第三章2 判決 二

「良いだろう。御身の提案を受け入れよう。御身なら十二分にその措置が取れるだろう。御身の身、この私が預かる事を条件に深凪悠雅少尉を無罪放免としよう」


 確かに治癒系能力者の数は極端に少ない。そんな彼女の能力、思考を解析すれば新たな治癒系の祈りを持った現人神の教育にも活かされるだろう。だが、納得いかない。


「くそ……」


 情けない。本当に。悪態しか吐けない自分を自覚して更にドツボに嵌っていく。


「お前、それでいいのかよ……」

「良いのよ。それにこの国の暗部に身を落とせば私の望みの手掛かりとなるものに近づけるかもしれない」


 楽観的過ぎる。こいつはこの国の暗部を舐めている。下手をすれば研究の為に肉体を切り刻まれる事だってあるかもしれないというのに。


「ちくしょう……」


 大恩だ。どうやって返せばいいのかわからない程の。なんでみんなそうやって善意だけで人を助けられる? アンナも、爺さんも。どうして他人の命をそうやって何でもないように救えるんだ。俺もそうありたいよ。そうなりたいよ。

 眩しい。眩しすぎる。目が眩んでしまうよ。俺はどうやって返せばいいんだ? ……わからない。わからない。


 アンナは死地に行こうとしている。光無き無明の下へと行ってしまう。俺を救った上で。ならば、俺に出来る事はなんだ? 俺に出来ること――


「――いい加減にしなさい」


 背後から組み敷かれた。強かに顎を床に打ち付け視界に火花が散った。

 姉ちゃんだった。声を聞かなくてもわかる。この場にいた人間で俺に気取られる事無く真後ろから殴れる人間何て姉ちゃん位のものだ。姉ちゃんは俺の頚椎に軍刀の切っ先を当てがって、


「くだらない事を考えるのはやめなさい」

「退いてくれ……」

「嫌よ」

「退けぇっ!!」


 刹那、血しぶきがあった。生ぬるい感覚と共に痛覚が悲鳴をあげる。肩口を背中から軍刀が貫通しており、じくじくと痛んだ。

 だが、この程度、俺にとっては些末事でしかない。このくらいの負傷であればそのうちすぐに治るからだ。しかし、俺は動くことができなかった。何故なら、姉ちゃんが己の腕ごと俺の肩を貫いていたからだ。このまま俺が力ずくで動けば姉ちゃんの腕が今後使い物にならなくなるかもしれない。姉ちゃんは現人神じゃない。呪術師でもない。本当の意味でただの人間だ。肉体をぐちゃぐちゃにされれば人並みの治癒力でしか治らない。詰まり、元には戻らないのだ。


 もちろん呪術師の呪術や、アンナの治癒で治そうと思えば治せるだろう。しかし、自身の血を流してまで俺を止めた姉の思いを考える。そこまでやって、ようやく血の上った頭が冷えてきた。


 ここで俺が暴れた所で、姉ちゃんがいる時点で俺は詰んでいた。よしんばアンナを連れ出せたとしても、彼女を国に帰せるとは思えなかった。姉ちゃんを振り切った所で次は爺さんが出張ってくるだろうから。爺さんは多分、今度こそ俺ごとアンナをぶった切る気がする。


「――貴様の頭は空なのか、悠雅」


 こつん、とぽっくり下駄が床を小突く音がした。大佐殿が血濡れの池を前に立ち止まったからだ。


「とはいえ、お前の危惧していることは予想がついている。その上で言ってやろう。安心しろ、彼女を機関に引き渡すつもりは無い」


 薄ら笑いを浮かべる彼女はこれでもかと俺を睥睨して、


「私が使う。誰とも知れぬ者に渡してなるものかよ」


 この小さな体の中に悪魔でも飼っているのか? そんな益体もない事を考えてしまう。


 目の前の少女は余りにも超然としている。同時に、怖気がする程に不気味な気配を漂わせていた。この女は見た目通りの年齢では無いのかもしれない、なんて、荒唐無稽な事を思わされてしまうほどに。


「雪乃、手当してやれ。うちの

「はい」


 小さく頷く藤ノ宮を見て、ようやく姉ちゃんが軍刀を引き抜いてくれた。

 当然だが藤ノ宮はすぐに姉ちゃんの手当てを行い始める。


「世話を掛けたな深凪大尉」


 大佐殿は姉ちゃんに向かって謝罪と礼を含ませた労いの言葉をかける。


「こちらこそ、身内が大変失礼致しました。温情、感謝致します」

「よい。私の監督不行届もある。それで、杉山の奴は何と?」


 問いかける大佐殿の言葉に姉ちゃんは珍しく渋面を晒す。


「「これは貸しだぞ」、と」

「……そうか。お互い頭が痛いな」


 大佐殿は眉間を抑えて一言、「古狸め」なんて、ぼそりと零して。


「悠雅、お前はもう少し思慮を学べ。お前の在り方は買うがそれでは救えるものも救えないと心得よ。これを借りと捉えるのならば、慎重に返せよ」

「……わかりました」


 唇を噛む。俺はどうやら姉ちゃんにも、大佐殿にも大きな借りを作ってしまったらしい。


「雪乃、宗一。先に指示した通りだ。彼女の事、よろしく頼むぞ。それと悠雅の事については追って指示する」

「はい」


 横たわる俺の体の脇を通り、彼女は退室していく。


「馬鹿者」


 大佐殿が退室して真っ先に罵倒が飛んできた。無論宗一のものだ。


「今更でしょ、この子が馬鹿なのは」


 更に姉ちゃんが便乗する。


「馬鹿だ馬鹿だと思っておりましたが、貴方のそれは筋金入りでございますね、深凪様」


 そこに姉ちゃんの治療を終えた藤ノ宮が合流してくる。俺の治療を開始してくれたが何やら思いの外、術式が雑な気がする。なんかちょっと染みて痛い。


「治療が終わったら。一度家に帰れ。暫くしたら迎えに行く」

「わかった。それと宗一」

「どうした?」

「アンナの事、助かった。恩に着る」


 宗一は目を丸くして、直ぐに呆れたように嘆息を着いた。


「助けたかったんだろう? 俺がお前を裏切る事など万に一つありえない」


 宗一は視線を俺から立ち尽くしていたアンナに移した。


「御身は我々が保護する。異論は無いな?」

「無論です」

「では後ほど我々の拠点に護送させて頂きます」

「わかりました」


 アンナが頷いたの確認し、宗一はその場を後にした。「後始末をしなくては」などとぼやいていたので掃除用具を取りに行ったのだろう。姉ちゃんも付いて行った。

 宗一はボンボンの癖に家事を率先してやろうとする変な奴だ。きっとその内給仕さん達と掃除用具の奪い合いを始めるだろう。

 そうこうしている内に治療が終わったらしい。痛みが失せた。


「ありがとう」

「お気になさらず。ですが、余り無茶な事はしませんようお願い致します」


 礼を言うと藤ノ宮から忠言が返ってきた。普段、人をおちょくったりからかったりする言動の多い彼女からの本当に珍しい忠言だった。


「忠言痛み入る」

「幼い頃からの友誼と死に別れるのは私も嫌ですから」


 そう言って、藤ノ宮は花のかんばせを咲かせた。


「ああ、そうだな、俺もそれは嫌だなぁ……」


 本心から、そう思う。そういう意味では俺は再びアンナに救われた訳だ。またしても、掛け替えのない命を。


「アンナ」

「……何よ? まだ私の選択を認めないつもり?」

「ありがとう」


 借りを返すにしろ、返さないにしろ、これだけは伝えねばならないだろう。それが筋というものだ。無論、返さないというのはあってはならないことだと思うが。


「困ったら俺を使え。お前にはその権利がある」


 こいつには返し切れない恩がある。こいつには果たされるべき借りがある。こいつにはその返済を迫る権利がある。しかし、


「嫌よ」


 彼女は一言で切り捨てた。なぜだ? とそう問う前に更に彼女は畳み掛ける。


「貴方と私の間に貸し借りは存在しない。今後発生することもない。何故なら貴方と私は背中を預けあった友だから。戦友ね戦友」


 ……なんだそれは? という気分だった。友との間にだって貸し借りは普通に存在するものだ。貸しも借りもその存在が消えることは無い。だと言うのに、目の前の女は不遜な態度で笑っている。

 ああ、だが、戦友と呼ばれることに関しては悪くない、そう思った。


「なんだそりゃ」

「何よ、笑わなくてもいいでしょ?」

「お前、変な奴だよ」

「アンタに言われたくないわよ」

「そうかもな」


 こんな気持ちになってる時点で、俺も大概変な奴だな。

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