4-2 襲撃

サイモンがメイツハーツクリニックに現れてから数日の間、ウェイル達はいつもと変わらない日々を過ごせていた。

 厳つい男達や白装束を着込んだ怪しい物達が病院を襲撃してくる事もなかったし、外に出る時に尾行される様な事もなかった。

「リリィー? あんまりはしゃぎ過ぎるなって。迷子になるぞ?」

 そんな訳でウェイルは特に何かを警戒する事もなく、リリィを連れて街へ出ていた。

 グレイにちょっとしたお使いを頼まれたからだ。基本的にグレイはその手の小間使いを人に頼む事をしない人間だったので、今日に限って何を、と少し疑問に思わなくもなかったが、さりとて断る理由もなかった。

「大丈夫大丈夫。ヘーキだって」

 リリィは楽しそうに先へ先へと進んでは、振り返ってウェイルが追いつくのを待つのを繰り返していた。

ここの所、エルピスの一件が収まるまでリリィは病院に缶詰されていた状態だったので、外に出て浮かれるのも仕方のない部分があった。それが解っていたから、ウェイルもあまりきつく言うことはなかった。

 道すがら、ウェイルはずっと気になっていた事を聞く事にした。

「そういえばさ、リリィ。ずっと気になってたんだけどいいか?」

「ふぇ?」

「お前がいたあの廃墟って、俺以外にも、前に何人も人が来てたと思うんだけど、見つかったりしなかったのか?」

「あー、うん。来てたよ。怖い人がいーっぱい。リリィはいっつも隠れてやり過ごしてたの」

「隠れるって……、あそこそんなに隠れられる場所あったっけ?」

 思い返してみても、せいぜいがガレキの陰に隠れる位しか出来そうにない場所だった。

「リリィ、隠れんぼは得意なんだよー?」

 ふふ、とリリィが得意げに笑った。

 それで済む話か? とウェイルは首を傾げた。が、よくよく考えてみると、リリィは廊下を歩く足音でウェイルとそれ以外とを判断して、入ってくるのを待ち構えていたりするので、その感覚を頼りにすれば不可能でもないのかもな、と思い直した。

「でもさ、それなら、何で俺の時だけは隠れたりしなかったんだ?」

「んー。なんでだろ? 雨が降ってたから気付かなかったのかな?」リリィはそう言って考え込み始めた。「でも雨ってだけで解らなくなるんじゃ、もっと前に怖い人に見つかってるだろうしー……。うーん、わかんないや」

 リリィは、あっけらかんとそう言い放つと、でも、と続けた。

「でもでも! ウェールは他の怖い人とは違ったよ! ウェールはトクベツなの!」

「はあ?」特別と言われて悪い気はしないウェイルだった。にやけるのを隠す様に問い返す「何だよ、それ?」

「ウェールは怖くなくって、すっごく優しそうだったの。実際、ウェールは優しいよね!」

「なんのこっちゃ……」

 ウェイルは自分の事を、怖いか優しいかで聞かれたら……まあ後者だろうな、位には思っていたが、それとは何か違う気がした。そもそも、あんな廃墟に単身忍び込んでくる人間は少なくとも優しさとは接点がない様に思う。

「ウェールは解らなくってもいいんだよ。リリィだけが解るの。ウェールはやっぱりトクベツだよ!」

「だから、何なんだよ、それ」

 問い返すウェイルの表情はどことなく嬉しそうだった。

「ヒ・ミ・ツ、だよ!」

 言って、リリィはまたウェイルをおいて先へと進んでいく。

 そして、少し離れて振り返り、

「――ねえ、だから、信じてもいいんだよね?」

 微笑んだ。それは、遠い笑顔。

「ぇ……?」

 ウェイルの時間が一瞬止まった。リリィの笑顔が、まるで今にも壊れそうに思えた。何がリリィにそんな顔をさせるのか、解らない。

「――そんなの、当たり前だろ?」

 ウェイルがそう問い返した。

「…………そう、だよね。ありがと」

 返ってきたリリィの言葉は、どことなく弱々しく感じられた。

 ――ああ、やっちゃったよ。ウェイルは先日のグレイの言葉を思い出して小さくない後悔を覚えていた。

『その、語尾を疑問系にする癖は修正する事だ。自信の無さの表れだぞ? それではせっかくの正解も信用度が下がるだろう』

 その通りだと思った。相手が自信を欠いていては、信じる側だって不安になるのは当然だった。

 ――まあ、行動で示していくしかないか。

 ウェイルはそう結論すると、気を取り直してリリィへと歩み寄った。

 そして、ウェイルがリリィに追いつこうとしたその時、

「指示された通りね……。この子は私達が貰っていくわ」

 そんな言葉が聞こえた。

 直後、ウェイルは後頭部に痛みとも熱とも思える違和感が生まれ、次いで世界が傾き、最後には自分が地面に倒れたのを知った。

 ぼやけていく意識の中、後頭部に一撃貰って倒れ込んだのだと理解出来たが、それ以上は何も出来なかった。

 人形の子であるウェイルは、総じて常人より頑丈に出来ている。だから、辛うじて気絶する事は免れたが、行動不能に陥った、という意味では大差なかった。

 ――逃げろリリィ! そう叫ぶことも出来なかった。視界はほとんど死んでいて、目には映っているのに脳は理解出来ていないし、耳もほとんど聞こえない。

 こんな状態になるのは久しぶりだった。五感がほぼ剥奪されたウェイルは、返って冷静になっていく自分を認識していた。母親由来の遺伝子のおかげか、ウェイルは意識を手放す羽目になった事が一度もない。そういう時はいつも、代わりにこんな風にどんどん暗闇に押し込められていく感覚を味わうのだ。

「――ル! だい――。ウェール!」

 リリィの叫び声が聞こえてくる。次第に大きくなってきた事を鑑みるに、こちらに駆け寄ってきたのだと解る。視界にもその光景が映っているのだが、なぜかそれが理解につながらない。

 この調子だとすぐに耳も聞こえなくなっていくな、とウェイルは経験則に基づいた判断を下した。

「その――は、――対象外。殺せと――ている」

 聞こえてくる言葉の断片を元に文章を再構築すると、『その男は、確保対象外。殺せと言われている』あたりだろうか。勘弁してくれよ、と思うが、そもそも自分は今文句一つつけようのない完璧な行動不能だ。どうしようもない。

ウェイルには自分の迂闊さを呪う以外にやる事がなかった。白昼堂々こんな行動を起こせるはずがないのだから、おそらくは人払いか何かをしたのだ。冷静だったなら、周囲に他の通行人がいないことにでも気づけたはずだった。

「や――。リリ――――から!」

「…………。――――ない。この子――――のね」

 しばらくの間、リリィと誰かが口論しているのが聞こえていた。

 それもおさまると、最後、髪を引っ張って頭を持ち上げられる感覚が来て、

「見逃してあげる。あの子に感謝する事ね」

 と、聞き覚えのある声に、耳元ではっきりと囁かれた。だが、思いだそうにももう記憶の書庫へのアクセス権も剥奪されているらしく、まるで思い出せない。いくら思考がクリアでも、それ以外の部分は刻一刻と機能を失っていった。

声の主はエルピスのレイピア使いの女だ、とウェイルが思い出したのは、倒れていたウェイルがメイツハーツクリニックに運び込まれてから数時間経ってからだった。



 病院で意識を取り戻したウェイルは、すぐさまリリィを探し出すために飛び出そうとした。ウェイルの中で渦巻く様々な感情が、ウェイルにそれを強要していた。

周囲を警戒していなかった自分の迂闊さが許せなかった。簡単に奇襲を許し、一撃で行動不能になった自分が情けなかった。そしてなにより、リリィに庇われた自分が許せなかった。

 ベッドから飛び起き、自室に駆け込んでウェポンラックを開く。中から姿を現した鋼鉄の凶器は、血に飢えた死神の鎌にも見えた。――皆殺しにしてやれ。そうウェイルに語りかけてくる。

 力強く――物に当たるようにして――ドアを叩き開く。

 そこには、グレイが待ち構えていた。

「待て」グレイはただ一言、重くのし掛かるような言葉を告げた。

「どうして! どうして止めるんですかグレイさん!」

「……場所も解らないのに飛び出してどうする?」

 熱く焼けただれるようなウェイルの言葉とは対称的に、グレイの言葉は氷柱にも似た鋭さと冷たさを持っていた。ざくり、とウェイルにその言葉が突き刺さる。

「カタナが大まかな場所までは調べていた! 後は、そこまでいって手当たり次第に探せばいい! 連中が仕掛けてくれば返り討ちにすればいいだけでしょう!」

「ウェイル。お前の論には穴があまりに多すぎる」グレイは機械的である様に努めながら、言葉を紡いでいく。「場所が特定出来ていない以上、手当たり次第に探す事自体は、仕方ない部分もある。だが、そうやって自身の存在をエルピスの連中に喧伝して何になる。機工剣は確かに強力無比な兵器だが、APには限りがある。そしてなにより連中はその存在を知っている。対策されてしまえば脆い物だ。殺されに行く様な物だぞ」

 グレイの論は至極真っ当な物だ。今のウェイルにはそれを論破する事など出来るはずがなかった。

「グレイさんは……、いつもいつも正論ばかりをッ!」

「正論の何が悪い。常々言っていたはずだ。私は損得勘定だけで動くと。それは何も金に限った話ではないぞ?」グレイが突き放すように言う。

「…………ッ」

「――黙っていては話が進まん。それでは駄目だ。まずは、頭を冷やすんだな」

 そうだ。黙っていても何の意味も無いし、今の様に激情に駆られたままではどうにもならない。それ位の事は、ウェイル自身解っていた。

 黙り込んでいるウェイルに、更なる言葉が投げかけられる。

「あの子をここに連れてくる時にも言ったはずだ。本来、言葉にも出来ないような生ぬるい覚悟で命を拾ってくるものではない、とな。今回の事は、ずるずると惰性で日々を過ごして、その覚悟を考えなかったお前の落ち度だ。自身が救った命に対する責任感の薄さ、意識の緩さが今回の結果を招いた。お前、背後から一撃でやられたろう? 油断していた証拠だ。己が責任を理解していたのなら、油断などなかったはずだ」

 グレイの物言いは辛辣そのものだった。

 ウェイルは、つい反射的に「グレイさん達だって油断していたんでしょう!」と叫びかけたが、すんでの所で思いとどまる。

リリィの事について主たる責任がウェイルにあるのは、間違いない事実なのだ。

「感情だけで行動していいのは子供だけだ。お前はもうただの子供ではないだろう?」

(なら、どうすればいいって言うんだッ……)

 ウェイルは自問する。

 このままグレイに言われるがまま、リリィを見捨てる? あり得ない。それは感情が許容できない。

 だが、それでは駄目だ。感情では決してグレイを説得できない。世界は決して感情論では動かない。世界を動かすには感情ではなく知性が、計算が、理論が必要だ。

 ――俺はもう、リリィの為にも、ただ感情を顕わにするだけの子供ではいられない。

 カチリ、と、パズルのピースがはまる音がした。ウェイルの脳内で急速に理論が組み立てられていく。

「グレイさん。聞いてください」

「ほう?」グレイが愉快そうな声を上げた「どうした、言ってみろ」

「やはり、俺達にはリリィを救出する必要があります――」

 ウェイルは淡々と、感情を排して理屈だけを並べていく。

 エルピスの目的は、リリィの身柄にあったが、その理由の一つには〈ピリオド〉のゲノムデータの調達と独占、拡散の防止があった。その観点から考えれば、リリィのゲノムデータを読んだ可能性のあるメイツハーツクリニックの面々は全員エルピスにとって邪魔者でしかない。

 その上エルピスは、自分たちを騙してまでリリィを強奪している。となれば、次には自分たち全員を消しにくるのは明らかだ。

 それを防ぐには、エルピスの実行力を削ぐか、再び攻撃されない理由を作るしかない。

 エルピスは全貌の知れない組織だから、その実行力を削ぐというのは方法として確実性を欠く。幸いな事に、こちらには機工剣があり、その運用においても一日の長がある。無理さえしなければ、現時点で街に存在する分だけの戦力を相手に、リリィ一人を奪還する方が遙かに簡単なのだ。

「――こう考えれば、リリィを奪還する必要があるのは明らかです」

 ウェイルの語尾は力強い断定形だった。

「言うようになったじゃないか……」グレイは、胸ポケットから煙草を取り出して、ゆっくりと火を付けた。煙草の煙と一緒に、別の何かを味わう様な仕草だった。

「確かに、お前の言う事にも一理ある。それに、そこまで言えるだけ冷静なら、もうミスも犯さんだろう。解った……。それから、エルピスの所在地だがな、三度目の正直と言うべきか、あの阿呆鳥が今度こそ特定してくれたぞ。連れ去られたリリィを追いかけたらしい。今は外で準備させてあるから、さっさと合流してやるといい」

「あ……ありがとうございます」

「礼を言われるような事をした覚えはまるでないんだがな?」

「それでも、ありがとうございます、グレイさん」

 ウェイルは、グレイに向かって一礼すると、階段を下り、玄関へと向かっていく。途中、リーディーとティータに呼び止められた。

「あらぁ? もうお出かけなのぉ?」

リーディーのいつも通りの間延びした調子で話しかけられると、自然と気も緩む。ウェイルは、自分の緊張がいい具合にほどけていくのを感じていた。

「ええ、早く行って、安心させてやらないと」

「お姫様を救い出す白馬の王子様ってヤツぅ? それともナイト様かしらぁ?」

「からかうのは止してくださいよ……」ウェイルは苦笑した。

「からかってる訳じゃないんだけどねぇ。格好いいじゃない、ナイト様なんて、ねぇ? ま、ウェイルがナイト様なら私は差し詰め助言を与える良き魔女って所かしらねぇ?」

「姉さん、世間話はいいから、ホラ、アレ」

 ティータにそう促されると、リーディーはそのはだけた胸元から、三本の試験管が入ったケースを取り出し、ウェイルに差し出した。

(な……なんてとこに物入れてるんだこの人は……)

「あらぁ……? 渾身のネタのつもりだったのにレスポンス悪いわねぇ? だめよぉ、もっとツッコんでくれないとぉ……」

 ウェイルの反応が不満だったのか、リーディーは口を尖らせた。

 はあ、とウェイルは大きくため息をついて、

「いつでも相変わらずですね、リーディーさんは」

 柔らかく笑いながら、差し出されたそれを受け取った。

「それはねぇ……って、説明しなくても知ってるわよねぇ。ティータの秘密道具。私がヤる時なんて、ほらぁ、メス投げるとかしかしないからぁ、ウェイルでも使えるのって、やっぱりティータの薬品類しかないのよねぇ」

「……、その、知ってると思うけど、それ、危ないから気をつけてね?」

「ええ、解ってますよ。とにかく、ありがとうございます」

 言って、ウェイルは歩き出す。その背後から、

「お礼はいいからちゃんと二人で帰ってきなさいねぇー」

 と、声がかけられる。

 玄関ドアの前で、ウェイルは一瞬立ち止まった。

 目を瞑って考える。

(きっと仕組まれてたんだろうなぁ)

 グレイの説教といい、待ち構えるようにしていたメイツハート姉妹といい、明らかに、こうなる様に誘導されている。

「行こう」

 ウェイルはそう呟いて、一歩前へと歩み出した。

 この暖かい場所に、二人で帰ってくるために。



 ウェイルが出て行った後のメイツハーツクリニックのリビングでは、残った大人三人組が悠長に寛いでいた。

「ホントに行かせて良かった訳ぇ? 結構危ないんじゃないのぉ?」

 テーブルにぐでんと上半身を投げ出しながら、リーディーが言った。

「それはそうだろう。だが、信じてやるより他に無いさ」

「ウェイル君ならきっと大丈夫ですよ。信じて待ちましょう。それに、私達には私達で、ここを守っておく、っていう大事な仕事があるじゃないですか」

 言いながら、ティータは無言で、笑顔で、情け容赦なく、リーディーの服の首もとをつかみあげて無理矢理リーディーを起こした。うげぇ、とわざとらしい悲鳴がこだまする。

「だらしないです、姉さん」

「うっさいわねぇー。英気をやしなってるのよぉ。最悪逃げ帰ってこれるように準備しといてあげないとぉ」

 メイツハート姉妹が年甲斐もなく仲良くしているのを余所に、グレイはちらちらと腕時計を見やっていた。

 少しして、グレイが一人立ち上がった。居ても立ってもいられない父親を演じきっていた。

「さて、少し外の空気を浴びてくる。戻るのは遅くなるだろうが、心配はしなくていい。何もないとは思うが、留守は頼む」

「はいはい。それにしても、素直じゃないんだからぁ」

 リーディーのわざとらしい呆れ声が、グレイを優しく撫でた。

「――粋だ、と言って欲しいね」

 グレイはそう言って、振り返らずに出て行った。

 二人は、グレイの企みをまだ何も知らない。

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