第37話
「まさき!」
「あ、さゆ!」
「まさき、怪我は? 怪我はないか!?」
名前を呼ばれたまさきは、振り返ると王子さまの乗っている牛車まで走っていく。途中神官たちにぶつかると思いきや、まさきが牛車に行こうとするとさあっと海が割れるごとく神官たちが道を譲ってくれた。それに「ありがとうございます!」と元気印の笑顔を返して。まさきは王子さまのもとへと駆け寄った。
「大丈夫! 言ったでしょ? おれ、けっこう強いんだよって!」
「ああ、まさき格好よかった」
「か、かっこいい…!」
可愛いだ可憐だと言われたことのあるまさきは、いまだかつて言われたことのない言葉に舞い上がった。ふにゃふにゃと笑いながら、そうかな? と照れ照れ頭をかいているまさきに、王子さまの心がきゅんとうずく。可愛い。いままでは格好良かったけど、今はとんでもなく可愛い。緑がかった髪がさらりと流れて綺麗だった。ぱっちりとした二重の黒目はきらきらと輝くように王子さまを見ていて。それだけでもきゅんきゅんする。それはともあれ。
「ま、まさき」
「ん? なに、さゆ」
「ありがとう」
嬉しさや悼み様々な感情をこめて呟いた、たった5文字の言葉の意味を理解したかのようにまさきは笑って。牛車にのった王子さまの顔に背伸びをしてまでおもむろに手を伸ばすと、唇をつりあげるようにむにっと頬を両手でつねった。そんなことをされたことがなかった王子さまはただ目を白黒させていると、楽しそうににこにこしているまさきに横から弓削朔月が苦言を申し立てる。
「伏御まさき、王子様に対して失礼だ」
「えーでも、おれさゆには笑顔の方が似合うと思うんだけどなあ」
「!?」
「そ、そそそれは確かに」
「笑顔でいてくれたら嬉しいですが」
「でしょう? だからさ、さゆ。笑ってよ。おれ、笑ったさゆにお礼言ってほしいな」
優しく愛おしいものを見る目で王子さまを見たまさきに、王子さまはちょっとほっぺを赤くする。
1回うつむいて、それから。
「ありがとう、まさき、神官のみんな、弓削、美羽、武村。誰1人欠けず今日を終えることができて、本当にありがとう」
「みぎゃあ!」
「治小様も、ありがとうございます」
「みぎゃーん」
「あ、お前さっきはありがとうな」
「みぎゅん!」
そこだけ明るくなったような輝く笑顔で、王子さまは自分を守り、玉都を守ってくれている神官たちに、自分のお世話係たちに、何より誰も傷つけなかったまさきに、定石を壊してくれたまさきに礼を言った。
最後に自分の存在を主張するように鳴いた治小は1匹だけ個別に言ってもらえて満足したようにみぎゃみぎゃ鳴くと、王子さまの腕の中から這い出してぴょーんとまさきの顔に飛びついた。まさきがお礼を言いながらべりっと剥がせば、それさえ楽しむように鳴いて。
「お前、なんかあったかいね」
「みぎゃ? みぎゃぎゃぎゃ」
「抱きしめる、さゆ? …さゆに抱きしめられてたの? ずっと?」
「みぎゃん!」
「んー…」
「まさき?」
「えへ、さゆのぬくもり分けてもらっちゃったー」
えへへと片手に治小を、もう片方の手で頭をかきかき笑うまさきに、そっと心臓を押さえる王子さま。いつかこの可愛い生き物のせいで死んでしまうのではないかと思う。でもそれはきっと幸せな死だ。満足すぎるくらいに満足な。
ふわふわと花を飛ばして見つめ合う2人に日比谷海徳補佐官が苦笑いをしたまま近づいてくる。
そして王子さまとまさき、お世話係たちの前で立ち止まると。深く頭を下げる。
「まさきくん、聞きたいことはいろいろとありますが。とりあえず言わせてください。今回誰一人として血を流すことなく駆除を終わらせることができたのはきみのおかげです。ありがとう」
「いえ。おれはさゆを守りたかっただけですから」
「それときみ、双石持ちなんですか?」
「え? はい。皆2つ出せるんじゃないんですか? 母さんも双石混じりでしたよ」
双石持ち。それもまた都市伝説となっている幻の花包石のことである。2つの宝石がまじりあった状態で、武器も2つ出せるという破格の石だ。
当然のように頷くまさきはそれがどんなに稀少なことか知らないようだった。咲玉の中、交流の中心である咲玉城の近くに住んでいたまさきだが、朝から晩まで学校だの飴細工だので友達と遊ぶ暇もなく都市伝説など聞いたこともない。しかも母も双石であったということは、もし王子さまとまさきの子が生まれればその子も双石となるかもしれない。それは王族の稀少価値をさらに上げることになる。
ふと考え込んでしまった日比谷海徳補佐官にまさきは王子さまを振り返る。
「?」
「皆じゃない、むしろ双石は珍しい」
「珍しいどころか都市伝説だ、伏御まさき」
「すすすすごいんですよ」
「君はどこまで王子様に相応しいんだろうね、伏御まさき君」
まさきに手を差し伸べて治小を受け取り膝の上に置いてさらにまさきを、牛車に招きながら言う王子様にため息をつきながらの弓削朔月、素直に感嘆する美羽琴乃と呆れともつかない息を吐き出す武村アルカード。
むしろ一国の王子ということを鑑みても王子さまの価値が足りないくらいである。
王子さまには、まさきには決して言えないことを心の中で思った王子さまとまさき以外の4人はそっと心の中にその言葉を仕舞った。
頭を上げた日比谷海徳補佐官は、いつも通りの笑みをはいて「おやすみなさい、良い夢を」と言って踵を返した。
「王子様、帰城いたしましょう」
「ああ」
「伏御まさきももっと奥の方に座れ、御簾を落とす」
「はーい、あ。おやすみなさい、美羽先輩と弓削、武村先輩? も。また明日学校で会おうぜ!」
「おおおおやすみなさい」
「御休み、良い夢を」
牛車の浅いところに座っていたまさきに、弓削朔月が危険だからもっと中に寄れといい。それに元気に返事をしたまさきはおやすみなさいと下がりゆく御簾の向こうで3人にひらひら手を振った。
それに返しながらお世話係たちは散っていく。
いつもならお城まで王子様の牛車を送るのだが、いまは自分たちより強いまさきという護衛がいる。それに婚約者になりたての2人の側にいて馬に蹴られたくはない。
からからとまた静かに動き出した牛車は、王子様とまさきをのせて城下町をゆっくりと進んでいくのだった。
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