第三章『彩花寮』
第三章1 判決 一
目を覚ますと白い天井が眼球を照らした。再び病院送りにされたかとも思ったがその場所には見覚えがある。間宮邸だ。
柱時計へと視線を移すと短針が九時を指しているのが見て取れる。窓から差し込む光から朝の九時という事は理解出来た。昨日ほどではないにしろ時間感覚が狂っており、どれだけの間眠っていたのかわからないが体のだるさから考えると、そう何日も眠っていたとは思えない。翌日か、せいぜい丸一日空けたぐらいか。
寝起きのぼうっとした思考で起き上がると着ていた服が軍服ではなく、
現在の状況を知るべくアマ公に話しかける――が、返事は無い。左腕を覆っていた包帯を捲ると左腕からは綺麗さっぱり封印術式は剥ぎ取られ、神器・天之尾羽張の神気は消失してしまっていた。
これはまずい状況なのではないか。状況の整理がつかないことから来る焦燥感に駆られ、俺は真っ白な布団を押し退け立ち上がる。慣れない洋風の造りの部屋は俺を異物として睥睨しており、妙な圧迫感を押し付けてくる。他人の家なんてものはそんなものだ。だが、俺はこの家の中を勝手知ったる我が家の如く突き進む。この家には何度も来ていたのだから。この家の構造は把握している。そして俺は目的とする人物がいるであろう場所に向かって走る。豪奢な赤い絨毯を踏み抜いて。途中給仕の方達に何度か止められそうになったが知るものか。足を止めること無く俺は走った。
やがて樫の木を伐り出して作られた観音式の大きな扉の前に辿り着いた。人を通すのならば宗一はまず此処に通すだろうという希望的観測を以て、俺はそれを開け放つ。間宮邸の一階、南側に面した一角。赤い絨毯が敷き詰められた部屋。そこには樫の木で作られた豪奢なテーブルとソファと椅子が並んでいる。間宮家の人間が外部の人間と会談する為に作られた応接間。
その場には、恐らくあの夜の一件に関わったと何故か姉ちゃん、それにあの小さな上官殿の姿まであった。
「――随分と遅い起床じゃないか騎士殿」
開口一番、皮肉った様子で俺を詰ったのは日本人形の様な出で立ちの少女――東御陽菜だった。
「休めとは言ったが暴れろと言った覚えはないが、何か弁明はあるか深凪少尉」
「……いえ」
「ならば良し。今ここで腹を切れ深凪悠雅少尉」
ぽんと小太刀を手渡された。理由を思い返せば思い当たる事柄が多過ぎて、驚きとかは特に無かった。寧ろ一方的な銃殺などで無い分かなり慈悲をくれた方なのかもしれない。しかしながら嫌に早い結論だ、とは思った。
「まだ軍法会議にかけられていないが」
「我々は軍の表立った組織じゃあないからなぁ、公に軍法会議にかけられないんだよ。まぁ、仮に軍法会議にかけることができたとしてもお前が明日を迎えられるとは思わんがなぁ」
大佐殿はからりと薄ら笑いを浮かべた。凡そ二桁に満たぬ少女が晒していいものでは無い、何とも邪悪なものであった。
その笑みからは怒気など微塵も感じられず、寧ろ大笑いしたくてたまらない、といった様子だ。どこかで恨みでも買ったのだろうか? 身に覚えはないが。
「どうした、早くしろ。お前の力なら己の体を二つに切り分ける事なぞ容易かろうよ」
「――待ってください東御大佐!!」
盾か何かみたいに俺と大佐殿の間に立って、声を荒らげたのはアンナだった。
「どうか考え直して下さい!! 彼は私を助けてくれました。その事は考慮して下さると約束してくださったのでは無いのですか!?」
「考慮した上での判断ですよ。彼は御身を救いましたがその功よりも数多の軍規に背き、更に民間人の保護もせずに下手人の確保に動いてしまった事、東北地方に送られる筈だった物資を運ぶ輸送列車の破壊。これだけあれば本来なら銃殺にするところ。そこを自刃で勘弁してやろうというのだ。温情ある措置であると心得て頂きたい」
淡々と告げられる俺の罪状。詳しく語られていない中にはまだ俺のがやってしまった罪が眠っているのだろう。
「特に輸送列車の破壊は致命的だなぁ。この時期冬を迎える東北、蝦夷は雪と氷に鎖される。今回の輸送物資の中には
大佐殿は更に付け加える様に「今回の件でどれだけの死者が出るかわからんよ」なんて、鼻を鳴らして言った。
「……どうにかならないのですか?」
「いい。やめてくれ」
食い下がるアンナを制しようとするがそれでも彼女はそれを振り切って、
「本当に、どうにかならないのですか?」
「くどいな。一つの例外を許せば徐々に緩んでいくもの。それがわからない貴女では無いと思ったのだが」
大佐殿が言う事は実に尤もな事だった。一つ、穴を空けてしまったのなら続いてそこにやって来る者達もその穴を通ろうと殺到するだろう。その穴はやがて圧に負けて広がってしまう。そうなってはせっかく人の集団をまとめ上げていた規律も法も意味を為さなくなる。
例えばの話をしよう。大袈裟な話だ。
人を殺した人間がいたとする。そいつが国家予算に匹敵する金を持っていたとしようか。男はその金をちらつかせて法を捻じ曲げる事で刑を逃れたとする。
そこから得られるのは“金さえ持っていれば罪を問われずに済む”という反吐が出る結論だ。そんなものがさも当然のようにまかり通るようになればさぞ世は混沌とするだろう。しかし、アンナは折れる事無く大佐に詰め寄る。
「……それでもあるはずです。この国にもあるのでしょう? 超法規的措置というものが」
「
法を捻じ曲げる程の事柄。彼女が持ち出せる切り札は一つしかない。
「――私自身を賭けます。私の力はもうご存知でしょう?」
一同が目を見開いて息を呑んだ。この女は今一体何を口にしたのか、自覚が本当にあるのか? そんな意図が込められた視線が三百六十度全方位から彼女を突き刺す。
「やめろ……」
それはダメだ。それだけはダメなんだ。お前はあんなにも慈悲深い、あんなにも尊くて優しい暖かな祈りを持っているんだ。そんなお前があんな場所で穢されちゃいけないんだ。
「俺はそんな事望んじゃいない。撤回して国に帰れ」
「私はそんな事望んでない。黙って私に助けられて」
平行線だった。それでも俺はこの主張を曲げてはいけない。そもそも彼女が先に俺を救ってくれたのだ。多少の打算はあれど、恩を返されるかどうかもわからないのに救ってくれた。俺はそれに報いたいのだ。報わねばならんのだ。
「そんな事されたら俺はどうやってお前を助ければいい? 恩を返せばいい?」
「じゃあ私はどうやって借りを返せばいいの?」
言い返されて二の句を告げなくなる。ここで言い返せばそれは俺の生き方を自分で否定する事になる。
だがその言葉を受け入れたが最後、目の前の少女に待っているのは文字通り地獄だ。
現人神の研究を行っている“機関”。その団体は黒い噂が絶えない魔の集団だ。そんな連中がいる場所にこいつを送る訳にはいかない。
そんな俺の思いを他所に彼女は話を進めてしまう。
「世界に五人しかいない治癒能力者。しかもおまけに世にも珍しい
アンナの提案に対し、大佐は前置きを置くように「御身がうちのボンクラを思いやる理由も、うちのボンクラが御身を慮る理由もまるで理解できないが」なんてぼそりと言ってから一言、
「正気か?」
この一言にはその場にいる一同の心の声が込められていた様な気がする。その問い掛けに対しアンナは胸を張って言う。
「無論です」
「御身はご自身の事を軽んじられる人間ではなかったと認識していたが?」
「軽んじている訳ではありません。ですが、この件は我が身を以てでしか納められないと感じた故です」
揺るがない。その固い意思が、想いが声音を通して伝わってくる。それを感じたのか、大佐殿は口の端を釣り上げて、
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