終章『亡国の姫君』
終章1 任命
「——詰まりこれは日本国有事の一つとして捉えても良いという事ですか?」
一通り事のあらましを聞かされた一同の思いを代弁するかのように宗一が問うた。大佐は小さな頭を縦に動かして肯定する。それを見た宗一は気分を害したと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「大佐。これは責任問題になりますよ? 彼女を匿うと言い出したのは貴方だ。ましてや外出許可まで出して……!」
「そこについての謝罪ならば後日してやる。だが今はただ粛々と彼女の奪還をしろと言っている」
宗一は歯噛みしながら矛を収める。そもそもこの男には上官に逆らうという行為をするなんて土台無理だ。基本的に反骨精神というものが欠けている。
宗一は“他人に厳しく、自分には更に厳しく。規律重んじなければならない”というのを座右の銘としている。それは紛うことなき美徳であろうが時としてそれがしがらみに変わることもある。堅物故、そうして雁字搦めになった己を省みても彼はそれを呑まねばならぬと自身に課する。
一言、馬鹿だなと思う。同時に彼がまだ青いと感じて置いてきぼりにされた訳ではないとほんの少しだけ安堵する。
「——楔を外す、か」
ボソリと學隊長が零す。
「成程、この国を攻め落とすのならばあそこを狙うのが簡単だ。しかし、あの場に入り込むとなると余程向こうに強い
「そこについては先も言った通り、国津神位階の怪物がいる。状況的には後者であろうよ」
「——果たしてそうでしょうか?」
疑問提起する藤ノ宮。いつも通り涼しい顔をしているが声音からは明らかな苛立ちを気取る事ができた。
「あの場所に強い縁を持たないとなれば国津神でもあの場所へ繋がる穴を開けられるとは思えません。あの場所は異界です。界に直接干渉できる祈りでもない限り難しいかと。具体的には空間制御の異能か或いは、更に上位の異能か」
「天津神がいるとでも?」
「“ドミトリー・ニコラツェフ”が行方をくらましていると聞きます」
「北法の魔人か」
その名には俺も聞き覚えがあった。というより皇国軍の人間ならば誰もが一度は耳にする名前だ。
ドミトリー・ニコラツェフ。日露戦争における最大の障壁にして最大の敵。日露戦争での最大の戦場となった旅順要塞攻略戦で三万人以上の死傷者を出した歩く天災。
「彼が動いているとすれば、お前達の師が黙っていないと思うが?」
当時の戦争に参加した爺さんがその男を止める事で辛勝したがそれでも皇国軍はそれを苦い経験と捉えている。
詰まり爺さんがいなければまず勝てない相手。もし仮にそんな男がこの戦いに参加しているのであればこちらは手詰まりだ。しかし、本当にかの北法の魔人が動いているのだとしたら爺さんが動かない筈がない。それに爺さんならばそんな状況に追い込まれる様な事はしない。もし追い込まれているとしたら爺さんが死んでいる時だ。しかし、爺さんには先程俺も会っている。つまりは藤ノ宮の考え過ぎという事か。
とは言え、あのドミトリー・ニコラツェフが行方知れずというのは妙な話だ。胸の片隅にでも留めて置くとしよう。
「しかしながら彼女に縁のある楔とは一体何なのですか?」
「……日露戦争において皇国は帝国から様々な兵器を押収している。軍艦、航空機、戦車――そして神器だ」
「まさか……露西亜の神器を使っているのですか?」
大佐は首肯し、同時に藤ノ宮がついに頭を抑えた。
「余りに杜撰が過ぎる」
「一つの界を封じ込められるだけの力を持つ神器の数が少ないのだ」
「だからといって異国の神器を使うなんて……」
「済んだ事をとやかく言っても仕方がない。それにそもそも私は議論をする為にこの場に全員を集めた訳ではない。お前達に現状を伝え、奪還に向かわせる為だ」
「でも、相手は国津神なんだよね? こっちも国津神の援軍とか呼んであるの?」
光喜からの質問に大佐は首を横に振って、
「国津神は軍の上層部によって適正箇所に配置されている。ただの一人も余っている人員などいない」
「なら悠雅達の師匠は?
「彼はもう軍人ではない。それに彼が動けば清が黙っていない。他にもドミトリー・ニコラツェフの件もある。彼は動かせない」
そうだろうな、国津神はこの国に二百人足らずしかいない。そんな彼らを全国に配置しているのだから動かせるはずもない。ましてや今は欧州のごたごたでこの国も知らん顔はしていられないのだ。
そして爺さんもまた動けない。国内から姿を消せば清の第三階梯が攻め込んで来る可能性がある。連中は意思を持つ分、自然災害よりもタチが悪い。
それ故に国防の要である爺さんと国津神を迂闊に動かすことはできないのである。
しかし、その筈なのに、大佐の顔からは微塵も焦りを感じない。なんだったら余裕すらも感じ取れる。すると彼女は、
「対抗策ならばある」
今度は俺に視線を送って、そう言ってのけた。
「今回も悠雅は負けたんじゃないの?」
度し難い現実ではあるが俺の考えと同様の事を光喜が述べてくれた。
一時は戦意を喪失したものの確かに今は戦意が漲っている。しかし、自分があいつとの――ウラジミールとの戦いで切り札に成り得ると思える程うぬぼれていない。だがそう考える俺とは対照的に大佐は微塵も不安を滲ませる事無く、
「負けたな。だけど、私はこの男に可能性を見ている」
「可能性って……有事だって自分で言ったくせに……」
「痛い所を突くな。だがそれでも――次は勝てるよ」
大佐の意味のわからない謎の信頼に光喜はおろか俺すらも思わず訝しんでしまう。しかし、そんな中、一人同意するように頷く人間がいた。
「俺もそう思います」
宗一だった。
「今この場でかの国津神に勝てる人間がいるとすればこいつくらいだろう」
「宗一まで何言ってんのさ? ねぇ宗一? 頭でもおかしくなったの?」
「お前も見ただろう? こいつの力を。それにこいつは俺を越えてみせた」
「それは……」
「それにこの男は“
信じる。信じられて強くなれる程この世界は優しくない。にも関わらず、この二人は俺がウラジミールに勝てると断言する。
「……雪乃~」
多勢に無勢を感じたのか光喜は隣の藤ノ宮に加勢を頼む。藤ノ宮は色味の無い顔をして、一言。
「深凪様は、この先何があろうとも彼女を救いたいと思うのですか?」
「そのつもりだ」
「……正直、彼女の為に命を懸ける貴方を見るのは余り心地がいいものではありません。ですが、私には口を出す資格はありません。ならば御身のその思い、尊重するだけです」
相変わらず、堅苦しい言い方をする女だ。
「みんな馬鹿なの? 国の一大事なんだよ? それにみんな悠雅を殺す気なの?」
訳がわかんないよ、そう憤慨する光喜は唇を尖らせて視線を落とした。こいつは今一番現実的で、それでいて、今一番優しくあってくれている。
そんな男だからこそ、俺はつるんでいるのだ。
「俺は俺に出来る事をやるよ。半ば俺が持ち込んだ問題なんだろうしな。自分のケツは自分で拭く」
それこそが俺の決意であり、巻き込んでしまった彼らへの贖罪とケジメになると信ずるが故に。
「もういいよ。精々頑張って止めてよね」
「ああ、わかってるよ」
素直じゃない年下の親友に笑いかけて、拳を握り込んだ。
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