第二話 来訪者①

エレヴァルドの王都ナーダリッヒ。

その街を一望できる場所に、王城オルスワルト城は建っている。

白い外壁に水色の屋根の、テレビや写真で見たりするような――それこそ童話に出てくる「西洋の城」のイメージそのままの城の中庭に面した回廊をおれは未だにディーアに横抱きされたまま、兄様達がいると言う応接室へ向かっていた。


「……ね、ディーア。もう城内だしさ。」


いい加減降ろして、と掴んだままの彼の胸元の服を軽く引っ張るが、全く意に介さない様子で歩を進めるディーアに小さく肩を落とす。


この問いかけはもう三回目。

正直先程からすれ違う女中さん達や衛兵さん達の生温い視線が居たたまれない。


以前にも何度かディーアにこうやって運ばれた時。

同性婚が珍しくもなんともないエレヴァルドだからこそなのだろうけどおれとディーアがそういう関係だと城中の噂になって、お似合いですねとか応援してますと恋する乙女そのものの表情をした女中さんや侍女さんに言われたおれの気持ち、この男分かってないだろうな。

あの時も「人の噂などすぐに移り変わりますよ。」とか言って平然としてたし。


でもあの時、何より嫌だったのは……。


思わずジト目でディーアを見上げれば丁度おれを見下ろした相手と真っ正面から視線がぶつかった。


「……そんな顔をなさらないで下さい。貴方としては一臣下で男の私と噂になるのが嫌なのでしょうが、もうすぐ応接室ですので。」


ふっと僅かに眉を下げたディーアに息を付く。


……分かってない。


「……男だとか関係ないし、ディーアと噂になるのが嫌なんじゃなくて。俺のせいでディーアが下世話な事、色々言われるのが嫌なの。」


そう、おれの方は大した事じゃない。

一応これでも第五王子。

女中さんや侍女さんを除けば、その件で大いにからかいも含んだ詮索や下世話な事を言ってきたのはまさかの身内の兄様達ぐらいだったけど、ディーアはそうもいかなったらしい。


「……知っておられたのですか。」


「ユオ兄様が教えてくれた。あまりに度を越したのにはリヤン兄様が動いてくれたって事も聞いてる。」


微かに見開かれたアイスブルーの瞳にそれだけ告げるとおれはぽすりとディーアの胸に上半身を寄りかかせる。


「……あのさ、確かにおれはまだ十二才で、あと三年経たないと成人の儀も済ませられないような子どもだけど。でも、おれの知らないところで大切な近侍に無礼を働かれるのは腹が立つし、何よりがそれをおれに内緒にしていた事が一番ムカついたんだけど?」


最後だけわざと威圧的に告げれば見開かれた瞳がすぅっと細められた。


「――それは失礼致しました、エオル様。ただ私の事はともかくとしても噂話とは言え、あまりにも度を越した物言いは貴方を侮辱した事と同義。ユオ様達のお力をお借りしたのはそのためです。」


「……それこそおれの女顔とかについてでしょ? いいんだって、あんなの言わせておけば。もう慣れてるし。でもディーアを悪く言われたり、ディーアが嫌な思いをするのは嫌。……お前の主はおれなのに、全然頼ってくれないし。」


「そうですね、なら貴方が私に黙って城を抜け出さないと誓約して下さるなら、考えます。」


「誓約!? てか、またその話掘り返すの!?」


さっき散々謝ったじゃん!と声をあげれば暴れないで下さい、とよりしっかりと抱え直される。


「……エオル様。人の噂など移ろうものです。貴方が先程仰ったように言いたい奴には言わせておけばいい。……それに、俺も貴方となら噂になっても吝かではありませんので」


「――え」


「ディーア様!!」


最後にぽつりととんでもない事を言われた気がして慌てて顔をあげた瞬間、背後から聞こえてきた声とバタバタというこちらに向かって駆けてきている足音にディーアがおれを抱えたまま振り返った。


「えっ!? エオル王子!!? し、失礼致しました!!」


その瞬間、おれより少し年下くらいの見習い用の衛兵服に身を包んだ葡萄色の髪と瞳を持つ少年が目を真ん丸に見開き、つんのめるようにしてその場に跪いたのを見て思わず苦笑する。


うん、おれ抱えられてたしパッと見じゃ分からなかったよな。


「いいよ、ヴェテル。気にしないで。あとディーア。本当いい加減降ろして。」


「っ、は、ハイ!」


「嫌です。」


「『嫌』っ?!」


「あ、あの…………」


名を呼ばれ弾かれるように顔をあげたヴェテル・ライマンが俺達のやりとりにさらに目を丸くしながらも恐る恐ると言った感じで口を開く。


「エオル王子、どうかされたんですか?」


「……あーーうん。ちょっとね……」


「歩けないくらい左足を捻挫されているのに、自分で歩くと言って聞かないだけです。」


「ディーア!!」


「ところで、ヴェテル。俺に何か用だったんじゃないのか?」


「あ、はい!」


誤魔化すように笑ったもののぴしゃりと言い切られ、思わずディーアを睨み付ければ「それなら治癒魔法を……」と不思議そうな顔をしていたヴェテルがディーアの言葉に慌てて姿勢を正し返事をする。


「ヴェテル、俺相手にそんな畏まらなくていい。」


「……え? で、でもディーア様はエオル王子の近侍で、貴族であらせますし……」


どこか不安げにちらりと確認するように此方を見るヴェテルにおれもまた苦笑して一つ頷いた。


「うん、あってるよ。ディーアは、王家と千年以上交流があるって言われてる名家・ベルンハルト公爵家の三男だし。でも、確かライマン家も貴族だよね?」


「いえ、お……私の家は貴族は貴族でも下級ですから。」


そう言って顔の前でぶんぶんと振ったヴェテルがハッとしたように慌てて口を開く。


「あ、そ、それでですね。今、ラノ・イェーリス様がオスルワルト城にお見えになられてるんですよね?」


「ああ。」


「それを聞き及んだという市民の女性が、どうしてもイェーリス様にお会いしたいと城門のところに来ているんです。それでどうしたものかと……」


「その人の用件は?」


「はい。病気の子どもを治して欲しいと。その子どもを抱えて来ているんです。」


「……そっか。」


ラノ・イェーリス。

彼はラニケルド大陸随一と謳われる大賢者だ。

膨大過ぎる知識と経験。属性や種別を問わず最高位で全魔法を使えるというすでにチートという言葉じゃ収まりきらないくらいチートな彼は、かなり気まぐれで神出鬼没な事でも有名である。


……まあラノ程とはいかなくてもチートに収まらないチートはここにも一人いるんだけど。


「エオル様?」


ちらりとディーアを見上げれば、少しだけ怪訝そうな顔をしたディーアがおれを呼ぶ。


「……ううん。何でもない。」


でも、ラノを頼ってきたという事はその子どもはナーダリッヒの医者では手の尽くしようがない重篤な状態の可能性が高いと言うことだろう。


……それだけ分かれば理由としては十分だよね。


「……分かった。その女の人を城門の中にいれてあげて。」


「――エオル様!!」


咎めるような声音が耳朶を打ち、改めてディーアへと向き直り彼のアイスブルーの瞳を見つめる。


「お待ち下さい、そのように軽々と城に外部の人間をいれるのは危険です。その女性の身元も分かりませんし、もしかしたら全て演技で王や王族に仇なそうとする者という可能性もあります。」


「そんな……っ!!」


「――うん、分かってる。だから城の建物の中には入れない。でも城門の内側までならいいでしょ? それにヴェテルが呼びに来たって事は騎士団、今城に戻ってきてるって事だよね? なら騎士団の内から二人、その女の人について貰う。これで大抵の事は対処出来ると思うから。……どうかな?」


ディーアに反論しようとしたヴェテルを制してそう提案する。

おれだって突発的に城を訪れた外部の人間を城に入れるリスクくらい分かってる。


実際、過去に何度かディーアが危惧しているような事があったし。

……全部食い止めたけど。


それでもまだどこか渋い顔のディーアに苦笑しながらその眉間に寄った皺を伸ばすように指先で撫でる。


「……これはおれだけじゃなくて、兄様達やそれこそ国王だって言うと思うけど。病気の子どもが――民が苦しんでいるのなら放ってはおけない。ラノなら何とかできるかもしれないってのも事実だろ? それでももし万が一が起こっても、大丈夫だって」


「…………それが一番の不安要素だ。」


そう言って笑いかければ最後の言葉はともかくとして、根負けしたらしい彼がおれを見て深く息を吐き出した。


「……ありがとう。なら、ヴェテル。今おれが言った事を門番兵と騎士団に伝えてそうして貰って?」


「わ、分かりました!! ありがとうございます、エオル王子!!」


ぱぁっと顔を輝かせ、一度深く頭を垂れたヴェテルが素早く立ち上がり元来た道を走っていく。


「あとディーア、ラノを……。」


「私がラノ様をお呼びしにいくのは構いませんが、貴方はどうされるつもりですか? エオル様」


被せるように言われうっと言葉に詰まったおれにディーアが再び深く息を吐き出した。


「俺としては、貴方にはそのままリヤン様達と共に応接室にいて欲しいところですが。」


「ッ、それは駄目! 敷地内に外部の人間をいれる許可を出したのはおれだから、何かあったらおれが対処しなきゃ!!」


咄嗟に答えれば、そう言うと思ってましたと呟いたディーアがくるりと体を反転させる。


「……ディーア?」


「なら、このまま我々も城門へ向かった方が早いでしょう。少し急ぎますからしっかり掴まっていて下さい。」


「う、うん。あ、でも、肝心のラノを……」


「それなら問題ありません。『彼』に行ってもらいます。」


そう言うと口の中で低く召喚呪文を詠唱したディーアがピュウ、と短く口笛を吹く。


瞬間彼の影がゆらりと歪み、中から一匹の幻獣が姿を現した。

体長は三メートル程。体の上側は青みがかった灰色、下側は白色のふさふさした被毛を持つ狼に似た闇に属する幻獣、フォンルーコスだ。

そして『彼』はディーアと契約を交わした召喚獣でもある。


「……リューナ。」


小さくディーアが『彼』に与えた「名前」を呟けば、リューナがその深い海の底を思い起こさせる青い瞳を細めおれの左足にそっと鼻先を押し付けた。


「えっ!?」


「リューナにもバレバレのようですね、『大丈夫か?』と聞いてますよ?」


呆れたようなディーアの声にリューナへ視線を向ければ、どうやらその通りのようで心配げにくぅー……んと鳴かれてしまった。


「……うん、ありがとう。リューナ、大丈夫。もうそんな痛くないから。」


「……という事は先程までは痛みが強かったという事ですね。それで降ろせなどとよく言えたもんだな。」


「…………だって……。」


思わず唇を尖らせて呟けば、俺を抱えるディーアの手に力が篭る。


……ああもう、何かおれどんどん墓穴掘ってる気しかしない。


「……とりあえずこのまま城門へ向かいます。リューナ、お前はラノ様を城門へお連れしてくれ。」


ディーアの言葉に了解、というようにリューナがそのふさふさの尻尾をぱたりと一回振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る