる。砂糖とミルクはどちらにも入れない。


「――で? じいちゃんの方から会いに来たの?」

「どうやら、そうみたいなのよね」


   ★★★


「あなたが、お父さんですか」


『いかにも。なかなか見つけに来てもらえないのでな。しびれを切らして、こちらから来てしまったのだ』


「申し訳ありません。まだまだ修行不足でした」


『そうだな。人間から使などと呼ばれて浮かれておるからだ』


「返す言葉もございません」


『しかも、嫁と子どもまでおるとは』


「はい。お父さんにお見せしたいと思っておりました」


『しかし、息子よ。なぜ人間と子を成したのだ。これでは半人前ではないか。どれ、私がどこか適当な人間の女の腹に入れてきてやろう』


 風は、部屋の中をぐるぐると回りながら次第に強くなり、渦を巻いて祥太朗との距離を狭めてきた。小さな祥太朗の身体がふわりふわりと浮かび上がる。


「止めろ! 僕の息子に触るな!」


 信吾は祥太朗をぐるりと取り囲んでいた風の渦に両手を突っ込み、彼に手を伸ばす。

 渦の中心の風は穏やかだったが、取り囲む風の壁は鋭利な刃物のようである。このまま引っ張れば祥太朗はこの渦に巻き込まれてしまうだろう。


 信吾は、祥太朗から手を放さなかった。かといって、そこから動かすことは出来ない。ならば、自分がこの中に入るしかないだろう。


 両腕がちぎれそうだ。でも、この子だけは、守らないと。


『お前には無理だ。手を放せ。人間との子など、魔法使いの子ではない』


「この子が僕の子どもじゃないなら、あなたはもう僕の父ではない! 消えろ! もう僕らの前に現れるな!」


   ★★★


「――で? どうなったの?」


 そう聞くと、母はゆっくりとコーヒーを啜り「わかんない」と言った。


「わかんないってどういうことだよ」

「だって、あたしにはお義父さんの声なんて聞こえないし。その日はとても良いお天気だったから、お外で洗濯物干してたのよね。そしたら何か家の中からものすごい風の音はするし、信吾さんも叫んでるしで、あわてて家に入ってみたら、リビングの中が台風なんだもの。びっくり過ぎて声も出なかったわよ」


 部屋の中で台風……。

 おいおい、俺、そんな中で寝てたのかよ。


「で、気付いたら風は止んでて、祥ちゃんは何事もなかったかのようにすやすや寝てるんだけど、信吾さんったら血まみれなのよ?」


 魔法使いでも自分の親には勝てないのかな。

 それとも俺がいたからか。やっぱり魔法使いでも血は流れてるんだな。


「で、何があったのって聞いて、やっと状況を理解したわけ。信吾さんはいつものように『もう大丈夫だよ』って笑うんだけど、こっちは穏やかじゃないわよ。だって、あたしと結婚したせいで親子の縁を切ったのよ? 探し続けてた親にやっと会えたっていうのに」


 それについては、俺のせいでもあるんだよな。そう考えると、胸が痛い。


「なぁ母さん。父さんと結婚したこと、俺を産んだこと、後悔した?」

「まさか! 後悔なんてするわけないでしょ。父さんだってそうよ。親だからといって、無条件に敬えるわけではないんだって言ってた。だから、自分は祥太朗に敬われる親にならないとなって」

「そっか……」

「そんな暗くならないでよー。世の中にはもっと険悪な嫁姑問題だってあるんだし、アンタは気にしなくていいの。まぁ、それっきりよ、父さんが大きな声をだしたのは。穏やかな父さんも素敵だけど、あーんなワイルドな父さんも素敵だったわねぇ」


 ――すーぐこれだ。

 まぁ、夫婦仲が良いのに越したことはないんだけど、これは夫婦仲の範疇に入るんだろうか。


「まぁ、でもさ、これで良くわかったよ。父さんも何かに紛れてるってことなんだな。どうやったら見つけられるのかってのは、やっぱり魔法がちゃんと使えないと駄目みたいだけど」


 そう言って、昨日今日の出来事を思い出す。いまの自分に出来ることは液体に塩味をつけることだけ。

 しかも、自分の身を削って……。


 こんなんで見つけられんのかよ。

 こりゃー本当に頑張らないと、マジで母さんが生きてるうちに会えねぇかもな。


「あれ、でもさ。さっきの話の中で、父さん、ずっと俺らといっしょにいた方が良いんじゃないかとか言ってなかったっけ?」


 空になったカップを持って立ち上がり、シンクに置いた。

 すると母も無言でカップを手渡す。どうやら彼女も飲み終わったようだった。


「そうなの。父さんはずっとあたしたちといっしょにいるつもりだったみたい。でも……。――ね、祥ちゃん、さすがにお腹空いてこない? 何だかんだであたしたちお昼食べ損ねちゃってる。この話の続きは何か食べてからにしましょ」


 話なんてここで食べながらでも出来るじゃないかと思ったが、色々疲れて作る気力がないのよーう、と年甲斐もなく喚くので、近くのファミレスへ行くことになった。まぁ、年甲斐もないのはいまに始まったことじゃない。


 平日の14時である。

 さすがに閑散としていたが、それだけに暇を持て余したウェイトレスが小まめに水を継ぎ足しに来る。こんな状況では、さすがに魔法が何だとかファンタジックな話は出来ない。


 仕方がないので、久しぶりに他愛もない学校での話をすることにした。

 途中、やけに勘の鋭い母から、千鶴とのことを追及されそうになったが、抜群のタイミングでウェイトレスが水を継ぎ足しに来てくれ、事なきを得る。


 結局、デザートのケーキまでぺろりと平らげて、俺達は店を出た。


「いまこんなに食べたら夜ごはんは軽くで良いよね」


 ぷくりと膨れた腹をさすりながら母が言う。


「止めろよ、それ。妊婦さんみたいだぞ」

「妊婦さんかぁー。なーっつかしーい」


 腹が膨れたので母は上機嫌だ。


 家までの道中も父さんの話題にはならなかった。母の『妊婦時代・苦労話』が始まったからである。やれ悪阻だ、腰痛だとジェスチャー付きで話してくれたが、その原因が自分だと思うと、何ともコメントしづらい。




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