第二章10 騒々しい昼餉 二
「俺、先日正規軍人になったばかりなのでそんなに権限無いんですよ」
少尉というが正直まだまだ下っ端だ。彼女は俺の応答に「あー」とアホみたいな声を上げて俺の体を見回し、理解した様に頷いて。
「童顔とかじゃなく本当に若かったんだね。目付きが怖かったからてっきり熟練の軍人さんかと思ったよ
喧しいにも程がある。
「ねえ」
「今度は何ですか?」
「君の名前ってひょっとして深凪?」
思わずぎょっとして固まってしまった。この女、なぜ俺の名前を知っているんだ?
「あーごめんなさい、警戒しないで下さい。知り合いの顔に何か似てるなーって思って聞いてみただけなんです」
「知り合い?」
「
姉ちゃんだけでなく修兄や堅兄の名前まで出してきた彼女は付け加える様に「本人達に確認して貰っても良いですよ」何て言って見せた。
そこまで言われて疑える筈もなく渋々と認める事にする。
「ということは、貴女は士官学校の出で?」
はて、しかし、士官学校の卒業生が何で記者何かやっているのか? そんな俺の疑問を見透かした様に彼女は答えをくれた。
「私中退してるのよ、才能無くてね。東花みたいに強く無ければ間宮君みたいに現人神でもない。もちろん東雲君みたいに呪術の扱いに長けていた訳でもない。一応、特務機関から声掛かったんだけどやる事目に見えてたからね」
彼女は本人が吹聴しても反論されない程度には美人だ。詰まり彼女のそういう部分に目を付けたのだろう。嘗てのくの一のような働きを期待して。
「だからまぁ、中退して……親と喧嘩して、家を追い出されて、根無し草になって、友達に借金して、でも仕事キツくて、お金に余裕無くて、潜入調査と称して二つの働き口から給金もらえてちょっと嬉しい! とか思っちゃう自分がちょっと情けなくて……」
クドクドブツブツとどんどん沈み込んでいく。ちょっと可哀想になってきた。
「大変ですね」
「大変よぉ……だからさ、協力してくれないかな? ほら、私中退したとはいえ一応母校の先輩な訳だし」
「それとこれとは別問題ですね」
可哀想だがきっぱりとお断りさせて頂く。
「じゃあせめて名前を教えて!」
まぁ名前くらいであれば、と名乗る事にした。そもそもこちらだけ名前を知っているというのも無礼な話な訳だしな。
「――ふぅん、悠雅君って言うのね」
「ですね」
改めて名乗ってみせると彼女はふむふむと何やら頷くと頭を下げて、
「やっぱりお願い!! 東花に聞いてみてくれないかな!!」
「無理ですね」
「本当に結論出すのが早いよね君!!」
そう言われても無理なものは無理だ。「慈悲はないの!?」とか言ってるが無理だ。
「姉もそうですが間宮少佐も東雲中尉も公私混同しない方なので諦めて下さい」
「そこを何とか」
一応修兄と堅兄の名前も出して退路を断っておくが彼女はそれでも追いすがって来る。そんなに拝むように頭を下げてもらっては困る。本当に気の毒だが姉ちゃん達は俺相手では口を割らないだろう。
「第一、姉と友人だと仰るなら御自分で聞いたらどうなんです?」
「そんな事したらぶっ飛ばされちゃうじゃない! 主に東花に」
こいつは今どれだけ最低な事を口走ってるのかわかっているのだろうか? 俺もそうなってしまうからこそ断っているというのに。
もう絶対引き受けてやるものか。
「ぐぬぬ、どうしても聞いてくれないのね……」
「そうですね。諦めてください」
「こうなったら最後の手段」
他人の話聞かない人だな。半ば呆れ半分に、どうせ色仕掛けとか考えてるんだろうなー、とか自分でも分かるくらいどっちらけた冷めた視線を送る。
俺に色仕掛けは効かない。そう自負している。何せ天女と
心を強く持つ俺に対し、彼女が取る行動は意外にも色仕掛けのような安っぽい行動ではなかった。
「何ですかこれは?」
「中を見てみて」
手渡されたのは一枚の大きな封筒。
俺は促されるまま封筒を逆さにして、すとん、麻布の様な感触が落ちてきた。四つに折り畳まれたそれは血飛沫か何かの赤い斑点が付着していた。
それを広げた時、俺は言葉を失ってしまった。布地に描かれていたものに息を呑んだ。
――双頭の鷲――
ああ、無知で浅学な俺ですら知っている。これは、
「
国章の下には露西亜語か何かだろう文字の羅列がある。その内容を問い質すよりも早く篠ノ之さんはその答えを教えてくれた。
「ロマノフ皇家復活せり、日露戦争は終わっていない」
ロマノフ皇家は今年の七月に処刑されている。少なからずいた筈の皇家派の人間の旗印にさせない為に、臨時政府が裁判にかけることなく処刑した。
野蛮な行為だと周辺各国からの批判を浴びていたのは記憶に新しい。それに、日露戦争は終わっていないって……。
「俄には信じ難い」
正直今の露西亜も、もちろん日本だって表立って戦争出来るほど余裕はない。欧州大戦には支援、という形でしか参加しておらず、本腰を上げて戦争には行っていない。
露西亜に至っては最前線で戦っている筈だ。現状、敵の敵という関係同士である露西亜がここに来て個別にこっちに戦争吹っ掛けて来てるとは考えにくい。だが、
「悪戯にしては度が過ぎる」
「悪戯何かじゃないわよ。これは現場でパチってきた遺留品何だから」
思わず衝動的に頭を引っぱたく所だった。耐えた自分を褒めちぎりたくなる。
「……なんてもん持ってきてんだよ」
仮に本当に遺留品だったらこの女を立場上は憲兵に突き出してやらなきゃならない。
「ねぇ、これ大事でしょ? お願い調べてきて!!」
何だか急にどうでもよくなってきた。どうであれ、露西亜が日本と戦争したがってるようには思えない。まだ彼女の悪戯っていう方が納得出来る。
「蘇るロマノフ皇家の亡霊!! 見出しはこれで決まりね!!」
ほら、何かもう俗っぽいオカルトみたいな感じになってきてる。しかも俺が協力する事が彼女の中で決定したらしい。解せない。
「はぁ」
アホくさ。内心で吐露しつつナイフとフォークを持つ。
「あ」
いつの間にか全て食してしまった。もっと味わって食べれば良かった。
「美味しかったみたいね。もう一枚頼みますか?」
「いや、いい。勘定を」
断りを入れ、財布の中の紙幣を数えていると、
「お客さん、珈琲残ってるよ」
しまった。すっかり忘れていた。もう少しクロックムッシュの余韻に浸っていたかったがそれは許されないらしい。
……いや、珈琲が悪い訳では無いんだ。うん。舌が欧米人の様に強くない俺が悪いんだ。
グビり。
ああ、遠い太平洋の果て、
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