昨日と今日、職員室で

 コックリさんを実行する前日の放課後、葵は職員室の花井のもとを訪ねていた。訪問の理由は個人的な相談事だった。花井は、今年大学を出たばかりで生徒たちと比較的年齢が近い事もあり、他の教師よりも話しやすい印象があった。大人と子供の線引きをはっきりとさせる教師とは違い、生徒と同じ立場で物事を見られる数少ない教師だった。

 葵は、口にしづらい内容の相談をしていたために、真っ直ぐに花井を見ずに目を泳がせていた。ふと、花井のデスクの上の紙の束に目が止まる。こんなに親身な先生でも、デスクの上は意外と乱雑に物が置かれているのだなと葵は思った。

「なるほどね。あまり生徒の私情に口を挟むべきではないのだけれど、悩み事を抱えたままでは勉強も手につかないものね」

「それで先生、私どうすれば」

 不安な表情を見せる葵に花井は答えた。

「さっき教室に行ったのだけれど、そこで面白い物を見たの。きっとうまく利用できると思うわ」

 何を言いたいのかわからないでいる葵に、花井は顔を近づけて続けた。

「いい作戦があるわよ。やるかやらないかはあなた次第だけれど」

 そう言った花井は、口角を片方だけ上げて意味深な笑みを浮かべていた。




 下駄箱を後にした良太は、一階から順に校舎内を回り葵の姿を探した。まだ下校せずに残っている生徒もいるなかで葵の名前を叫ぶ事はためらわれたので、声は出さずに、その分見落としがないようくまなく探していた。

 田んぼだらけで、住民の半分が農業を営んでいるのではと思われる田舎町に建つ岡留高校。市内に高校が少なく、広い地域から多くの生徒が集まるため、その校舎は数年前に増築されており、田園が広がる風景の中でこの広大な校舎は圧倒的な存在感を漂わせていた。そんな校舎内を全て見て回るとなると、それなりに時間と体力を消費する。それは当然良太にとっても例外ではなく、心拍数がいくらか上昇した良太の額には、汗が粒となって廊下の窓から差し込む光を反射させていた。ついに校舎を一周した良太だが、結局葵を見つける事はできなかった。良太は残りの可能性に賭けて職員室を目指した。

「花井先生」

 職員室の扉を開け、良太は花井のデスクに向かった。

「ああ、国分良太君。成果はどうだったかしら?」

「校内にはいるみたいなんですけど、見つけられませんでした。放送の方はどうでしたか?」

「放送はしたのだけれど、栗田葵さんは現れなかったわ」

 期待が外れたと気を落とす良太に花井が提案した。

「きっと女子トイレにいるんじゃあないかしら。あなたさすがにそこまでは探していないでしょう? 先生が見てきてあげるから、あなたは教室に戻って自分の机を片付けて待ってなさい。あの紙を誰かが見たら気味が悪く思うわよ」

「……わかりました。先生、よろしくお願いします」

 良太は自分の無力さにため息をついた。

「そんなに心配しなくていいわよ。男の子でしょう? しゃきっとしなさい」

 そう言って花井は良太の背中を叩いた。バチンという音に数人の教師が何事かと二人の方を見る。慌てて花井が「すいません、何でもありませんので」と周りの教師に頭をペコペコ下げた後、また良太に向かって話し始めた。

「ところで国分良太君。あなた、ひょっとしてコックリさんに、栗田葵さんと結ばれるかどうかとか聞いたんじゃあない?」

「どうしてそれを……」

「わかるわよ。人生の先輩を舐めないでちょうだい」

 そう言って花井は得意げな顔をした。

「とにかく私が言いたいのは、答えがイエスだってノーだって、そんなものは所詮紙の上ではたった十五センチの違いよ。そんなもの人間本気になればいくらでも乗り越えられるわよ。肝に銘じておきなさい」

「は、はい。ありがとうございます」

「わかったなら行きなさい」

 花井の言葉を受けて、良太は職員室を後にして教室へと向かった。

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