第17話

「ここが3組だ」

「あ、ありがとうございます! 栄幸さま!」

「うん。どういたしまして」


 1年3組とプレートが下がった前扉の前。お互いをにこにこして見つめていた2人は不意にがらりと開いた前扉に視線をやった。

 驚いたように目を丸くしてそこに立っていたのは、弓削朔月だった。弓削朔月はきょとんとした王子さまに笑いかけると、見慣れない生徒がいることに気付いてぎゅっと眉間にしわを寄せ、王子さまとその生徒の間に身体を滑り込ませる。鋭い目つきが余計鋭くなっている。

 大事な王子さまになにかあったらことである。


「王子様に軽々しく近づくな」

「え…あ、すみません?」

「弓削、まさきは大丈夫だ。治小様を保護しているんだ、悪い者なわけがない」

「治小様…ああ、あんた今朝門のとこで騒いでたやつ」

「さ、騒いでないし…!」


 どこかちゃらちゃらしたたまきとは違う、硬派な感じの強面のイケメンに睨まれて。たまきと犬居湊がちょっと騒いではいたが、自分はむしろ止める側に立っていたと思っているまさきはむっとイケメンを見上げながら顔をしかめた。その様子が自分より体の大きい犬に出会った時の反発心の強い子犬のようで、王子さまは口元を抑えきゅっとうずく心のままうつむいてぷるぷる震えていた。

 だが。


「生徒会長に抱き着かれていただろう、治小様を保護していたのなら潰されるかもとか考えなかったのか」

「う…だ、だって湊兄ちゃんだし。力強かったわけじゃないし!」

「…抱きつかれていた?」

「どうかされましたか? 王子さま」

「栄幸さま?」


 弓削朔月の言葉を反芻して、ぴたりとその動きが止まる。

 背後で弓削朔月が聞いたこともないほど、低くうなるように声を出した王子さまにどうかしたのかと尋ねる。それと同時に、王子さまを名前で呼んだまさきにもぎょっとする。

 王族を名前で呼ぶということは、親しい間柄とみなされる。それすなわち、親友や恋人、婚約者である。民は知らない者が多いが、同性婚も普通にあるさえり王国では同性であっても気安く王族の名を呼ぶことは許されない。幼いころから何度も言われていて、一番わかっているはずの栄幸が何も言わないことからそれをまさきに許しているのだとわかって、弓削朔月は内心冷や汗を垂らす。自分がいないこの15分くらいの間になにがあった。


 抱きつかれていた、抱きつかれていた。何回か同じ言葉を繰り返して、ようやく脳内に染みわたったのかばっと王子さまは顔をあげる。

 青い目は青みを増し、潤んでいて…。


「え!?」

「お、王子様!?」

「…僕のこと、好きだって言ったのに」

「え。あ、えっと。湊兄ちゃんは玉都での幼なじみで…その、懐かしくて」

「…」


 うるうると潤んだ眼で、泣きそうに歪められた顔で、弓削朔月が聞いたこともないくらい低い声で。王子さまは呟く。その顔は歪められていても大変美麗で、ある種の人たちには大人気な感じなのだが。


 とっさに弓削朔月が思いついたのが「恋人の浮気を責める彼女」という言葉で。王子さまに対してさすがに失礼だろうと言葉を呑みこんだ。たどたどしく言い訳じみたことを言っているまさきも一役買っている。


 なんだこの茶番は。言いかけたがそれをもそっと胸にしまい込んで、弓削朔月はなんとか頬を引きつらせないようにしながらじりじりとまさきににじり寄っている王子さまに話しかけた。


「あの、王子様。この生徒とは一体…」

「まさき…伏御まさきだ。さっき自習室に行く途中で会った。友達になったんだ。今日から3組に編入してくるらしい」

「おれ、伏御まさき! よろしくな…えーと」

「まさき、僕の世話係でもある弓削朔月だ。弓削」

「弓削朔月だ。伏御まさき、よろしく頼む…って。と、友達?」

「? 他になにに見えるんだ?」

「?」


 不思議そうに首を傾げながら同じ目線と下からの目線、2対の目に見られて弓削朔月は気まずそうに身じろぎする。お互い目を合わせるとにこっと笑いあう仲良しっぷりである。


 自習室に行く途中で会ったってことは自習室には行けたんですか? 行ってないわりには顔色良いですね。そうか、このハムスターみたいな子うさぎみたいな生徒は転校生か、偽生徒かと思った。友達とか嘘でしょう? 俺も以前あなたに友だと言われたことありますが、そんな反応したことないですよね。そもそも友達が他の男に抱き着かれていたって嫉妬なんかしませんから! 言いたいことがぐるぐると渦を巻く中で、弓削朔月は絞り出すように一言だけ口に出した。


「いえ。そうです、か」

「? ああ」

「えーと、弓削くん? って変わったやつだなー」

「…君とかつけられるの気持ち悪いから弓削でいい」

「まさき、弓削は細かいことにもよく気付くいいやつだ」

「そうなんですか?」


 ほのほのとお互い嬉しそうに花が飛んでるのではないかと思うほど仲睦まじく笑っている小動物と白百合のような2人に、ついつい口元が緩みそうになるのを耐え、弓削朔月は思いっきり床を叩きたい気分に襲われた。いや、なんというかこみあげる何かが抑えきれなくなりそうで。それはともかく。


「…もうすぐ始業式が始まりますので、行けるようならば参りましょう」

「そうだな、まさき行こう」

「はい!」


 にぱっと笑ったまさきに、頬を染めて王子さまはまさきの手を取ったのだった。


(だから普通、男友達同士ですぐに手をつないだりしませんから…!)


 王子さまを待つため、1人ぎりぎりまで教室に残って鍵閉めなどをしていた弓削朔月の胸中の叫びは、誰にも気づかれることはなかった。

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