序章2 離れぬように
「――その封印について心当たりがある」
報告の為に執務室を訪れた俺達に彼女はそう返してきた。
「二日程待って貰えるか?」
二日も、だと? 思わず奥歯を噛んだ。端的に言って意味がわからない。事ここにきて二日も空けるという選択肢は俺の中にはなかった。
「なんだ不服か?」
どうやら顔に出ていたらしい。だが、正直大佐の言う通り不服だった。そんなに時間がかかるなら俺が力づくで開いてもいいような気がしたのだ。
「この三週間近くで四層目から一気に七層まで降りることができたのだ。予定が想像以上に縮まっている。それにこれでも特急で用意するのだ、少しくらい待ってくれ」
待つ。待機。それは俺が今最もしたくない行為の一つだった。入退院を繰り返しているのだから休んでなどいたくない――そう思ってしまう。こんなにも気が急いているという時だからなおさらに。
なんだったら俺だけでもいい。なにかさせて欲しかった。立ち止まったら、また爺さんの背中が遠退きそうで堪らないんだ。
しかし、大佐は曲げてはくれなかった。ある種の冷たさを帯びた声で命じる。“待機せよ”、と。
「悠雅。今のお前は見るからに余裕が見えない。丁度いい、御陵殿の元に一度帰ったらどうだ? あれから碌に挨拶をしていないのだろう?」
「それは……そうだけど、」
「鉄は熱いうちに叩けという言葉があるが、今のお前にはもう必要ない。刀だって熱いままでは刃を研げぬだろう。少し身も心も冷やしてこい」
爺さんからまだ英雄の域に達していないと言われたようなものなのに、俺に鍛錬が必要無いだって? 馬鹿を言うのも大概にして欲しい。
燻る思いを抱えて執務室を退室した。皆が各々自室に向かって行く中、進める歩がどこか重かった。皆もなんで大佐に詰め寄らないんだろう? 俺達の使命は逢魔ヶ刻の征圧だろう? それがあと一歩だっていうのに。どうして?
不意に手を握られた。そちらに視線を向ければアナスタシアがいて、その隣には瑞乃がいる。
「私たちのこと、見えてますか?」
瑞乃の問い。真意はいまいちよくわからない。一先ず額面通りにその言葉を受け取って、俺は首を縦に振って答えることにする。この答えは間違っているに違いない、なんて確信を持ちながら。
「見えてるぞ。左目は失ったが、ちゃんと右目は見えている」
やはり、と言うべきか俺の返答は瑞乃、ひいてはアナスタシアにも満足してもらえるものではなかったようだ。彼女達は揃って視線を落とした。一体なんだというのか? どう答えるのが正しかったというのか?
一人困っているとアナスタシアはぐいと顔をあげて俺を鋭く睨みながら、
「瑞乃、頼みがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「今から楔を打つわ」
「……言わんとするところはなんとなく察しましたが、それを私にやらせるって鬼ですか、貴女は?」
「貴女なら私の気持ちがわかるでしょ。お願い」
この二人は一体何を言っているのだろうか? アレクセイとのあの戦い以降、やけに仲良くなった二人は俺を置いてきぼりにするみたいに話を進めていく。
「わかりました。宗一さんは任せてください。ただ隊長さんのことは期待しないでくださいね」
「ありがとう」
瑞乃は軽くため息をつくと「酷い貧乏くじを引かされた気分」なんてぼやきながら自室に入ろうとする宗一の元へと駆けていった。
すると、すぐに当の宗一が俺を、そしてそれから流れるようにアナスタシアへと視線を移して、すっと頭を垂れた。
「……行くわよ」
宗一が頭を下げた理由を考える間も無くアナスタシアは俺の手を引いて、何の躊躇も無く俺の部屋に入る。暗がりの中ひたすら困惑し続ける俺に不意打ちみたく彼女は唇を重ねた。それも深く、深く。
鼻孔から脳みそに向かって甘い匂いが駆け抜けて、口内に侵入してくる舌が俺の舌を絡めとり、唾液が何度も
雰囲気とか、情緒とか、そういったものが介在しない獣の如き乱暴な口付けに思考が徐々に痺れていく。やがて、口を離した彼女は熱い吐息を零してこちらを見上げた。
紅潮した頬を見せた彼女は俺の体を寝台に向かって押し倒すと自身の衣服を乱暴に脱ぎ捨てる。
薄暗い部屋の中、うっすらと浮かび上がる色素の薄い肢体は絵画の中からそのまま飛び出してきたようでどこか現実味が無い程に美しい。
思わず見蕩れていると彼女は俺にのしかかり、馬乗りになりながら今度は俺の衣服まで剥ぎ取りにかかる。
「……何のつもりだ」
この後及んで何をするつもりかどうかはわからないとは言わない。ただその意図が知りたかった。だけど彼女は答えようとせず、先の俺のように額面通りに問いを受け取って、正当すべくやけにあっさりと、
「見てわかるでしょう? アンタを抱くの」
なんだその返答は。益荒男か何かなのか? 男らしいにも程がある。
「俺は、今したくない」
「関係ない。アンタは今から私に抱かれる。アンタをここに釘付けにする」
「急にどうしたんだよ……お前、おかしいぞ」
「――おかしいのはアンタよ!!」
それは張り裂ける悲鳴のようだった。しんと、布団の衣擦れする音すら失せて部屋に静寂が訪れる。
窓から馬鹿に明るい月の光が降りてきて、蜂蜜色の長い髪がまぶしかった。大きな瑠璃色の瞳が一際潤んで、その視線、真っ直ぐ射抜くみたいに。
「……今なら私、アリョーシャの気持ちがわかるよ。私は今、貴方を英雄にしたくない」
頭が真っ白になる。なんで? どうして? 疑問する言葉がグラグラと沸いて来る。
「なんでお前までそんなこと言うんだよ……!!」
「貴方をこのまま放っておいたら、貴方はきっと、私の手の届かないところに行ってしまう。私にはそれが耐えられない……!!」
「行かないよ。俺はお前とこの国を守る剣になるんだ。俺は死なない。俺は天津神になったんだ。死ぬまでずっと一緒だ」
「人で無くなったことを誇らしげに語らないでよ!!」
頬に鋭い痛みが走り、自分が
「私は
それは、人と神が一緒にいて良いとか、悪いとか、そういう小難しい話ではなくて。もっと当たり前で、気の持ちようとか、心の在り方とか、身の振りように近い意味を孕んでいる。
今、俺が生涯の伴侶に選んだ女が自分と俺の
ああ、こんなに嬉しいことは無い。俺はなんという果報者なんだろう。それなのに、俺は彼女をまた泣かせてしまっている。馬鹿な俺に付き合わされたばっかりに。だけど、
「――だけど、それでも俺は歩みを止めない。故に、繋ぎ止めよう。生涯離れることのないように。俺はお前に俺を刻む。だから、」
「わかった。それなら私は貴方に私を刻むわ。この愛が、
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