3-3
病院からは歩いて帰った。
一応免許と車はあるものの、母は運転がめっぽう苦手なのである。
今回のような精神状態で運転すれば、事故はまず免れないだろう。
幸い、病院は歩いて20分程度だし、2時間の入院生活の良いリハビリである。
「父さんはさー、魔法使いすぎて具合悪くなったりしなかったの?」
車は多いが、通行人はほとんどいない。ここなら誰かに聞かれることもないだろうと思い、切り出してみる。
「ばっかねー、父さんがそんなやわなわけないじゃない。いっつも涼しい顔してたわよ」
「何かさぁ、飄々としすぎてぜんっぜん母さんとの生活とかもイメージできないんだよなぁ。普通に生活してたわけ? 飯食ったり、テレビ見たり、その、夜の生活? ……ってやつとかもさ」
「やっ、やぁーだー! 嫌らしいこと考えてー! それについてはアンタが産まれてるのが良い証拠でしょ!」
母はまたしても顔を真っ赤にした。今度はもちろん、別の意味で、だが。
余程暑いのだろう、パタパタと手で顔に風を送っている。
「いや、目みたいな感じで作れんじゃないのかなーって」
「だったらアンタ、この母の腹の傷はどう説明すんのよ。アンタ帝王切開で産まれてきたんだからね! よっくもよくもこの白魚のような肌に縦一文字の傷つけてくれちゃって!」
上着をめくり上げて傷を見せようとしてきたので、「さすがに外では止めてくれ」と制止した。
この母なら外だろうが何だろうがお構いなしなのだ。
「ごめんって、わかった。そこは信じるよ。でもさ、その他の部分は? 飯食ったり、テレビ見たり、夫婦の会話とかさ。絵本の口調だからか、何かそういう普通の人間っぽい感じが想像出来ないんだよな」
「まぁ、普通の人間じゃないからね」
そりゃそうだけどさ。
「まー、母さんの手料理は良く食べてくれたわよ。何作ってもおいしいおいしいって食べてくれるのよね。やっぱり愛かしらウフフ」
コメントしづらいので、そこはもう流すことにする。
「テレビは……そういえばあんまり見なかったわね。たまに見るのはネイチャー系の番組。ほら、サバンナとか北極とかをひたすら流すやつ。バラエティーとかにはあまり興味がなかったみたい。口調もだいたいあんな感じよ。穏やかーにしゃべるの」
穏やかに、か。そこは絵本のまんまなんだな。
「でも一度だけ大きな声を出したことがあったのよ。祥ちゃん絶対覚えてないと思うけど、生後半年くらいの時にね……」
★★★
その日はとても天気の良い日だった。
祥太朗は暖かな日の光が入るリビングのど真ん中で昼寝をしている。
こんなに気持ちの良い日なのに、信吾は浮かない顔をしていた。ぽっかりと口を開け、安らかな顔して寝息を立てている祥太朗を、真上からじっと見下ろしている。佳菜子はそれを不安そうに見ていた。
彼はもうじき姿を消してしまうのだろうか。彼の親がそうであるように。
ただ、魔法使いがいつ、どのタイミングで姿を消すものなのか、それは信吾にもわからなかった。何せ物心ついた時には、すでに親は消えていたのだ。
魔法使いとはそういうものだと、誰も教えてくれる人がいなかったので、人間や他の動物とは違って親というものは無く、自然とこの世に発生するのだと思っていた。
どうやらそうではないとわかったのは、人間のために魔法を使うようになり、『偉大なる』魔法使いと呼ばれ始めたころのことである。
ある時、失恋により心を病んだ若者が、村のはずれの廃小屋に籠って火をつけた。規模としてはさほど大きなものではなかったが、早目に消火するに越したことはない。それに気付いた彼は近くの川の水を運んで消火しようとした。川の水は水蒸気となって、また、天から降り注ぐだろう。それで返すつもりだったのだ。
次々と炎の中へ飛び込んでいく水達の中に、なかなか思い通りに動かない塊があった。
何かおかしい、そう思ったが、まずはそれ以外の水を使って消火に専念することにした。
炎が消え、一息ついたところで、先ほどの水の塊を探すと、それはどこにもない。
あれは自分の勘違いだったのだろうか。やはり、すべて使い切ったのであろうか。
そう不思議に思っていると、そよそよと吹く風の中に薄い薄いもやのようなものが見える。ひゅうう、ひゅううという風の音に交じって、ささやき声が聞こえた。
『――若造よ。誰の子かは知らないが、我が子より先に見つけられてしまうとはな。私も修業が足りぬまま親になってしまったか』
それだけを言うと、風に乗ってどこか遠くへ流れてしまった。
あれは、誰かの親だったのだ。
水の親? 風の親?
もしかして、自分と同じ、魔法使いの親なのではないか。
彼はそう考えるようになった。
この一件の後、大きな杉の葉っぱの1枚、広大な果樹園の中のリンゴ、そして湖や砂浜、日の光の中にも誰かの親はいた。
自分の魔法の力が強くなればなるほど、察知するのは容易いようだった。
そういうことだったのか。
ということは、自分にも親はいるのだ。どこかに隠れているのだろう。
そろそろ探しに行ってみようか。
でも、どうせなら、お嫁さんをもらって、立派にやっているところを見せたい。
子どももいっしょに見せられたらきっと喜んでくれる。いままで見てきた人間達は皆そうだった。
さぁ、こうしてはいられない。まずはお嫁さんを探しに行こう。
そして、佳菜子と結婚し、祥太朗が産まれた。
しかし、親はなかなか見つからなかった。さすが、偉大なる魔法使いの親、といったところだろうか。
浮かない顔をしていたのは、いつになったら自分の親を探し出せるのだろう、という焦りからだった。
祥太朗が何歳のタイミングで、自分は姿を消さなくてはならないのだろうか。
自然と消えてしまうものなのだろうか。
それとも、誰かからそうするよう告げられるのだろうか。
でも、誰から?
もしかして、自分の親から?
そう考えると、無理に探さなくても良いのではないかとも思う。
他の魔法使いのことはわからないが、自分は普通の人間と子を成した。息子は生粋の魔法使いではない。魔法を使えるようになるのかもわからない。であれば、自分のことを探すのは容易ではないだろう。
それならば、自分も普通の人間の親のように、ずっと妻や息子のそばにいた方が良いのではないだろうか。
その時、換気のために開けていた窓から、心地の良い風が吹いてきた。
その風はリビングをぐるりと一周、二周した。窓はもう一箇所開いているというのに、通り抜けようとしない。
「まさか、会いに来てくださるとは――」
★★★
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