3-2

 俺はベッドの上で目を覚ました。


 ここはどこだろう、と辺りを見回す。

 白い天井に、白いベッド。


 たぶん、ここは病院だろうな。ウチの学校の保健室には、壁にべたべたとポスターが貼られている。

 

 第一、点滴されちゃってるし。保健室にはさすがにそんな設備はないだろう。


 倒れたのか、俺は。

 そういえば朝飯食わなかったもんなぁ、今朝。

 貧血ってやつなのかなぁ。貧血って色白美少女のイメージなんだけど。

 なーんか恥ずかしいなぁ、俺。


 などと考えていると、スーッとドアが開いて看護師が入ってきた。


「――あら、気が付いたのね。いま、先生呼ぶわね。もうすぐお母さんもいらっしゃるから」


 そう言うと、彼女はまた出て行ってしまった。恐らく様子を見に来ただけなのだろう。


 やっぱり病院で間違いなかったな。


 看護師と入れ違いくらいに、母が飛び込むようにして入ってきた。自慢の長い黒髪がバサバサに乱れており、相当慌てて来たと見える。

 運動嫌いの母が息を切らし、真っ赤な顔をしているのは、正直かなり新鮮だった。


「しょっ、祥ちゃん! 大丈夫?」


 しかも、良く見たらうっすら泣いている。


 ――やばい、これマジで心配させちゃってる感じじゃん。


「今朝からおかしいとは思ってたのよ。朝ご飯も食べていかないし、何かぼーっとしてるし。病院から電話来て、もうもうびっくりして~!」

「大丈夫だって。まぁ座りなよ。母さんの方が大変そうだし」


 倒れた息子よりもパニックになっている彼女に、ベッドの脇にある簡易椅子を勧める。一体どっちが病人なんだ。

 母が椅子に腰かけたタイミングで、また、ドアがスーッと開いて、初老の男性とさっきの看護師が入ってきた。せっかく腰を下ろしたのにも関わらず、すぐに立ち上がらなければならない結果となったわけだが、それでも案外俊敏にお辞儀をする。


「気が付きましたか、祥太朗君。――ああ、お母さんですね。医師の井上と言います。脱水症状を起こしていたので、現在点滴をしています。もう秋とはいえ、若い人は活発ですから、汗もかきやすいでしょうし、油断せずに水分補給をすることです。それから、ただ水ばかり飲めばいいというわけでもありませんよ。きちんと塩分もとること。良いですね」


 井上医師はすらすらとそう言うと、丁寧にお辞儀をし、点滴後の流れを看護師に引き継いで退室した。

 点滴はあと一時間もかからずに終わること、その後、特に問題がなければ帰ってもいいが、大事を取って今日は家で休むようにとのことだった。


 看護師も退室すると、母は学校へ連絡して、会計も先に済ませられるか聞いてくる、と部屋から出て行った。


 1人になり、右手の指先を左手でさすりながら考えた。


 しょっぱくなったコーヒーとコップの水、脱水症状を起こした自分……。ということは、理由はもう、1つしかない。


 コーヒーや水がしょっぱくなったのは、自分の体内の塩分を使ったからだ。


 昨日(厳密にはもう『今日』だったと思うけど)、部屋で塩分を使いすぎたのだろう。水をこぼしても気付かないほどの深い眠り……あれも気を失ってただけなんじゃないだろうか。だとしたら、危ないよな。


 この夏もだいぶ暑かったから、テレビでは毎日のように熱中症の恐ろしさを特集していた。脱水症状を起こさないようにって、ウチの冷蔵庫にもスポーツドリンクが常備されてたし。重度の脱水症状は死ぬこともあるなんて、自分には関係ないって思ってたけど、めっちゃくちゃ関係あったじゃん!


 どうにか使いこなせるようにならないとな。

 ていうか、俺の魔法ってしょっぱくするだけなのか?

 っつーか、何それ?

 塩魔法? 何に使うんだよ!

 あぁ、塩分不足の人に俺の作った塩水を飲ませるとか? 自己犠牲も甚だしい! ていうか何か汚ねぇ!


「はー、お会計も先に済ませちゃったわ。後は帰るだけねー」


 のんきなことを言いながら、母が戻ってきた。いつもどおりに緊張感の欠片も無いような緩んだ表情で。


 アンタさっき息切らせて泣いてただろ。


「しかし、脱水症状ねぇ。あの後、ジョギングでもしてたの?」


 手には缶コーヒーを持っている。


「あんな時間にジョギングなんかするかよ。例のあれだよ」

「例のあれってなーによぅ」


 カツン、カツン。

 なかなか爪にプルタブが引っかからないようだ。母は深爪派で、爪先の白い部分がどうにも許せないらしく、少しでも伸びるとすぐに切ってしまう癖がある。

 そのせいで、缶ジュースや缶詰はもちろん、シールをはがしたり、床に落ちた紙切れ1枚を拾うのも一苦労である。

 だからだいたい俺が見かねて手伝うことになるのだ。


 例によって、俺が無言で手を差し出すと、にっこり笑って缶コーヒーを手渡してきた。


「コップの水、本当にしょっぱくなるのかと思って、試してたんだよ。――よっと。ほら」


 コーヒーを開けて、手渡す。飲みやすいように飲み口を向けることも忘れない。


「うふふ。ありがと。――で? なったでしょ、やっぱり」


 だいぶ渇いていたのだろう、喉を鳴らしてごくごく飲んでいる。


 でも、コーヒーってそういう飲み物だっけ?


「うん。途中まではね。やりすぎて倒れたみたいだから、最後の方どんだけしょっぱくなったかはわかんないけど。でも、やりすぎたら脱水症状だもんなー。あぶねぇな、魔法って」


 コーヒーを一気に飲み干すと、母はにやりと笑った。


「相当しょっぱいと思うわよ」

「何でわかんの?」

「朝干してきたんだけど、お布団、何か塩吹いてたから」


 いやいや、干してもさ、その布団って使えんの?



 

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