第35話
ぽた。
畳の上に落ちた雫に、最初は王子さまは雨が降ってきたのかと思った。雨は清くない水だ、そして骸虫は雨を好む。しかし空さえも結界に覆われ、さらにここは牛車の中だ。
まさか『お役目』専用の牛車に雨漏りなんてことはないだろうが、王子さまはそれを神官に知らせようと思ったところで。王子さまの手のひらの上にいた治小がくるりと振り向き、白いブレザーをよじのぼるとぽちぽちと雲を履いた小さな前足で王子さまの目の下を拭った。
「治小様?」
「みぎゃ、みぎゃ」
「僕?」
「みぎゃ!」
「僕が、泣いている、のか?」
「みぎゃぎゃ」
拭った前足を見せてくる治小にあいにくとその足先は雲に包まれているためわからなかったが。
王子さまはなぜ自分が泣いているのか、わかっていた。
まさきは王子さまを愛してくれると言った、王子さまが大切だと思うものを守ってくれると。骸虫すら、救ってみせると言ってくれた。
それが。それが嬉しくて。現にまさきは穢れから骸虫を解き放った。骸虫は穢れの塊だ。『暗い』ということは穢れの方が清浄より強いということで、死んだ骸虫はガラスのように砕けて決して光にはなれない。それが骸虫駆除の常識だった。王子さまが憂いていたことだった。
でもまさきは、骸虫をひとに還し光に還した。それは救いということになるのではないだろうか。あの女性は、骸虫であった女性はありがとうと微笑んでいたじゃないか。
「まさき…」
君はどこまで僕を救ってくれるのだろう。
初めて会った時も穢れに苦しんでいた王子さまは、まさきに会って息が楽になった。あの時は身体を救われた。そして今は王子さまのために、王子さまの心を救うためにまさきは戦場に立っている。
治小を胸に抱きしめながらの囁くような小さな言葉は、幸いと誰にも聞かれることはなかったけれど。ぼんやりと滲む視界を袖で拭って、王子さまはまさきがなそうとしていることを見守るためにまっすぐに前を向いたのだった。
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