第15話

「じゃあ…まさき」

「はい! なんですか? 王子さま」

「僕のことも栄幸でいい、そう呼んでくれ」

(よ、呼んでくれって言われても…)


 たかが飴細工職人、しかも見習いになったばかりの分際が一国の王子さまの名前を軽々しく呼び捨てでなんて呼べない。それは呼んでいるまさきにも無礼だと非難が行くかもしれないが、それを許したとして王子さままで軽率だと批判されるかもしれない。

 笑顔のまま固まったまさきに、王子さまが悲しそうな顔をする。


「ダメか?」

「い、いえ! 栄幸さま、じゃだめですか?」

「! か、構わない!」


 こてんと首を傾げて、目だけで見上げたまさき。これまで呼ばれた誰とも違うさっぱりと甘く聞こえる声とその若干舌ったらずなさま付けに、またしてもきゅんとなった王子さまは上ずって返事をする。


 なんだこの感情は。そしてこの感情を煽ってくる存在は。いままでで出会ったことのない人間性に、王子さまはちょっともじもじする。


 青くなった顔にちょっとだけ色味が戻ってきて、頬が少し赤く色づく。それに不思議そうに首を横に倒して見つつも、まさきは微笑んだ。


「じゃあ、これからどうぞよろしくお願いします!」

「ああ。…ところで」

「はい?」

「そ、その。握手、してくれないか?」

「え? ああ、はい?」


 ど、どうぞ? 差し出されたなんだかよくわからないまま両手を差し出したまさきは、その手をやわらかく王子さまに握られてぴくんと震えた。別に力が強かったわけではない。

 ただ、さっきは気にかける余裕がなかったがすべすべの白魚のような手が自分のそれより大きいことや、思ったよりも指先は冷たくてでも手の中の温かさが温くて。なんだか幸せな気分になりつつ、まさきの手を包むように握っている王子さまの手を感じていた。へにゃりとその幸せ感に幼く笑みがこぼれるまさき。


 一方王子さまも。己より小さい手はさらさらとさわり心地が良く、皮の薄い手はまるで幼い子のようにふにふにと温かくて。触っているとなんだか芽吹き始めた新鮮な緑の匂いと優しく甘い匂いが漂ってきて、穢れで苦しめられた体に染みいるようにじんわりきいてくる。

 息を吸えばその香りで胸をいっぱいに満たされて、身にまとった穢れが洗い流されるようだった。物心ついた時からなかったような爽やかな心地に、王子さまは自然と口もとが緩む。


((か、可愛い…))


 互いの笑顔を見た2人はほぼ同時にそう思った。息もぴったりである。

 男子高校生に「可愛い」という表現は失礼かなと思ったものの、やっぱりそれ以外に的確な言葉が見つからなくて、きゅんきゅん弾む心のまま互いにその言葉を当てはめた。

 ちょうど胸ポケットにいた治小は、鼓動の早くなったまさきの心臓に何事かとぴょこんと顔をのぞかせる。

 見られたらまずいことをしていたみたいに、2人はぱっと手を離した。


「みぎゃ?」

「あ…」

「治小様…そうだ、まさき。この方をどこで」

「えーと…その。おれ朝飴細工職人見習いになるための試験を受けてきたんですけど、その時に、気付いたら紋章のレリーフが飾ってある工房みたいな部屋に立ってて。それで、そこに白い扉があって。そん中に色んな飴細工に混じっていたんです、こいつ」

「紋章のレリーフ、白い扉、飴細工、治小様…もしかして、聖霊棚と聖霊工房のことか!」

「わかるんですか!?」


 ごそごそと胸ポケットから治小を両手で掴んで、顔の近くに持ち上げると。これで治小を元の場所に戻せると安堵したまさきがほっと息をつく。思わずにこやかな顔になるまさきに王子さまはどきっとしながらも、取り繕うように咳を1回。


 ようやく自分が元の場所に返されるかもしれないということに気付いた治小が、あわてた様子でぺろぺろとまさきの頬をちびっちゃい舌でなめる。やはり虎をもとにしているだけあって猫科なのかざらざらしていた。


「ん? どうしたんだよ、元の場所に帰りたくないのか?」

「みぎゃ! みぎゃぎゃ!」

「えー? わかんないって…」

「みぎゃ、みぎゃーん、みぎゃ!」

「おれ、治小、指から離れない?」

「みぎゃん!」


 言葉じゃ伝わらないことを思いだした治小は、びしびしっとジャスチャーで示していく。まずはまさき、次に自分、最後に雲を履いた前足でぎゅっとまさきの指にしがみついてくる。それをまさきと一緒に見ていた王子さまは、思いついたように口を開いた。


「まさきから離れたくない、じゃないか?」

「そうなのか?」

「みぎゃ!」


 大正解! とでもいうように元気よく鳴き声を上げる治小。すりすりとまさきの指に顔をこすりつけて甘えてくるおまけつき。

 くすぐったそうに顔をほころばせて指でちょいちょいと顎の下を可愛がっているまさきを見て、ふと王子さまは。いいな、と思った。羨ましいとかそういう意味ではなく、小動物のようなまさきが小動物を愛でている。それは可愛いものの2乗というか。ほわほわマイナスイオンでも出ているのではないかと思うほど癒し系で。なんというか、ぐっとくるものがある。

 それはともかく。気分を入れ替えるために王子さまは深呼吸を一回。

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