序章4 理想を追う

 ――久しく袖を通していなかった私服に袖を通す。純白の襦袢、濃紺の長着、黒の袴、長着と同色の羽織、黒の外套の順で着付けていく。軍服と比べるとやや肌寒いが耐えられないほどではなく、外でも難無く活動出来るだろう。

 輸入ものの革長靴ブーツを履き、最後にアナスタシアから贈ってもらった桜の眼帯を付ける。


 自室を後にすると宗一と藤ノ宮がやけに深刻そうな面持ちで話し込んでいるところに出くわした。赤を基調とした振袖姿の藤ノ宮はこちらに気付き、それに山高帽を被ったいかにもハイカラな出で立ちの宗一も続く。


 ……少し間が悪かったか。だからといって今更部屋に戻るのも何か違うと思い務めて平静に挨拶すると、藤ノ宮は花の顔ばせを咲かせて、


「深凪様は一皮剥けられたようですね」

「あー、おう……俺、結婚することになった」


 改まって言ってみるとどうにも気恥ずかしいのだが、長いこと共にいる腐れ縁に言わずにいるほど薄情者にはなれなかった。二人は「ほう」とか「まあ」とか零した後揃って笑顔で祝ってくれた。


「運命とはどう転ぶかわからんものだ。よもや悠雅が皇女と結婚するとは。それもあのロマノフ家の皇女なんてな……」

「最初はどうなることかと思ったものですが、あの方であれば大丈夫ですね」


 こうしているとアナスタシアに敵意を見せていた頃が懐かしいな、なんて思う。これもあいつの人柄のおかげだろう。


 竹馬の友の優しげな眼差しに少し恥ずかしさが込み上げて、だから、ちょっとした意趣返しにと口角を釣り上げつつ「ところで二人揃ってどちらまで?」なんて茶化してやると宗一は凍り付き、対照的に藤ノ宮は笑みを深くした。でも、その笑顔は余りにも屈託が無くて、底冷えする笑顔で、否応なしに何かあると予感させた。


「お前と同じだ。実家に帰るんだよ。向こうにも連休の事が伝わってたみたいでな。わざわざ迎えを寄越してくれた」


 そう言って宗一が指をさす先には重箱のように光沢のある黒が映える蒸気四輪モービルを停車しているのが見えた。


「そうか……まあ、あれだ。がんばれ」


 俺にはこんなことしか言えない。この二人が愛し合う事を良しとしない人間が彼らの実家には多い。そのせいで宗一なんかは頑なに本音を明かさない。皇国人はみだりに愛を語る人種ではないが、時折藤ノ宮の寂しそうな顔を見ると胸が痛むのだ。

 とはいえ、宗一の気持ちもわからぬでもない。家の人間からしたら宗一は間男に他ならず、宗一自身それを理解しているからこそ決定的なことを口にしないと決めている節がある。迂闊なことを口走れば自分だけでなく藤ノ宮にも飛び火しかねないから。


 大貴族という物は自由に恋愛さえできない。それはこの二人に限らず、現在藤ノ宮の正式な婚約者となっている宗一の兄であり、間宮家の次期当主になることが約束されている間宮修哉まみやしゅうやにも言えることで。


「――どうしたの、三人とも。こんなところで固まって」


 と、そこに二つの影。アナスタシアと瑞乃の二人組だ。


 アナスタシアはいつか購入した薄紅色の長着に濃紺の袴を纏っており、さながら明け色を背負った天女の降臨にさえ錯覚してしまいそうだった。


「やっぱり似合うな、それ。……明るいお前に、ぴったりだと思う」

「……ありがと」


 アナスタシアは僅かに顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。恥ずかしいのはわかるが顔を逸らさないで欲しい。大体、淑女がめかし込んでいたら感想を述べるよう言ったのはお前だろうに。


「はいはいはい、朝から砂糖吐かせないでくれませんかねー」


 アナスタシアの艶姿に見惚れているとそこに瑞乃が割って入る。


「やめてくれませんかね。ひとり者にこの空間はただただ厳しいんですよ? わかります? わかりませんよね。ああ、ただでさえ昨晩は思い人と恋敵の初夜を補助してやったりとイライラしているっていうのに。小此木さん――じゃなかったアレクセイ殿下だってこの場にいたら似たようなこと零しますよ? こう、渋い顔して「ああ、砂糖吐きそう」ってね。というかアナスタシアさんもアナスタシアさんですよ。あの時仰ってたように気持ちはわかるし、ああでもしなきゃ悠雅さんがどこかに飛んで行ってしまいそうな気がしたのは同意します。だけど、だからと言って、朝起きて私の部屋にいきなり駆け込んできたと思ったら「私、結婚するから!!」ってなんですか。心臓止まるかと思いましたよ。妙に頬がつやつやしてるし悠雅さんから一体何を搾り取ったんでしょうねぇっ!! 長い? 知ってる!! ごめんね!! でもまだ続くから!! それで初恋の人は未だに私の師匠兼姉替わりだった人に想いを伝えられずに、うだうだうだうだうだうだ!! 私がなんで貴方と姉さんのことを応援しようと思ったかわかりますか? わからないですよね!! そもそも私がこんなこと口走ってる理由すらわかりませんよね!! 私が貴方を好きだったのはとても小さな頃だったし、誰にも言わずに胸に秘めて来ましたからね!! 話が逸れました。ともかく、貴方は誠意という言葉を学びなおして下さい。男ならはっきりしましょうよ。姉さん泣かせたら承知しませんよ? それはそれとして姉さん!! 貴女も貴女です。姉さんはなんで何も言わないんですか? なんで何もしようとしないんですか? 宗一さんにせっつくばかりで自分からは何もしないで事態が好転することばかり祈ってる。イライラするんですよ以前の自分を見ているみたいで!! 欲しいなら自分で動かなきゃダメなんですよ!! 貞淑にしてるだけじゃ全部零すんですよ!! 私みたいになりたくなかったら動け!! ハリー!! ああもう、何がイラつくって私がもうすでに全部手遅れだってことですよ!! わかってます御四方!?」

「とりあえず落ち着きなさい瑞乃」


 ぴしゃりと鈴を鳴らすような声で藤ノ宮がぜえぜえと息を切らす瑞乃の額を扇で小突く。そうして彼女は「確かに」と前置いて、


「瑞乃の言う通りかもしれません。私の方から働きかけてみましょう」

「おい――」

「それ以上口答えは許しませんよ、宗一さん。私にも女としての矜持という物があります。いつまでも男の後ろに隠れている女が貴方に相応しいとは思えませんし」

「やめろ、やめてくれ。今まで耐えてきたのが意味を為さなくなる。それではお前の未来が鎖されかねない」

「こんな時は“上等だ”、と返してあげればいいんですよね? 深凪様、アナスタシア様」


 目配せして問う彼女に俺とアナスタシアは首肯で返す。その返答に藤ノ宮は機嫌よく笑って、


「その程度で鎖される未来など願い下げです。確かにこれまで貴方が耐え忍んできたことを想えば水疱に帰すと思うでしょうがそんなことはないんです。貴方が耐えてきてくれた時間の分だけ私達の想いは育ったのですから。ほら? 育っていなければ己の全てなど賭けるなど言い出さなかったはずですよ」


 その言葉に宗一は言葉を詰まらせる。藤ノ宮は基本男を立てる奴だ。とりわけ宗一に対しては特にそう。宗一に対して、反発することなどまずない。だが、彼女は今理想を掴むために宗一に立てついた。そのやり方では理想には届かないと言わんばかりに。


「どうなっても知らないからな」


 頭痛でもするのか眉間を抑えて宗一は嘆息する。だけど、そう言いながらもどこかその顔は晴れやかだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る