第9話

「そういえばまさくん、あの金魚の飴細工。どうすんだ?」

「ああ、あれ。あげる相手決まってるんだ」

「え!?」

「相手のこと思いながら作ったものだし、それを他の誰かにやるわけにはいかないからさ」

「そ…そ、そう、だな」


 まさきと一緒に通学路を歩いていたたまきはぎょっと目を剥いてから、挙動不審に言葉を返した。手で持ったぺったんこな通学かばんがぐにゃっと曲がる。ぎっしりと教科書の詰まったかばんを背負っているまさきとは違い、中には何も入っていないらしかった。通学かばんは黒い革製のかばんで、背負うことも手で持つことも出来る仕様だ。


 飴細工は神聖な食べ物だ。飴細工師は飴細工を作るときに心をこめることで飴細工に命を宿らす、というのがまさきの父である伏御あさきの教えだった。だから、相手を思って心をこめたものは他の誰かにやっちゃいけないとも。それは宿った命にとっても、もらった相手にとっても失礼なことになると。父である伏御あさきも、母である伏御愛佳ふしみあいかも亡くなってしまったが、その教えだけはいまもまさきの心の中に生きている。


(あ、あげる相手って誰だよ、まさくん…!)


 まさきが上京してからまだ1日も立っていないどころか数時間しかたっていないのである。しかも口ぶりからするに今すぐにでも渡せそうな雰囲気であった。しかしだからといって名前を明かさなかったということは、たまきの知らない者の可能性が高いわけで。

 いったい誰だ、誰が自分の可愛い甥っ子をたぶらかした! と内心動揺しまくって、仮想の相手にめらめらと燃えているたまきに気づかず、のほほんと笑うまさき。


「今日初めて会ったんだけど、可愛くってさ」

「今日初めて会った!?」

「え、うん。…どうしたの? たまちゃん」

「い、いや、なんでもない」


 たぶらかした相手とは今日初めて会ったらしい。しかも可愛い? この可愛い甥っ子以上に可愛い存在などいるものか。こんなにちっちゃくて髪の毛もふわふわしてる、子犬みたいな。愛玩動物の一種のような甥っ子に言われるくらいだ、相当のもんじゃなくちゃ許さねぇぞこらぁ! いや、相当のもんでももちろん許さねぇけどな、まさくんに女なんてまだ早い! だんだんおかしくなってくる思考に拳を握り燃え上がっているたまきに、まさきは首を傾げる。

 ちなみにまさきとたまきの身長差は20cm以上あるとだけ言っておこう。まさきの名誉のために、具体的な数字は伏せておく方向で。


「たまちゃん、本当にどうかした?」

「い、いや。えーと…うん、まさちゃんの『初めて』は俺のものって決めてたのになぁって」

「? なにそれ」

「初めてのお昼寝もお使いもぜーんぶ俺が一緒だったのにって話」

「僕もいたけどね」


 突如割り込んできた涼やかな声に、互いを見ながら話していたたまきとまさきがそちらを振り向けば。


「あ、湊兄ちゃん!」

「おはよう、まさくん」

「げっ、なんでお前いんだよ。っつか会話に入ってくんじゃねえ!」

「先輩に向かって『げっ』っていうのはないんじゃないかな、たまきくん」

「そうだよ、だめだよ。おはようございます、先輩」

「あ、まさくんは湊兄ちゃんでいいからね」

「ふざけんな、俺を名前で呼ぶんじゃねぇ! それとまさくん、こいつなんか先輩でいいから。めっちゃ他人行儀でいいかんな!」


 犬居湊の顔を見た瞬間、嫌そうに自身の顔を歪めたたまきにとは対照的に。まさきは玉都ではおなじみの隣家のお兄ちゃんに向かって勢いよく声をかける。

 犬居湊はたまきの幼なじみで、まさきが玉都に遊びに来たときには必ず一緒に遊んでくれたまさきにとっては優しくて面倒見のいい大好きなお兄ちゃんだ。

 久しぶりに会えた犬居湊にまさきはにこにこである。そんなまさきが面白くないたまきはますますがるるると犬居湊に犬歯を剥く。

 その様子は番犬が主人を守ろうとする様にも似ていて、犬居湊はそっと肩をすくめた。


「小さい頃はたまきくんももっと可愛げがあった気がするんだけどね…」

「馬鹿にしてんのか!?」

「た、たまちゃん。落ちついて」


 ざわっ。

 通学かばんを背負って登校していた生徒たち、たまきに話しかけに行った犬居湊にそっと手を合わせていた生徒会役員たちがざわめく。


 たまちゃん? 校内で近寄りたくない生徒ランキング堂々の一位である伏御たまきがたまちゃん!? あの見覚えのない小柄な生徒は殺されるんじゃないか!? 思わず足を止めた学生たちに、犬居湊は右腕にはめている腕時計を見て、声を張り上げた。


「予鈴5分前です、急いで教室に向かってください!」


 その言葉に生徒たちは足早に去っていく。小柄な生徒のことは気になるが、誰も新学期そうそう遅刻扱いされたくない。

 この言葉にこれ幸いとたまきも去ろうと足を速め、それについて行こうとしたまさきの腕をそっと取って、引っ張った犬居湊はまさきを抱きとめながら腰をかがめて耳元に囁いた。


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