4-4 決着

 腹部を貫かれたウェイルは、蒼髪の女が機工剣を引き抜くと、そのまま力を失って床に倒れた。

「ハァ……はぁ……」

 女は、乱れた呼吸をゆっくりと整え、涙で濡れた目元を拭うと、倒れ込んだウェイルの首筋へと機工剣を向けた。

「これで……終わりよ……」

 数瞬前の事を思い出す。戦闘で気が高ぶっていたとは言え、妙な泣き言を言ってしまったと思う。

「私は……所詮人形よ。言われたとおりに事を為すしかない」

 呟いて、剣を握る腕に力を込める。後ほんの少し動かすだけで、全て終わる。

 カタカタとレイピアの切っ先が揺れる。

「どうして……! どうして斬れないのよ!」

 どうしても、殺す覚悟が出来ない。蒼髪の女は不安に揺れていた。

「――――それは貴方が人形だからですよ」

 女の背後から、そんな言葉が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声。サイモン・アルティールだった。振返ると、その手には銃が握られていた。銃口は床に倒れたウェイルではなく、蒼髪の女に向けられている。

「所詮人形は人形。我らと同じ〈リワークス〉であっても、その本質は全く異なる様だ」

「ど……どういう事ですか……」

 問い返す女の声は弱々しかった。女にとってみれば、サイモンは今の彼女の主人なのだ。その主人がどうにも怪訝な空気だったら、不安になるのも当然だった。

 サイモンは芝居がかった口調で答えた。

「人形はヒトに従順でなければ意味がない。特に貴女の様なお人形さんはね。……もちろん反抗するのを無理に……、というのも征服心を満たしますから、一切合切抵抗しない、というのでも困るのでしょうが」

「っ……」女は、ガタガタと震えながら自分で自分を抱いた。サイモンの言葉で昔を克明に思い出してしまったのだ。

「とにかく困るのは、お人形さんに本気で抵抗される事です。最中に噛み切られてはたまったモノではありませんし、事後、眠っている間に首を絞め殺されてもたまらない。だから人形は遺伝的に改造されているのですよ。他者に対して決定的な悪意や害意、殺意の類を抱けない様にね」

 人の性格にはある程度万人に共通する性差がある事が知られている様に、人の性格のもっとも根本的な部分には、ある程度遺伝子が関与している事は今の時代では周知の事実だった。

「もっとも、それは悪いことばかりではありません。……我らが聖女は、人の感情を読み取る上で必須となるミラーニューロンも大幅に強化されている。つまり、人の感情に敏感だ。そこに幼さを足して考えれば、人のちょっとした悪意にも非常に敏感になるのは読めていた。だから、貴女の様な本質的に従順で害意と縁の無いお人形さんは、世話係として最適だったのですよ」

「だから……この街で売られていた私を買った……?」

「ええ、そして強力な武器を与え、聖女の世話係兼護衛にでも、と思ったのですが……、思った以上に貴方の意志は薄弱で、遺伝子に制御されている様だ。君は既に二回も、そこで倒れている少年を見逃している。これで三度目だ。これでは世話係はともかく護衛としては全く役に立たない。やはり人形は我ら誇り高き〈リワークス〉とは別物なのでしょう」

 忌々しい、とサイモンは吐き捨てる様に言った。

「さあ、剣のリアクターを止めて此方へ来なさい。貴方に似合いの部屋を準備してあげましょう」言葉尻も丁寧、表情も柔和なそれだったが、サイモンは明らかに蒼髪の女に侮蔑と嘲笑を向けていた。

「…………」女の歯はかみ合わずにカタカタと音を立て、足は震えていた。

 そしてしばらくの無言の後、女はうつむいて、

「はい、わかりました」

 と言った。


 予想外の展開だ、とウェイルは思った。

 床は冷たいし、傷口は痛いし、血は止まらないし、散々な状態だが、意識ははっきりとしている。

 ウェイルは元からこの蒼髪の少女を殺すつもりは無かったから、どうにかして隙を作って機工剣を奪う気でいた。そのために、仕方なく一撃貰って倒れて見せたのだ。

 機工剣で受ける傷は基本的に切断面が鋭利で痛みが少なく、覚悟していれば耐えられる物だ。しかもレイピアによる突きならば傷口自体も小さく済むから、実のところウェイルはそこまで大きなダメージを受けている訳ではなかった。母親由来の遺伝子のおかげかウェイルは失血にもそれなりに耐性があった。

 本来の予定なら、少女が自分目がけて止めの一撃を放とうとした瞬間を狙って押さえ込んで、逆に武器を奪うつもりだった。

 ところが、そこへ来てこの展開だ。予想外という他ない。

 しかし、サイモンの話は初耳だった。この蒼髪の少女に組み込まれているという事は、似た遺伝子を母に持つウェイル自身にも、その傾向は遺伝している可能性がある。

(リリィが妙にすぐ俺に懐いたのって、このせいだったのか……)

 リリィが自分に懐いていた理由が、こんな確固たる理論的原因によるものだと聞いて、ウェイルは多少衝撃を受けていたが、気分を悪くしたかと言うと、それ程でも無かった。

(トクベツ……ってのもきっと、そういう事なんだろうなあ)

 更に言えば、グレイが数多くいる孤児の中からわざわざウェイルを選んで拾ったのも、同じ理由だった。今はともかく、最初の時点では、グレイは本気で、潰しの効く駒くらいの気持ちで孤児を拾おうとしていたので、ウェイルの従順気味な性質を見込んでいたのだ。

(だからどうこう……って訳でもないけど)

 いつまでも寝転んでいると今度はサイモンに撃たれかねない。

 ウェイルは目に物を見せてやろうと心に決めた。



「――――一つ、我慢強くなる事」

 倒れ込んだまま、ウェイルは小さく呟いた。

「……?」

 蒼髪の女はウェイルの呟きに気付いたが、それ以上どうすることもなかった。

「――――二つ、演技が巧くなる事」

 呟きながら、ゆっくりと起き上がる。

 その姿は、女が影になってサイモンには見えない。

「――――三つ……」

 ウェイルはゆっくりと姿勢を整えると、右手で機工剣のトリガーを引き、左手でカタナに手信号を送り、

「卑怯になる事ッ!」

 そう叫んだ。

「何ッ!?」

 サイモンが驚いた様に叫ぶ。その背後から、カタナが窓を抜けて飛びかかる。その風切り音は、ウェイルの叫びと、サイモン自身の声でかき消されていた。

「ガ――」

 背後から、首筋を狙ってカタナが強襲する。そこに一切の加減は無かった。かぎ爪をたて、その首を引きちぎる位の意気だった。

「この爬虫類如きがッ!」

 サイモンは、流石〈リワークス〉とでも言うべきか、カタナの一撃に耐え、逆にカタナを振り払った。その首からはだらだらと痛々しい鮮血が流れていたが、気にする素振りは無い。

(我は爬虫類では無いわ戯けが! 鳥と蜥蜴の区別も付かぬか虚けめ!)

 カタナはそう叫びたかったが、飛んでいる最中には喋れないのだ。代わりに口惜しい思いをするしか無かった。

 サイモンがカタナに気を取られている一瞬の内に、ウェイルは距離を詰め、

「隙だらけなんだよ、この野郎ッ!」

 機工剣を以てサイモンの左腕を根本から切り落とした。本当は胴体を一刀両断する位のつもりだったのだが、ぎりぎりで反応されたのだ。

「ぐっ……、このなり損ないが!」

 サイモンは、ウェイルに向けて罵倒を浴びせながら、走り去っていく。何を置いても即撤退の判断が出来る当たり、サイモンは優秀な人間と言えた。

「ちぇっ、やり損ねた」

 ウェイルはつまらなそうにそう言うと、立ち止まって機工剣のシリンダーを交換し始めた。

 追撃するのは簡単だが、どうせ上に上っていけば最後には行き止まりなのだ。今は逃げた老人よりも、残された女の方が重要だった。見れば、立ち竦んでガタガタと震えている上、顔色も悪い。

(心的外傷……ってヤツだったっけ? 大丈夫か……?)

「で、助けてよって言われたから、とりあえず助けてみたんだけど、お礼の一言は?」

 ウェイルは出来るだけ軽薄そうなイメージを心がけて話しかけた。この手の人種は時たま無条件の好意を拒絶する傾向にある。自分やこれまで出会ってきた人間と全く違う行動方針を理解出来ないからだ。どちらかと言えば突っ返せる位の軽い悪意を込めて話した方が受け入れやすい。全て、ウェイル自身の実体験だった。

「っ……アンタも私の体目当てで――」

 ――ほら来た。ウェイルは深く溜息をついた。どんな言葉も裏を読んで悪く解釈するのは荒れて尖っている人間の諸症状そのものだ。

「理論が飛躍しすぎだ馬鹿。俺はお礼の一言は? って聞いたんだけど」

「何が……お礼よッ! これで私はまたただの商品に逆戻りだわ!」

「ああもう! いいよ面倒臭い。アンタの言いたい事は解った! んで、リリィの居場所は? それくらい教えてくれてもいいよね?」

「……十階。最上階よ。そろそろ連れ出す為のヘリが来るはず」

「うげ……」

 これは参った。上に行く分には逃げ道がないからいいや、と思ってサイモンを逃がしたのに、まさかのヘリ登場で完璧に予定が狂ってしまった。

 その上、タイミング悪く、外からヘリに特有のホバリング音が聞こえてきた。

「……カタナ、この人の事、頼んだぜ」

 左肩に止まるカタナに言う。

「委細承知! この小娘は我に任せて、さっさとリリィを助けに行くがいい」

 言って、カタナはウェイルの肩から飛び降りた。

「な……何なのコイツ……」

 蒼髪の少女が、おぞましい物を見るような目つきでカタナを観察していた。

「まあ……俺の友達かな」

 ウェイルは苦笑いを浮かべてそう言うと、踵を返して上へ上へと上っていった。

 何を置いてもまずは屋上のヘリを排除しなければならない。仮にまだ十階にリリィが居たのを見逃して、先にヘリを叩いてしまったとしても問題はないが、逆、リリィを探している間にヘリで連れ去られてしまってはどうにもならないのだ。

 階段を駆け上がり、屋上のドアに手を掛ける。外側からカギか何かを掛けられたのか、ビクともしない。機工剣でドアを切り裂いて屋上に出る。

「リリィ!」

 叫びながら屋上へと飛び出る。居た。サイモンにつかまれ、無理矢理連れられていた。その頭上では、ヘリがゆっくりと降下、着陸作業に入っていた。時間も残り少ない。

「ウェール!」

 ドアを破り抜いて現れたウェイルに気付いて、リリィが振り返った。

「もう大丈夫だ! 今助けてやるからッ!」

 とは言ったものの、どうしたものか。ウェイルはヘリから吹き付ける風に押し付けられて前に進む事すら出来ない状態だった。

「馬鹿がッ! こちらは戦闘ヘリだぞ! やれ!」

 サイモンがヘリへと指示を出した。ヘリはそれを受けて着陸を中断して、ゆっくりと機首をウェイルの方へと向けていく。その機首の下で機関砲が黒く光っていた。機工剣のAP流体障壁を貫通出来る様な物ではないとはいえ、無視出来ないだけの威力もある代物だった。

 AP流体障壁は、基本的には水面に準じる物で、言ってしまえばシャボン玉の膜を異常なまでに強化した物に近い。あまりに強力な攻撃を連続で受ければ形が歪み、いずれは破裂してしまう危険性があった。

 撃たれ始めたらどう転ぶか解らない。

 ――切り札を切る時だ。

 ウェイルは迅速にそう決断し、機工剣のトリガーを引いた。

 周囲に展開していたAPが全て刀身部に集まり、強い輝きを放つ。

 ウェイルは、すぅ、と一つ大きく息を吸った。これをやれば、確実にヘリは墜ちるし、乗っている人間は大怪我即死で当たり前だ。そこに忌避感を憶えるのは、先ほどサイモンが言った人形の遺伝子のせいだろうか。

 だが、ウェイルは抵抗こそ憶えても、躊躇する事はなかった。

 機工剣を大きく振りかぶり、

「こいつで――」

 振り下ろしざまに、トリガーから指を離し、

「――決めるッ!」

 緑色の閃光が斬撃となって宙を走った。

 AP循環刀身にAPの全てを無理矢理圧縮した状態から、急にそのAPへの圧縮、拘束を解けば、当然APは気体としての性質にしたがって急速に拡散する。この時、斬撃という形で、拡散するAPに勢いを付ける事で、AP圧縮循環刀身を、宙に飛ばしたのだ。

 密度がある程度保たれている内は斬撃として、拡散すれば衝撃波として、周囲に破壊をまき散らす最強最悪の用法だった。

「なッ?」

 サイモンが驚きの声を上げる。この用法は、試作品として最初期に作られたAPに対する拘束、制御の緩い機工剣でなければ実行できない物で、その上規格外の用法だったからサイモンが知らないのも当然だった。

 放たれた斬撃は屋上の床を削り、切り裂いて突き進み、そのままヘリへとぶち当たった。

 装甲が縦一文字に切り裂かれ、衝撃でヘリの体勢が大きく崩れる。

 ヘリはそのまま制御を失って墜ちていった。下の方から、他の建物に激突する鈍い音が数度聞こえてきて、最後には爆発音が鳴り響いた。

「全く……、人に向けて使うモンじゃないよなあ」

 ウェイルは、今更ながらに機工剣の威力にあきれかえっていた。サイモンがあっけにとられている内にシリンダーを交換する。本来周囲で流動させるはずのAPを全て解き放ってしまう使い方なので、シリンダーの中身が一気に減ってしまうのだ。

「さあ、リリィを返して貰うぞ」

 ウェイルはサイモンに向けて剣を振りかざした。



 グレイ・ハルバードは、ウェイルが落としたヘリの爆発音に気付いてハッと顔を上げた。

「ん……? 爆発……か? 火の手が上がっているな。先程ヘリの音も聞こえていたし……向こうも一通り終わったという事か」

 周囲を見渡すと、至る所に血痕や弾痕、あるいは焦げ痕がついていた。惨劇の嵐が過ぎ去った後の光景だった。

 グレイは自身の手を見て、乾いた血が張り付いて真っ黒になっている事に気付いて苦笑した。素手で人を殺めた証拠だった。頬を撫でれば、指先には軽く固まり始めた血がついていた。手鏡でもあれば、返り血に染まった悪鬼の顔が見られた事だろう。

「まったく……、こんな姿はあの子達には見せられんな」

 グレイは、ふぅ、と軽く一つ息をつくと、内ポケットから煙草を取り出しながら、

「こんなだから――――」

 誰にでもなく呟く。

 ウェイルを拾い、感化され、少しずつ自分も変わったかと思っていたが、やはり本質は人殺しの兵士だ。無駄に教育関連の教養を身につけて保護者ぶっても、所詮は真似事の域を出ない。リリィに対するウェイルの様にはなれないのだ。

「――――私は似非保護者どまりなのさ」

 グレイは、ライターを取り出そうとしてポケットをまさぐった。が、出てこない。

「はい、ライター」

 後ろから、聞き慣れた声が聞こえ、次いで、肩越しにライターを握った手が突き出された。

 グレイは、突き出されたライターで銜えたタバコに火を付けると、一口吸ってから、振り返った。

「……どうして、ここにいる。二人とも」

 グレイの前にはメイツハート姉妹が居た。

「どうしてもこうしても無いってのぉ。アンタぁ……病院の名前チラ見せして人集めたでしょぉ? それが私達の耳に入らないとでも思ってぇ?」

 リーディーは得意げに胸を張った。が、実際にメイツハート姉妹がグレイの企みを断片的に知ったのはつい少し前の事だった。

「要らん面倒に巻き込まない様、気を使ったつもりだったんだがな……」

「少し前に、計画の確認を、って電話があったんですよ。それで、私達にも伝わったんです。私達、てっきりウェイル君を手伝いに行ったのだとばかり思ってたんですけどね」

「……気の効かん連中だな……」グレイは軽く眉をひそめた。「まあ、心配を掛けて済まなかったな。ティータ女史」

「あるぇー? 私はぁー?」

「……お前には火の礼だけ言ってやる。これは素直に有り難かった」

 言って、グレイは手に持ったタバコを軽く掲げて微笑んだ。

「はいはい、どういたしましてぇー」

 リーディーは、不満たらたらと言った態で行儀の悪い答えを返した。

「とにかく、早く帰りましょうグレイさん。そんな格好じゃあ、ウェイル君達が帰ってきた時にびっくりしちゃいますよ」

「ああ、そうだな。……それにしても、子供に見せ場を譲るのも楽じゃあないな……」

「まったくもぉー」リーディーは相変わらず不機嫌さを隠しもしない。「なーにが、子供に見せ場を譲るのも楽じゃないな、よぉ。挙げ句に所詮私は似非保護者止まりなのさ、ですってぇ? 気持ち悪いったらありゃしないわぁ」

「出来ないなりに……必死にごまかして演じているんだ。せめてそこは粋だ、と言って欲しいね」

「だーかーらぁー、そういうのは粋じゃなくてキザったらしいって言うんだってばぁ」

「……ほーう? 前にリリィが妙な言葉を覚えていたが……、なるほどなるほど。やはり吹き込んだのはお前かリーディー?」

「ぅげ……」

 リーディーは妙齢の女性とは思えない、蛙の悲鳴の様な声を上げて顔を引きつらせた。

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