第三章7 空廻り往く、天ノ鳥船
「主砲、
瑞乃が一言呟いて、主砲から極太の熱線が瞬いた。紙一重で砲身に雷撃を加える事で主砲の軌道を切り替える事ができた。それでもその余波だけで体は船の
幾何学的な建造物が並ぶ地平線の彼方に着弾したそれは夕日か朝日か何かみたいに世界をオレンジ色に染めてみせた。
やり過ぎだ。いくら何でも。人がいないから良かったものの、これが表だったらどれだけ死人が出たと思っているのこの子は?
「返して、私に……あの人を……」
「…………、」
憎悪に揺れる目は、最早きちんと物事の正邪を見極められぬほど濁っていた。
……正直に言うと、かなり堪えてる。アリョーシャに続けて、瑞乃にまでこんな目で向けられるとは思ってもみなかった。
でも、ようやくはっきりした。スッキリした。彼女がなんで怒っているのか、どうして泣いているのか、やっとわかったから。それと同時に――ムカついた。どうしようもないほどにムカついた。
ああ、頭に来た。こういうの、この国ではなんていうんだったっけ? ――ああそうだ、怒髪天だ。
「何? 私がアンタから悠雅を寝取ったとでも? 私の男がアンタから私に乗り換えたとでも? 浮気をしてたとでも? あのバカがそんな器用な真似が出来るとでも?」
ミーチャにラスプーチンに続いて今度はアンタ? 私と悠雅が打算と欺瞞に満ちた関係だと勝手に決め付けて。…………どいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつも!! 私と私の男を愚弄して!!
「覚悟なさい」
バチバチと青白い雷光がクォデネンツの切っ先から迸る。第一階梯の
あの時、悠雅がウラジミール准将と激突した時、彼は何合も持ちこたえて見せた。あの時彼は負けはしたけど、それでも戦う事が出来ていた。
現状、あの時と今の状況は似ている。違う所があるとすれば、瑞乃が現人神に至ったのがつい先日のことであったこと。彼女は本人の資質のみで第二階梯に至ったけど、力の使い方がなってない。
同時に彼女の祈りは聖遺物の創造であると同時に船という概念の強化。これほど巨大な戦艦を強化する祈りが、燃費がいい筈がない。
ガス欠を狙えば私は勝てる――――――なんて、普段の私なら考えるでしょうね。
だけど、生憎、今の私はイラついてる。
「完全勝利してやる」
真正面から叩き潰す。そして、宣言してやる。あのバカは私のだと。
『ふふっ、正気? 流石にあのサムライに毒され過ぎじゃない?』
「正気かどうかと問われれば私は否と答えるわ」
大天使になった時点で、私はとっくに気が狂っているのだから。こんな力、気でも触れなきゃ使える訳がないでしょう?
『そうね、愚問だったわ』
彼女はせせら笑いではなく、本当に楽し気に、からりと笑って、
『武運を、
青と黄の光舞う。
「散雷砲、
機銃のような形をした、火器から弾が放たれる。鉛の弾丸じゃない。空に轟く雷光を無理矢理弾丸にしたようなもの。それが散弾としてばら撒かれる。
それは私の雷光を容易く貫通して私の足元に着弾、爆破。
だけど、怯まない。おかしな話。さっきは弾丸の雨を前に恐怖していたというのに。彼女の放つ弾丸が雷光に変わったから? 慣れ親しんだ光と音だから安心した? いや、それは違う。
多分、心構えの話であろう。何が何でも勝利して、あの子の横っ面ぶん殴る。平手打ちなんて生ぬるいもので済ましてなどやるものか。
「対地兵装、
空に浮かぶ、この光の船の甲板に仕掛けられた無数の砲門が独りでにばくりと開き、砲門と同じ数だけの閃光の槍が天空へと舞い上がったかと思えばそれが一斉に雨の如く降り注いだ。
私は治癒の力で無理矢理再生能力と体力を上げながら全霊を込めて雷撃の槍を真上の閃光の雨に向かって放つ。
「直撃さえしなければどうにかなる――」
誰に対して言ったのか。多分、そう自分に言い聞かせていたんだと思う。直後、視界を白と黄色の光が埋め尽くした。その中でひたすら激痛に耐えながら、暴虐の嵐を耐え忍ぶ。
やがて煙が晴れる。それと同時に目が慣れた。あちこち擦り傷と火傷ができていた。だけど、五体満足。この程度の痛みなど――。
「副砲、
冷たい声が目の前で響いた。目と鼻の先に砲口があった。私のよく知る円筒型の砲身じゃない。なんだろ、これ。箸を真横に置いたみたいな――というか、列車のレール……みたいな? よくわからない。
そのレールの内側で恐るべき電流が流れているのがわかった。同時に、クォデネンツや衣服についた金具が引っ張られているのを感じる。これは……磁力? それが恐るべき速度で回転し始める。何をしているの……?
ごどん、重苦しい音。無慈悲な音。
だめだ、と本能が告げる。あれは防げないし、避けれない。脆弱な大天使如きが智天使に挑んだ罰だと言わんばかりに。天に近づこうとしたイカロスの蝋の翼を溶かし、彼を大地に叩き付けた太陽の如くレール型の砲身が唸りを上げる。
――ここで死んでなるものか。悠雅は私のものだ。私の命はアリョーシャのものだ。
『歪んでいるわねアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ』
そんなこと、言われずとも知っている。だけど、それでもいい。私はそう生きると前から決めていたのだから。遥か西の、聖都ヴァチカンから逃れ出てから――いや、家族の処刑を聞いてから。ずっと。
そう、だから、私は今ここで死ぬわけにはいかない。瑞乃にこの命をくれてやるわけにはいかない。
祈れ。深く、深く、深く。あの子にできるのなら私にだってできるはずだ。できなきゃ、それまでの女だったってこと。
祈れ。祈れ。祈れ、祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ祈れ――。
ここで限界を越えなければ死ぬ。
――私の意思は、私の想いはここで終わるほど弱くない。ならば、結果を以って証明なさい。アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。
「くっ、ぁはぁっ――」
熱い吐息が零れる。高密度の魔力と祈りが全身の血液を沸騰させているように思えた。神経には電気が走って、痛みを感じる。全身の細胞が、ぐらぐら、ぐらぐら、揺れて、蠢いて、ゆっくりと反転していく。そんなイメージ。
『……嘘でしょう?』
驚嘆に満ちた、宝剣の声が、薄ぼんやりと聞こえて、私は、私の知らない
「――私は愛おしい。あなたと別れなければならないこの運命を私は呪う。運命は酷薄であり、常に私たちを睥睨している」
砲口を前に零れ落ちる祈りの言葉。
詠唱とは何か? 祈りの象徴であり、祈りの神威を顕すもの。で、あるならば、
「度し難い神威に私は堕とされた。私の祈りは踏みにじられたのだ。ならば良し。私は這い上がろう。高みに坐すあなたに牙をむこう。例え、理に反したとしても」
この祈りはきっと、今までのような綺麗なものじゃない。
「――
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