第22話

「…わかった。ちょっと待ってて」


 くるりと踵を返して、前の扉を開いて廊下に出る。それを見送った3人ににこりと笑うと後ろ手に扉を閉めた。教室の隣には必ず自習室があり、自習する生徒を受け入れるそこ。今日は誰もいないことをいいことに、そこに潜り込む。がらりと閉めた扉の中ですーはーすーはーと大きく息をして、出てきそうだった涙をこらえて。

 胸ポケットでお昼寝をしていた治小をそっと離れた机の上に乗せる。ぱっちりと治小の黒い目が開く。


「みぎゃ?」

「ちょっと危ないから、ここにいてな?」

「みぎゃぎゃ!」


 元気よくお返事した治小を指の腹でちょいちょいと可愛がってから、治小から離れた。

 覚悟を決めると。頬に爪を当て、血が滴るほどまさきは思いっきり引っ掻いた。「みぎゃ!?」と治小が鳴いてこちらに来ようとするのを手で止める。そのまま血のついた指先を前に突き出し。

 ぱたぱたとその血が床に垂れるのを見ながら、まさきは偽体解除のための文言を唱える。


「青き君臨者よ。0の印、暴君、万象を憶える者よ。ひとの名を戴く器を授けし我らの王よ。幾万の星、雨の原、無数の月のごとく。我が仮初を真なるものに還せ」


 ぽう。

 まさきの足元ににじみ出るようにじわじわ幾何学模様の魔法陣が現れる。それは確かな青色で描かれていて、ぐるぐるとまるでまさきに守るように渦巻いていく。そんな魔法陣に、まさきは笑いかけた。


「いいんだ。陛下、たまちゃんも栄幸さまも受け入れてくれるって言ったんだから。だから、ありがとう」


 その言葉をきっかけのように、渦巻いていた魔法陣がぴたりと止まり。中から青い風が竜巻のようになってまさきを包み込む。がたがたと自習室に置いてあった椅子や机を揺らしながら、竜巻は徐々に収まっていく。

 そこにいたのは。


「うん、もう大丈夫だね」


 1人の少女…いや、美少女と見まごうほどの少年であった。150cmちょっとしかない身長は男性としてはまるで未熟であったが、それでもすでに恐ろしいほど魅力的な美貌の片鱗をのぞかせている。きめの細かい健康そうな白い肌、艶やかでみずみずしく光に照らせば緑色にも見える腰まである長い黒髪は先の方で赤い紐で結ばれている。こぼれんばかりに大きな目の中、その瞳はまるでブラックダイヤモンドのようにきらきらと輝いている。形よくさくらんぼ色の唇からは白い八重歯が覗いていた。

 ふわりと笑う顔はまるで大輪の牡丹の花が咲いたようで。


「みぎゃ!」

「大丈夫だった? 怖かっただろ?」

「みぎゃみぎゃ」


 怖かったよーと甘えるように治小を持ち上げたまさきの指にすり寄ってくる治小に、まさきはもう少しだけ大人しくしててなとお願いをした。それに応えるように自分から胸ポケットに入って目を閉じる治小。

 まさきはさらりと自分の長い髪を払うと、自習室から出て教室の前の扉。3人が待っている扉の前に行く。そーっと音もなく扉を開くと中をのぞく。と、ばちっとまだかまだかとまさきを待っていた王子さま、たまき、弓削朔月の3者と目が合って、すっと静かに扉を閉めるまさき。


「待ってまさくん! 閉めないで!」

「まさき、おいで?」

「王子様、そんな犬じゃないんですから」

「え…えー。わ、わんわん」

「伏御まさきものらなくていいから」


 びっくりして閉めてしまったまさきに、怖くないよーとばかりに口に手を当てて呼びかけるたまき。王子さまに至っては両腕を広げて『おいで』のポーズだ。さすがにそれはないだろうと王子さまを諫めた弓削朔月だったが、困惑したまさきが意外にものってきたため、無理に乗らなくてもいいと諭す。きゅっきゅっきゅと上履きの音も元気に扉を開け駆け寄ってきたまさきを、王子さまはためらいなく抱きとめる。

 自分より王子さまに抱きついたまさきに、たまきはがっくりと崩れ落ちる。


「にしても…これが影族の容姿なのか。なるほど、容姿端麗にふさわしいな」

「当然だろ俺んちのまさくんだぜ!」

「僕のまさきだから」

「いや、おれの所有権は女王陛下にあるから」


 上から下まで品定めをするようにじろじろとまさきを見た弓削朔月の言葉に、まさきを褒められ復活したたまきが鼻の下をこすりながら自慢げに言う。

『俺んちのまさくん』発言にむっとした王子さまが対抗するが、それは当のまさきによって否定される。違う違うとの胸の前で手を振るおまけつきである。突然出てきた『女王陛下』という言葉に目を丸くする王子さまとたまき。


「「「女王陛下?」」」

「うん。おれが仕えてる人。すっごく強くて、優しくて綺麗なひとなんだ」

「まさき、僕も優しいと思う」

「まさくん、俺も喧嘩強いぜ!」

「なんでそうやって張り合おうとするんだよ…」


 声を揃えた3人にそう返せば、なぜか張り合ってくる王子さまとたまき。たまきに至っては甥可愛さだと知っているが、王子さまはなんでなのかなんて考えたくもない。友情から一転して半日で婚約者とまで言い切ったのだから、きっと恋心からなのだろう。げんなりと呟く弓削朔月に、張り合っている王子さまとたまきに、まさきは儚く笑いかける。

 それは散りかけの花のような、健気で美しい笑みだった。その表情に思わず見とれる3人。


「彼女の強さも、優しさも、綺麗さも。根本にあるのは全部『痛み』だから。傷だらけの彼女だからこそ、おれたちは救われたんだ」

「『痛み』?」

「救われたって…」

「伏御まさき、どういう」

「おれ、お城に呼ばれてるんだけどそろそろ行かなきゃじゃないかな」


 弓削朔月の言葉を遮りながら、まさきはちらりと黒板の上にかかっている時計を見上げる。示す時間は13時15分。授業が終わって30分以上経っていた。その言葉ににわかにあわてだしたのは牛車を待たせている王子さまたちだけではない。


「やっべ、13時30分いちじはんから仕事だった!」

「たまちゃん、おれお城行ってくるから長に伝えといてくれる?」

「まさき、その心配はない。もうノノウが伝えているはずだ」

「あ、そうなんですか? じゃあまたあとでね、たまちゃん」

「おう! 必ず帰ってきてな? 婚前外泊なんて俺は絶対許さないからな!」


 ぎろりと王子さまを睨めない代わりに弓削朔月を睨んで、たまきはぺったんこの通学かばんを手で持ち走って教室を出ていった。それをにこにこしながら手を振って見送ったまさきは、自分の机の前まで来ると教科書の詰まった自分の通学かばんを背負って王子さまを見た。

 こてんと小首をかしげる姿が可愛くて可愛くて、きゅんきゅんしっ放しの王子さまはぐっと胸を押さえる。


「栄幸さま? 行かないんですか?」

「…あ、ああ。行く」

「王子さま、参りましょう」

「栄幸さま、もしかして苦しいんですか? おれもっと近くに寄りましょうか?」

「大丈夫…じゃない。手を繋いでくれたら嬉しい」

「わかりました、じゃあ失礼しますね!」


 王子さま、嬉しいとか本音が漏れてます。伏御まさきもそれでいいのか。色々と言いたいことを呑みこんで、弓削朔月は仲良く手を繋いでお互いにこにこしている王子さまとまさきの後ろを歩いて牛車の停まっている校門に向かったのだった。

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