序章7 ジェレヴェンコ
結論から言うと、かの呪物――
しかし目録に無いのは本当に驚かされた。あんな場所に置き去りにされていた
『八色雷鳴か……私はどうにもその呼び名が慣れない』
というと
『それもしっくり来ない』
これもしっくり来ないとなると、もう一つ、名前があったような……? 横文字の……なんといったか?
『アル・アジフか? 確かにそうとも呼ぶが、やはりあれは忌まわしき魔導書・ネクロノミコンと呼ぶべきであろうよ』
横文字に未だ慣れぬ身故にその辺りの違いがいまいちよくわからない俺だった。
『伊達に永く生きておらん。知識には一過言ある』
然様でございますか。流石神産み系神器様で。
『貴様やはり私の事をそこはかとなく馬鹿にしているだろう? その辺り一度きちんと話し合うとしようか』
馬鹿にはしていないんだがなぁ。……ただちょくちょく口うるさい
『貴様がアホ過ぎるからだろうが』
喧しいわ。
「——ごめんね、付き合わせて」
不意に、傍らを歩いていたアナスタシアが謝罪してきた。
時刻は午後三時。あれから四時間と半刻。昼食も摂らず本に齧りついた事と大幅に予定していた時間を越してしまった事に対する謝罪だろうか。
「気にするな」
そういう意味では俺も同罪だった。時間が迫っているにも関わらず、必死そうな彼女の横顔を見て、言い出せなくなったんだから。やはり、俺は彼女に甘い。これは断じて優しさではない。それだけにこれは彼女だけに非があるわけではないと断言する。故、その分を取り戻さねばならない。
そろそろ走らねばならないか、バスを待っている余裕はない。地面は雪でぬかるんでいるがそれはもう致し方無い。急いで寮に戻らねば会議に間に合わない。
「——っと、すまない」
少し急ぎ過ぎていたようで周りが見えていなかったらしい。正面から歩いてきた男とぶつかってしまった。外套を被っていて、よくわからないが青い瞳と明るい赤毛、そしてその色白の肌から白人だという事はわかった。
しかし、妙にふらついている。こんな明るい時間から酒を煽っている……訳でも無さそうだ。足を悪くしているのか?
「大丈夫か? 日本語わかるか? 歩くの手伝うぞ?」
雪の中では危なかろうと思い手を差し伸べるも男はそれを頑なに拒否する。すると、アナスタシアが、
「ジェリー?」
「……っ」
その言葉に反応したのか、男がピクリと震える。余程動揺しているのか瞳が右往左往と揺らいでいるのがほんの少しだけ見えた。
「知り合いか?」
「ええ、彼は【ジェレヴェンコ】。アリョーシャ――弟の友人だったの」
皇太子アレクセイの友人ということはこの男、露西亜人か? そう疑問している内に、
「
男は何か叫ぶと俺を思い切り押し退け、右足を引きずって走り去ってしまった。未だ日露戦争の記憶が色濃い中、露西亜人がこの国にいる事はかなり危険な行為であり、有体に言えば居る意味が余りない。つまり彼は、この国に何かをしに来た、ということになる。露西亜人と言えばあの露西亜帝国軍の残党が思い起こされるが、先ほどの男もひょっとして残党の人間だったのだろうか? ……逃がしてはいけなかったかもしれない。
「……ジェリーがなんでここに?」
小首を傾げて横目でアナスタシア見て、思わずボロりと嘆息を零してしまいそうになる自分がいた。
よく考えたら、身分的にもっと危険な人間がここにいたんだった。ほんと、なんでこいつここにいるんだ? いや理由はわかっているし、知ってもいるんだが。そうではなく、本当に、本当に、何でここにいるのかと。酩酊状態から一気に素面に戻ったみたいに急に冷静になったらこの少女が平然とこの国の街道を
……そのお陰で、アナスタシアと出会う事ができたんじゃないか、と言われれば俺はもう何も言えなくなってしまうが。
「悠雅、ごめん」
「わかってる。追いかけるんだろ? 俺も行く」
「ありがと」
そうと決まれば善は急げである。あの足とこの雪ならばそう遠くには行けないだろう。とは言え、この皇都は広く、建物が乱立しているから
……いや、待て。あの男、右足を引きずっていたな。であれば、
「……ある」
無数の足跡に紛れてわかりにくいが何かを引きずった跡が雪上に残っている。これを辿れば追いつける。アナスタシアを伴い直ぐに追跡を開始する。痕跡を踏み潰される前に、急ぎつつも、見落とさぬように慎重に。
しばらくそれを辿ると男はどうやら上野駅の方に向かっているようだった。列車に乗るつもりなのか? 皇都を離れるのか、或いは更に中心、東京駅に向かうのか、どちらにせよ列車に乗られると厄介だ。もう少し急ぐ――
「――あァ?」
路地裏に入った時だった。突き刺さるような視線があった。その数は六、いや七か。それが囲うようにこちらを見つめている。
「よう、クソガキ」
行く手を遮る様に正面にそのうちの一人が現れる。
「そっちの女を引き渡してくんねえか?」
するどい目つきと隆々とした筋肉。大きな体だ。頬には掠めたような銃創。どう考えても堅気じゃない。チンピラやゴロツキ、いや銃創まで行くとヤクザ者か。面倒くさい。本当に。
背後にはぞろぞろと六人、俺とアナスタシアを挟み撃ちにするみたいに。
「ったく……急いでるから適当に丸めるぞ」
「わかった」
正面の大男が逆上して何やら汚い言葉を吐き散らしながら突っ込んで来た。余りアナスタシアの前でそういう汚い言葉を使ってもらいたくないんだが。いや、彼女が女だからとかそういう意味ではなく、こいつ、覚えて使い出しそうだからだ。
異国から来たというのに流暢な日本語を使いこなす辺りアナスタシアは本当に頭が良い。一度聞いただけで大抵のものを覚えられるし、なんやかんや博学だし。
『自分の女をよくそこまで褒めちぎれるな。そんな事を考えてて無様に負けるなよ?』
問題ねえよ。
奴はどうやら現人神の様だが、戦闘については完全にずぶの素人だ。轟と風を突き破って太い腕が頬を狙ってくる。だが、一丁前なのは音だけで、随分とろい。僅かに体を傾けるだけで回避出来る。男の顔が酷く驚いた様に目を丸くしているのが見えて呆れ返りそうになった。あんなに大振りで当たるものかよ。
俺ですらここまで見切れるとなると爺さんや姉ちゃんだったらこの時点でこの男はぶっ飛ばされているだろう。俺だと――今からになるが。
ほぼほぼ一直線に伸び切った右腕を掴み、合気の法にて思い切り投げ飛ばす。合気は相手の力が強ければ強いほど強力になる。現人神ほどの膂力を利用すれば――
「がはっ――」
男は空中にて高速回転した後思い切り地面に叩きつけられた。さらに、駄目押しとばかりに思い切り拳を落としてきちんと意識を刈り取っておく。後の連中はただの人間だ。軽くシバくだけで済む――と、振り返ると眩い閃光が視界を焼いた。
視界が晴れるとそこには地面を舐める男達の姿があった。
「……力を使ったのかよ」
「大丈夫よ、殺してない。気絶しているだけ」
「お前の力は目立つんだから自重しておけ」
「……だって貴方以外の男に触りたくないし、触れられたくないもの」
「……、」
そんなことを言われてはもう何も言えなくなるじゃないか。頬が紅潮するのがわかる。……重症だな本当に、これはいつか致命的な失敗を招きかねない。
「――っ」
不意に、違和感。何か、気配がした。それを気取った瞬間、視界が陰る。沸き上がる焦燥感に釣られて頭上を見上げ、目を疑う。意識の流れを断ち、体が思考を凌駕する。
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