終章5 八十火産霊・十拳の祝

 感じたのは衝撃と熱。そして後から追いかけてきたのは莫大な音塊。右耳の鼓膜が破れ、痛みを感じるが、それどころではなかった。


 祈りを絶やさず、天之尾羽張を手放さないようにするので精一杯で一瞬、意識に空隙が生まれた。それほどまでに度し難い威力を秘めたその弾丸に舌を巻きつつ、俺は天之尾羽張を振り切って見せた。風化の祈りを纏った青白い弾丸を切断し、真っ向から破壊する。背後で爆音が轟き、自身が一難乗り越えた事に内心ほっとしたのも束の間、くぐもった笑い声にハッとさせられる。ぬらりと冷や汗が滝の様に流れて、地面を濡らした。眼前の男は未だ不敵に薄ら寒いを浮かべてこちらを睥睨している。


 何をやっているんだ、俺は?

 一瞬たりとも安心していい時間はない。


「死を悟ったか?」


 ああ、悟ったとも。砲弾並の大きさの弾丸があんな速さで飛んできたら死ぬな。胃に穴が開く気分だったぞドちくしょうが。そんな思いを込めてめ付けてやれば男はこれまた愉快そうに笑う。


「石ころをかき集めてそれを音速の二十倍程度で飛ばせば現人神も死ぬ。しかし、まだこれだけではないぞ……? 私達の戦争は始まったばかりなのだからな」


 戦争。その言葉を聞いて思い返すのは当然、あの言葉だ。


「…………お前は、お前たちは日露戦争を再開させたいのか?」

「そうだ、あの戦争は終わっていない」

「戦争は終わった。お前達は負けたんだ」

「認めん。認めてなるものか」

「そうやってなにもかも認めなかったから負けたんだよ」


 国力差を考えれば日本側にとってどれだけ絶望的に不利な戦争だったかなんて馬鹿な俺でもわかる。それでも、努力した。その差を覆せるように知略を練った。勝利条件を満たすための時間を作るために死力を尽くした。


 露西亜がそれを怠ったとは言わん。が、舐め切った態度で臨んだ結果が戦争での敗北だ。


「——それでも、」


 男は言う。真っ直ぐ、俺の目を見据えて。


「私達は納得できていないんだよ」


 ……頭では、わかってはいるのか。


「ちっ……」


 しゃらくせぇ。理解はしてやる。共感もしてやる。俺が同じ立場だったら同じような事をしていたかもしれねぇ。だが、


「……くだらねぇ」


 一言で蹴り落とす。お前らと俺の立場は違う。だから、止めるぞ、必ず。


「——斬る」


 一足で距離を詰めて再度ウラジミールに斬りかかる。しかし、当然風の傷跡で防がれる。俺の剣は奴に届かない。このままではさっきの様に浮かされてぶっ飛ばされるだけだ。ならば、深紅の大地に根を下ろす。文字通りに……!!


「ふっ……ぅんんんっっっ!!」


 左足を思い切り地面に向かって思い切り突き入れる。


「己が足を錨としたか。君との戦いはこれで三度目だが、実に力任せだな」

「余計なお世話だ」

「減らず口を叩けるなら結構。ならば君の得意なやり方で君を捻じ伏せるとしよう」


 隻腕の男は槍の柄をしっかりと握り締めると全力で押し返して来た。祈りと祈りのぶつかり合い。腕力と腕力のぶつかり合いである。

 無論腕力で負ける俺ではない――が、天之尾羽張に灯る黒い炎は着実に削がれていく。このまま押し切ったとして残るのは真っ二つにへし折れた天之尾羽張と良くてウラジミールが尻餅を着くという結果だけ。好転する所か悪化するだけだろう。純正の国津神の祈りの深さと俺の祈りの深さではやはり差があり過ぎるらしい。


 このままでは確実に負ける。このままでは確実に死ぬ。



 ――嫌だ。負けてなるものか。



 大佐や、宗一達がせっかく立ち上がってくれたのに。こんな俺を信用して送り出してくれたというのに。



 ――嫌だ。死んでなるものか。



 何も為せずに死ぬのが嫌だ。この国の剣になれずに、この国を守れずに死ぬのが嫌だ。アナスタシアの美しい祈りを守れずに死ぬのが嫌だ。アナスタシアの幸せを守れずに死ぬのが嫌だ。アナスタシアの笑顔を守れないで死ぬのが嫌だ。……そして何より、アナスタシア自身を守れずに死ぬのが嫌だ。


「—————、」



 いのれ。

 いのれ。

 いのれ。

 いのれ。

 いのれ。

 いのれ。

 いのれ。

 いのれ――!!



「——ぐっ……!! っぎぃいぃっっ……!!」


 俺の進む道を扉が塞いでいるのなら抉じ開けろ。俺の進むべき道に障害があるのならこの剣で斬り闢け。


「ぐっっ、つっっぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!」


 咆哮する。その圧の余り、喉に一瞬で亀裂が走って、唾液に血が混ざる。全身の全ての細胞が裏返るような、そんな感覚が俺を更なる祈りに没入させた。まるで、生きながらにして生まれ変わっていくような、さなぎから蝶に変わるみたいな、肉体が進化していく感覚が全身を這いずり回る。


 進化というものは本来時間をかけて行われるものだ。一足飛びで起きる物じゃない。でも、これは、床の底が抜けたみたいに一気に落下しているような、祈りの深度が一気に深まっていく感覚。


「来い」


 ウラジミールが叫ぶように、懇願するように、願うように、唱える。


「来い、来い、来い、来い、来い――」


 言われずとも行ってやる。

 心の中にのりとが浮かんでくる。俺の知らない新たな祝だ。それでも、何百、何千、何万回と唱えて来たみたいに、俺の口は淀みなく動いた。



「――輝きは北にあり、切っ先は南を見ゆ。戦塵に走る剣閃一つ。我が刃で焔を切ろう。燃え盛るその肢体から焔を断ち切ろう」



 かんぬきが抜き取られ、閉じられていた門が開け放たれる。魂から垣を切った水のように祈りが溢れ、流れ出す。俺の祈りが、黒い炎として質量を持って現世うつしよ顕現けんげんする。



「――だからどうか目を閉じないで、私から目をそらさないでおくれ。私は置いて行かれたくない」



 黒い炎は遥か高い空を衝くように激しく燃え上がり、天之尾羽張と俺の体を飲み込んだ。黒い炎は触れても熱くはなく、かと言って冷たくもない。しかし、これは確実に他者を害するものだという確信が俺にはあった。



「――焔神と交わるは最先いやさきより来たる原初の斬刃」



 想像する。

 膨れ上がった己の祈りをひたすらに叩き、鍛え上げる。俺は剣になりたいのだ。この国を守る剣。爺さんの願いを守る剣。アナスタシアを救い、守り通す事ができる剣に。


 ただ敵を排除し、切り捨てるだけではない。守れるように強くありたいと願い、祈る。

 黒い炎は俺の言の葉と願いに導かれるように次第に形を成していく。やがてそれは完全に像を決定づけ、新たなる祈りの形の完成を見る。



「――神話再現‟八十火産霊・十拳の祝やそほむすひ・とつかのはふり”」



 天之尾羽張にまとわりついていた黒い炎は更に長大且つ巨大な漆黒の大剣へと変貌させ、俺の体を覆っていた炎は黒い外套へと姿を変えた。

 その黒い大剣と外套が有する祈りの重量は未知数。しかして、以前までの祈りを容易く凌駕する密度と重量、規模を兼ね備えている。そうして、ここではっきりと自覚する。今俺は一つの到達点に達したのだと。

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