第一章7 黒色の魔性
「――あ、ちょっと! 少しずつ離れてってるわよ!」
なんなんだこの女は。恥じらいとか持っていないのか? 俺が少し距離を開けようとすると距離を詰めて来やがる。くそ、甘ったるい匂いがするぞチクショウ。
「治療してた時も思ったけどアンタって日本人にしては背高いわよね。それに腕も固い。お父様よりも固いわ」
「ええい、触るな‼
「えぇ……アンタいつの時代の人間よ……? それともあれなの? 日本人の男の人って皆そういう感じなの?」
白けたような様子のアンナは「そのうちアンタ達の民族滅びるわよ?」とか失礼な事を宣い始めた。
「ところで‟おぼこ”って何?」
「あ? 未通女つったら、あれだろ? 処女だろ――ギャフン‼」
顎が盛大に砕ける音が響き渡る音同時に錐揉み回転しながら後方の壁に突き刺さる男の姿があった。というか俺だった。
「な、なんなのこの国の人間の貞操観念⁉ 触れ合うのはダメだって言うのに? い、い、いきなり、しょ、しょじ~っ!! ……とか‼ 頭おかしいんじゃないのこの民族!?」
何やらがたがたと喧しい事を言っているが石壁に突き刺さるほどの膂力でぶん殴ってくださったんだから少しで良いのでお怒りを鎮めていただきたい所だ。
「ってぇ……悪かったよ、もう怒んな怒んな。俺も童貞だし恥ずかしくなねえ」
「なんで地味に上から目線なのよ……」
自分の両手で体を抱きしめて後ずさってくれるアンナさん。望み通り晴れて俺から距離を空けてくれるようになったのだが、何故だろう? どこか釈然としない気分だ。
「ちょっと、こっち見ないでくれる?」
何故か路端の野グソでも見るかのような視線を送ってくれる。……本当に釈然としない。
——ズゾ……
「あ゛あ゛?」
なんだ今の音は? 何か、やたら重い物を引きずるような、音。
「どうし――」
「シッ、何かいる」
——ズゾゾゾゾ……!!
気配が徐々に近づいてきている。それも、物凄い速さで。どこからだ⁉ 前? 後ろ? 横? 天井? ……いや、違う‼
——ズゾゾゾゾゾゾゾゾッ!!
「下から何か来るぞ!!」
真っ黒い何かが足元の大理石の床を砕き、押し寄せる。突然の轟音に驚いたアンナが雷光を強くすると共にその姿が露わになる。
タールの様に黒くてかてかとした粘性の強い粘液の塊の中にギョロギョロと動き回る無数の眼球が泳いでいる。
「テケリ・リ……テケリ・リ……」
これは鳴き声だろうか? 鳴き声にしたって奇怪に過ぎるが、ああ、だが、この不気味な姿に比べれば可愛いものだ。瑣事と言い切れる。
「な、何よこれ……私の探知には引っかかってないわよ……!?」
「自分でさっき言っただろ。‟自分の探知に引っかからない敵がいるかもしれない”って」
「確かにそうは言ったけど……」
そんな敵に遭遇するのが初めてなのだろうか? 相当狼狽えてるらしく顔が強ばっている。当たり前か、こんな化け物を前に発狂しなかっただけでも、こいつは十分な程に芯が強い。
「下がってろ。俺がやる」
「な、何でよ? 私もやるわよ……」
震える声で返事をするが彼女は細剣をしっかり両手で握って見せた。
「やれるのか?」
「馬鹿にしないで、やれるに決まってんでしょ!」
「馬鹿になんてしてねぇよ。アンナさんよ、お前は明かりを維持しながら戦えるのか?」
「それは……」
やはりそこまで万能ではなかったか。ならば俺が単騎で撃破するしかない。
「明かり、絶やさないようにな。頼むぞ!!」
踏み込み、ナイフを引き抜き
全ての眼球から放たれる濃厚な殺意は外を徘徊していた大鬼と同等の濃度を孕んでいる。おかげで冷や汗をかきっぱなしだ。しかし、逃げることはできない。先の接近速度を鑑みるに振り切るのは相当骨だ。
正直、勝てるかどうかは怪しい。ましてや今手にしているのはいつも使用している呪装軍刀の伏姫ではなくただの軍用ナイフだ。俺の祈りにどれだけ耐えられるかわからない。
「つくづく欠陥だらけだなぁ、おい‼」
切断の祈りを纏ったナイフに黒い炎が灯る。そういえばこの炎についてもまだ理解が及んでいなかったか。だが、今そんなことに思考を割く余裕はない。
津波の如く押し寄せるタールの激流を切断の祈りが斬り闢く。しかし、タールの怪物は物ともしない。切り裂かれ二つに分かたれた塊は切られた事も無かったかのようにぬらぬらと蠢き、こちらに殺気を叩きつけてくれる。
それと同時にナイフの刃が崩れ去った。いくら何でもこれはおかしい。伏姫でも五分が限度だがいくら何でも十秒と持たないというのはおかしい。
「ちっ」
舌打ちしながらナイフに手をかけ、いつでも抜刀できるように構える。ナイフの残りは二本。詰まり切断の祈りを行使できるのが後二十秒足らずと言う事。せめて一本に付き三十秒、いや二十秒は猶予が欲しかった所だが、嘆いてばかりもいられない。こればかりは欠陥付きの異能を持って生まれてしまった己を恨む他ない。それよりも今は目の前の怪物の対処法だ。
二つのタールの塊は、互いににじり寄ると元の一塊のそれに戻った。
固体ではなく本当に液体であるという認識を改めてさせられる一幕。それでは切断が通じないのも
それならば斬撃ではなく衝撃ならどうか? 先ほど奴が砕いた床の破片を手に取る。人体よりも遥かに大きく、かなりの重量を持つこの破片ならばかなりの衝撃が期待できる。そして、それを全霊で、
巨大な破片による剛速球はタールの怪物を一撃で吹き飛ばし、壁面に深く食い込んだ。が、それだけだった。本当にそれだけだった。
次の瞬間には細切れになったタールの塊が一か所に集まり、元の一個の塊へと戻ってしまう。次いで、無数の眼球が、怪しく発光した。発光する眼球はタールの肉体の中を蠢く。乱雑ではない。何か気味の悪さはあるものの一定の規則正しさを以って、それは動く。
刹那、極太の光の矢じりが構内を貫いた。咄嗟に身を屈めなければ上半身が丸々消失していた。遠くで響くその爆音に戦慄しながら光の矢じりについて解答する。
「呪術……」
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