第36話
「射け、
ぎりぎりと引かれた弓が悲鳴を上げる。それさえ、まさきは構わなかった。この弓は金剛だ、世界一固いとされる宝石できた弓である。それがこの程度で砕けるなんてありえないと知っているから。
5mほどに凝縮された結界の中に隙間なく骸虫と呼ばれている存在がいる。仲間意識がないのか、中には子どもの姿をした骸虫を踏みつけているものさえいて、まさきはその光景に目を眇める。
(お前が今踏みつけているのは、子どもだろう!)
信じられなかった。まさきが仕える女王は仲間意識が強い。例え普段は「
だからこそ、まさきは自分を子どもだとは思っていない。駒だ。彼女の楽しみを満たすため、願望をかなえるために終わる存在だと知っているから。
彼女は迎えに来てくれた、彼女の何よりもの願いをかなえた瞬間死んだはずのまさきたちの心を彼女はもう一度笑って手を差し伸べてくれた。その時からまた、まさきたちの時間は動き始めたのだ。彼女のために、終わる日を願って。彼女の大切な子どもたち、学園の生徒を守るために、まさきたちは存在している。
ただ生きる理由までは彼女は「自分で決めろ」と突き放すから、まさきはそれを「栄幸」に決めたのだ。彼のために生きてみようと思った。本当の自分を受け入れてくれた大切な人たちのために。だから。
「大丈夫。大丈夫だよ、すぐに助けるからな」
そう呟いて、まさきは霊力を込めた弓を思いっきり放ったのだった。
ひゅんっとかすれた音ともに光の尾を引き連れていった弓は、5mというまさきが望んだ幅にまで範囲を広げて結界を抜けていった。そう、武器種族しか通さないはずの結界を何の障害もないかのように。さすがに力が弱まってしまうかもしれないと思っていたまさきはそのことに驚いて目をぱちくりさせる。
思わず後ろを見ると驚きながらこちらを見ている数十人の神官たちの間から、牛車にのることで1段高くなったところにいる王子さまの腕の中。そこから小さな前足を振っている治小がいた。
「お前か」
「――――!」
「だから聞こえないって」
それでもその華のような顔をふにゃりと崩して笑ったまさきは、小さく治小に手を振った。ありがとうの感謝を込めて。そもそも心が読める治小には特別に言葉は必要ない。
まさきは治小に手を振ったつもりだったのだが、自分にと勘違いした王子さまが振り返してきたのでそっちにも笑顔付きの手を振って。
そうそうに自分が矢を放ったところを見た。
そこには。
笑顔の人々がいた。
まさきたちのいる方向に向かってただただ嬉しそうに微笑んで、手を振って。中には目の端に涙すらためてその口を動かして何かを言っていた。自分が踏みつけていた小さな子どもをあやすように抱きかかえた女性もいて。
そうして足先から光の粒子になると、先ほどの女性と同じように宙へと解かれるように消えていった。
吹き返しの余韻みたいに柔らかく爽やかな風が吹いて、まさきの長い髪が風になびく。まるで黒いヴェールのようにふわっと広がったそれに、王子さまたちは目を奪われた。
可憐とも言えるまさきに目を奪われているのが自分だけではないと知った王子さまが、むっとする。
「…王子様、ご無事ですか?」
「だだだ大丈夫ですか、王子様」
「御怪我はございませんね?」
まさきに見とれていたお世話係の3人ははっとして王子さまに確認する。王子様は大丈夫だとこっくり頷いた。
そのそのまだ幼げなまろく白い頬に涙の跡を見つけて、弓削朔月はあわてる。
「お、王子様。その涙の跡は…!」
「ああ、嬉しくてつい」
「う嬉しくて、ですか?」
「骸虫も人に、光に還れる。そのことが嬉しかったんだ」
「…」
嬉しかったんだとはにかむように笑う王子さまの、まさきとはまた違う華やかな可憐さに思わずうっとりと見つめてしまうお世話係たち。
そんな3人に苦笑しつつ、日比谷海徳補佐官が撤収の声を上げる。
「これにて本日の骸虫駆除を終わりにします。清め…は必要ありませんね。業者の方と交代しましょう」
骸虫駆除によって公園にあった滑り台やブランコは壊され、植木や花壇の花は踏まれたりしている。それを最初まさきがくぐり抜けてきた結界の外で修復のために待っていた業者の人々と交代する。
いつもなら場を清めてからなのだが、今回はまさきが飛び出してきたのが戦闘の初めのほうだったことも相まって。まだ誰も骸虫を傷つけておらず傷つけられておらず。まさきの『清浄』のおかげで場は清まっていて。清める必要がない。
このときの戦闘は、さえり王国始まって以来初めての無血での骸虫駆除となった。
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