第6話
「よし!」
「みぎゃ!」
すうっと息を吸って気合を入れると、大き目の鋏をもってしゃきんしゃきんしゃきんと切り出し始める。
一番得意なものにしよう。飾らなくていい、自分のできる精一杯でまさきを選んでくれたあの神さまに応えよう。
その思いだけで約5分、ほとんど息もせずにまさきは鋏を振るった。失敗なんて、2度目なんてないぎりぎりの緊張感、張り詰めるこの空気が好きだった。
やがて。
「あー…」
切り出し終わったそこには、ちょっと表面が白くなったけれど透明な金魚がいた。まだ色を付けていないのに、それは正確に金魚だと分かった。優雅な波を描く背びれ、ちょっと突き出た目、身体から尾にかけてはきゅっとくびれがあって、尾びれはまっすぐじゃなくてちょっと欠けたようになっている。そこにまっすぐな筋が入っていて。
透明なのに、いや、透明だからこそ飴細工師の技術が問われる。それは確かに今にも空中を泳ぎだしそうな金魚だった。
「うん、上出来!」
「みぎゃぎゃ!」
「あ、こらダメだって。これから表面あぶって色つけなきゃ」
「みぎゃ?」
「うん、色。金魚は赤いんだ」
「みぎゃ」
治小に出来上がった飴細工を見せると、さっそくじゃれようとしたがあわててまさきはストップをかけた。そう、まだ完成じゃない。表面をあぶって透明にすることと彩色という最も重要な工程が残っている。そうでなくても飴細工に飛びつくなんてさせはしないが。
電池で動く電気バーナーを右手、飴細工の刺さった箸を左手で持ち、表面をうっすらととかし始めるまさき。こうすることで微細な部分を整え、飴の表面を濁らせているわずかな凹凸を加熱することによって飴本来の透明感や艶感をよみがえらせる。
一旦電気バーナーを置き、まさきは鋏で細かい鱗を描いたり目を整えたり口を突き出したりして。生き物の躍動感や表情を整えた。
そしてそのまま、彩色に移る。細い色相筆で作った色を少しずつ塗っていく。まずは背中の部分から、艶のある真っ赤なものを使い、下に下がるごとに淡くなるように。尾ひれはすべて塗らず、先と縁のところだけ薄ーく薄ーく伸ばしたオレンジを塗り込む。目には薄めた黄色で飴の透明感と混ざって金に見えるように計算し、黒目の部分はぽつんと小さく。身体の横に描いた鱗の一枚にも少し黒みを帯びた赤を塗る。
そこまでやって、まさきはふぅと肩の力を抜いた。
「みぎゃ?」
「うん、完成だよ。これが金魚。その尻尾の持ち主で、お祭りなんかでよく釣れるんだ」
「みぎゃぎゃ」
「綺麗だね」
おそるおそる近づいてきた治小が、うかがうようにまさきを見上げてきたからGOサインを出す。途端にさっきまでの遠慮がちな仕草が嘘だったかのごとく突進の勢いで飴細工に近づく。金魚を治小の顔に近づけると、きらきらと目を輝かせその桜色の鼻をひくひくと動かして匂いを嗅ぐ。ついで、ぴょんぴょんと金魚の周りを駆け回る。その嬉しくてたまらないと言いたげな様子に、まさきの顔も緩む。
「みぎゃぎゃ!」
「これでいいのか?」
「みぎゃ!」
「…へへ、ここまで喜んでくれるなら、作ったかいがあったってもんだな。…てあ、ちょっと」
はにかんで照れ笑いをするまさきに、金魚の割り箸を持っている手からとことことよじのぼってきた治小はそのまままたすとんと胸ポケットの中へと入り込む。
そこから顔を出してご機嫌な様子の治小になにかを言うのも疲れてしまったまさきは、そういえば試験の途中どころか行う前だったということを思い出してはっと青ざめる。
咲玉藩のお抱え飴細工師であった父の死後、その役目は父の一番弟子であった男に引き継がれた。つまり咲玉城のお抱え飴細工師として現在工房長を張っているのはまさきとなんのつながりもない男なわけで。
一流の飴細工師になるため上京してきたまさきは自分の意思で咲玉城を出てきたということになる。いまさら咲玉に戻っても、咲玉城にはまさきの居場所はない。
さっきは治小の慰めに「なんとかなる」と返したが、もし見習いにもなれなかったらまさきは飴細工師としてはやっていけなくなる。片付けた道具たちをあわてて道具箱にしまい、その箱を右手に持つ。
「お、おれ。帰んなきゃ…」
「みぎゃ?」
「試験受けなきゃいけないんだ。あー、じいちゃんじゃなくて長、怒ってるかも」
「みーぎゃ」
「へ?」
大丈夫だよというように冷たい雲を履いた前足がぽっちりと青ざめて冷たくなったまさきの頬に触れる。そのひんやりとしているけれど、生き物独特の温かさと言えばいいのだろうか、子どものふくふくとした感じが心地よくて。
まさきはふと、目を閉じた。
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