第四章
4-1 裏切り者達
恐れていた日が、ついにやってきた。
病院のいつも通りのロビー、いつも通りの喧騒の中に、招かれざる客人がやってきたのだ。白いスーツを着こなした、白髪の目立つ初老の男だった。それだけなら、あるいは普通の患者だと考えられなくもない。だが、胸の不自然な膨らみや、その佇まいから、その男が堅気でない事はすぐに見て取れた。
侵入者を前にして、ロビーに居た者達は皆が皆押し黙った。メイツハーツクリニックには時たま物騒な人間──大抵が医療費請求に不服を申し立てに来た組織の使い──がやってくるので、患者たちも慣れたものだった。静けさが受付を満たす。
「ッ……」
ウェイルはその日も受付に入っていた。自分でよかったと思う。事情を知らないパートタイマーが入っていたら、確実に対応が遅れただろう。
「リリィ」
小さな声で、奥の廊下にいたリリィに呼びかける。
「静かに部屋に戻って、大人しくしてるんだ。いいね?」
ウェイルの押し殺した声や表情から、ただならぬ物を感じ取ったのか、リリィは素直に頷いた。
「うん、解った。…………後でちゃんと説明してね?」
「あ、ああ」
参った、また先送りにしてしまった。ウェイルは先の事を考えて軽く憂鬱になったが、今はとにかく目先の脅威をどうにかしなければならない。
「すまない」
ウェイルに向かって声が掛けられる。
(──? この声、聞き覚えがある?)
「どうなさいました? 初診の方でしたら、こちらの用紙に……」
とりあえずは、決まったテンプレート通りの応答を返した。
「いや、違うんだ」
(そりゃ見れば解るっての……)
自分で言った事だが、内心でツッコミを返さずには居られない。わざわざ白いスーツを着てくる当たり、間違いなくエルピスの人間だろう。
「ここの責任者、メイツハート姉妹か、グレイ・ハルバード氏に繋いでもらえないだろうか」
「何のご用件でしょう?」
「出来うる限り内密にしなければならない話でね。申し訳ないがここでは言えない。何、受付に怪しい男がやってきた、と言えば、呼び出せるだろう? それに──」
男が、声を小さくして、ウェイルにだけ聞こえる様に続けた。
「──それに、せっかく見逃してもらった命、ここで捨てたくはないだろう?」
(こいつ……、あの時の男ッ!)
思い出した。路地裏で奴隷商二人をリンチにしていた集団の頭。ウェイルの機工剣を一目見てそれと見抜いた男だった。
ウェイルは全身の血が冷えていくのを感じていた。さようなら穏やかな日常。こんにちは殺伐な非日常。スイッチが明確に切り替わる。
「ここでドンパチする気か、アンタ」
「そのつもりがないからこそ、君に代表者を呼ぶように頼んでいるんだよ? いいかい?これはお願いであって命令じゃない。彼らが病院の仕事で普通に忙しいというのなら待ちもするし出直しもする。紳士的に行こうじゃないか」
その言葉は、事実紳士的その物だった。口調も穏やかで、敵意の欠片さえ感じない。この男がおそらくはエルピスの人間だ、という前提さえ無ければ信用に足るものだった。
「……、解りました。少々お待ち下さい」
よくよく考えれば向こうがここで強硬手段に出る理由は見当たらない。もしそうするつもりなら、もっと別の時間帯を選ぶことも出来たはずだし、もっと大人数で強襲する事も出来たはずだ。少なくとも、今の状況下でこの男が荒事に及んでも、この男自身に如何ほどの利点もありはしないのだ。
ウェイルは、冷めた非日常の感性で客観的にそう判断を下し、大人しくグレイを呼ぶ事にした。ここで断って後に尾を引くほうが、こちらとしては扱いにくくなる。
一度奥に下がり、診療にあたっていたグレイに事を説明する。次いでリーディーの私室のドアをこれでもかと言うほど連打してリーディーを叩き起こし、同じ様に事情を説明して診察をグレイと代わって貰った。
この手の交渉事を任せられるのはグレイしかいないのだ。
手筈を整えて、受付に戻る。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
「誰が、会ってくれるのかな?」
「今、メイツハート姉妹は診療中ですので、グレイしか空いている者が居ない状況でして……」
本来、この病院の責任者と言えるのはメイツハート姉妹なので、一応姉妹を立てる様な発言をしてみたが、男は「ふむ、そうかね」と一つ頷くだけだった。
一階の奥に進み、第三診察室──平時使わない、重篤な患者やその家族に説明を行う際にだけ開く診察室──に通す。この病院には応接室などという気の利いたものは存在しないので、仕方なく代用する形だ。
ドアをノックし、男を中に通す。
「ようこそ、こちらへどうぞ」
中で待ち構えていたグレイが、男を招きいれた。ドアの手前に立つウェイルに声をかかる。
「ご苦労だったな、ウェイル。下がっていいぞ」
「はい。それじゃ、よろしくお願いしますね」
──本当に、よろしく頼みますよ。
ドアを閉めるウェイルの瞳は、グレイにそう訴えかけていた。
「ようこそ、はじめまして。……今日はどういったご用件で?」
ドアが閉まり、足音が遠ざかっていくのを確認してから、グレイはゆっくりと口を開いた。
一応尋ねはしたが、用件など読めていた。
「まずは、自己紹介からさせて頂きましょう、私は──」
「サイモン・アルティール」
男がもったいぶった自己紹介を始めようとしたが、グレイがそれを遮った。
グレイは、実際に顔を見るまでは、腹の探りあいに付き合ってもいいだろうと考えていたが、今ではその気も失せていた。
──大物が出てくるのではと思っていたが、まさかこれほどとは。
「おや……、私の事をご存知でしたか」
「良く、知っているさ。何せ私はCEの軍人として戦っていたのだからな。貴様の名を知らない理由はない。元、NCG陸軍技術研究所副所長、サイモン・アルティール。貴様の顔写真はターゲットリストにキッチリと乗っていたよ。今ではKKKまがいの秘密結社の重要人物リストに名を連ねているのだろうな」
「ほう」
サイモンは、愉快そうに口の端を吊り上げて答えた。
「ところで実は私も、あなたの事を良く知っているのです。グレイ・ハルバード……。いや、昔の渾名でお呼びした方がよろしいかな? シルバーブリット、と」
「その位は掴んで当然という訳か」グレイが脳内で素早く算盤を弾いた。相手が自分の事を知っているというのなら、利用出来る。「話が早くて助かるな」
「ええ、あなたも私達の間では有名でしたからね。兵士達はいつも噂していましたよ。決して銀弾にだけは会いたくない、とね」
「それはすまない事をしたな」
クク、とグレイはくぐもった笑い声を響かせた。その口元は三日月の様に歪んでいる。
「それで、貴様達の用件は、あの小娘の事か?」
「ええ、理解が早くて助かります」
「〈ピリオド〉の少女。あの異常とも言うべき頭脳と可憐な容姿。貴様達の様な胡散臭い組織にとってはあれほど象徴性の高い存在もいないだろう。加えて未だあの小娘は無知だ。早い段階で確保して教育すれば、都合のいい神輿として祭り上げるには十分という訳か」
「……良くお解かりですな。〈ピリオド〉へと至る道筋は壊れてしまいましたが、あの少女さえ居ればいずれまた道は作り直せる。人類は皆、その高みに上ることが出来るのだと、世界に教える為には、彼女が必要不可欠なのですよ。彼女には現世の聖母になって頂かなければならない」
サイモンの語り口は、まさに夢想家そのものだった。夢に溺れ、夢に憑かれ、夢に酔っている。
グレイが知る限り、このサイモン・アルティールという男は、戦前から戦中にかけて辣腕で知られた研究者であり、数々のゲノム技術の軍事転用を実現化させてきた人間だったが、それが目の前の男と同一人物だとは、にわかには信じがたい。
「狂人が……」グレイは小さく呟いた。
だが、これならばまだ組しやすいかも知れん。グレイは内心でそうほくそ笑んでいた。この手の自身に酔って見当違いのプライドを掲げる連中は扱いやすいのだ。
「ここまで言えば、私達の言いたい事はお分かりでしょう。あの少女を我々エルピスに引き渡していただきたい」
「タダで寄越せと?」
「無論そうは言いません。可能な限りの物は支払わさせて頂きますよ」
「そして金を渡した後、後ろからズブリと刺す訳だろう。貴様達が、〈ピリオド〉のゲノムデータを一度でも読んだ可能性のある私達を見逃す理由が無い」
「良く……お解かりですな」サイモンは否定しなかった。
「外道に落ちた連中がやる事など、古今東西を問わず似た様な物だ。──勿論それは、私にも言える事だがな」
「…………と言うと?」
「貴様、私の事を知っているんだろう? なら話は早い。私と貴様、いや、私とあなたは、仲良くできるかも知れない、そうは思わないか? ビジネスライクに行こうじゃないか」
「何がいいたいのです?」
サイモンが怪訝そうな表情になった。グレイの胸の内を測りかねているのだ。
「私が、戦前から戦中にかけてキサラギ・インダストリーが秘密裏に開発した戦闘用の改造人間……サイボーグなのは知っているのだろう?」
これは当然、メイツハーツ姉妹も、ウェイルも知らない事だった。知っているのはカタナだけだ。
「ええ、そして戦前から戦争中期にかけて政争に一切の感心を示さなかった如月グループは、旗色がハッキリと分かれてきた段になってようやく焦りを覚え、懲罰から逃れる為に戦争後期、急に〈オリジン〉陣営に擦り寄った。あなたはその一環として開発されたばかりだったAP技術……機工兵器と共にCEに給与された。でしょう?」
「良く、ご存知で」
「キサラギのトマホーク部隊と言えば、有名でしたからな。ハルバードという姓は、ここにかけているのでしょう? トマホーク部隊第四十七番固体。それが昔のあなたの名前だった。今のあなたの身分など、その殆どが偽者だ。こちらで調べた限り、医師免許だけは本物の様ですが」
「ああ、色々と事情があってね」
グレイが診断医の資格を取ったのは、二十三歳の時の事だ。戦争が終結して、軍から逃げ出した後、六年をかけて正規に取得した。グレイが常々ウェイルやメイツハート姉妹に語っていたカバーストーリーとは順番が逆なのだ。
リーディーがよくグレイの年齢の事を突っ込んでいたり、おじさま呼ばわりするのも、実を言うとこれが原因だった。リーディーはグレイの語るカバーストーリーが年齢的に無理のある物だと気付いていたから、それとなく突っついていたのだ。
「ご存知の通り、通常の遺伝子強化人間と違って、改造人間と言うのはデリケートだ。如何に私がカテゴリ〈マスターピース〉であっても、臓器や筋肉組織の大半が機械に置換されている様な体では、どうにもならない」
グレイが態々診断医の資格を取ったのはここにも理由がある。信用ならない自分の体を正確に診断出来る様になっておけば、軍の支援を受けられない環境下でもなんとか自己保全できると考えたのだ。
「私はね、いい加減この生活に疲れたのさ。いつイカれるかも解らない不安に付き合うのはね。かと言って今更CEに戻ろうにも、私達は彼らにとって暗部そのものだから、殺されるのがオチだ。そこで、あなた達が現れた、という訳さ」
「我らが同士になりたい、と?」
「そういう事だ。幸いな事に人殺しの能力は十二分に備わっているからな。いくらでも働ける、という訳さ。あの小娘をここに置いたのは、単に利用価値がありそうだったからだが、そこにあなた達が現れた。私はあの小娘を手土産にあなた方に加わる。私は今より安定した支援が受けられる様になり、自壊する心配もなくなり、この力を発揮できる場所も得られる。あなた達は、都合のいい神輿と、便利な駒を手に入れる。どうだろう? 双方にとって悪い話ではないと思うのだが」
「…………、あなたは戦争中、私達の同胞を数多く殺した怨敵だ。だが、それは戦場に出る者達にとっては一つの必然。ただ、弱肉強食の理が働いただけの事……」
「昔の事を水に流してくれとは、言わないさ」
少し悩む様な素振りを見せた後、サイモンはゆっくりと頷いた。
「よろしい。私達は、我々の輝かしい未来の為に手を取れる。そう、手を取り合って進んでいけるのです。歓迎しますよ。ナンバー47……、いや、グレイ・ハルバード」
そういって、二人の裏切り者達は、人知れず握手を交わした。
「――と、言うわけで、だ。連中もここにばかり構っていられないのだろうな。とりあえず所在さえ掴めていれば文句はないらしい。私達がリリィを保護している限り当面は問題ない、とさ」
夕飯を終え、リリィを一人部屋に帰してから、グレイはサイモンとの交渉の過程と結果――もちろん適当にでっちあげた作り話――を説明していた。
「問題を先延ばしにしただけ、と言えばそうだが……、まあそれは仕方がない。何にせよ、あの男が比較的良心的で助かった、と言うことだろうな」
「一段落付いたって所ですか?」
というウェイルの問いかけに、グレイは頷いた。
「ああ、基本的にはそう思っても問題ないだろう」
ウェイルは、それを聞いてほっと胸をなで下ろした。グレイはウェイルを見て軽く目を伏せたが、それが一体どんな感情を示しているのかは解らない。
カタナが、つまらなそうに、
「全く。これでは我が苦労してあの女を追いかけた意味がなかったではないか。巧くやれなかった我の言える義理でもないが、な……」
それだけ言って、毛繕いを始めた。
カタナは、先日ウェイルがエルピスと接触した際に、空からの尾行に失敗していた。更に言えば、サイモンが帰る際にも尾行して、やはり同じ様に失敗していた。見失った、あるいは消えた場所から、ある程度の地域は絞れていたから、完全な失敗と言うわけでもなかったが、カタナの矜恃には小さくない傷が付いていた。
それだけでもカタナが不機嫌になるには十二分な理由だと言うのに、更にそれが徒労に終わったとなれば、カタナが苛立ちを覚えるのも無理はない。しかもやり場のない類の物だから尚更始末に負えない。
「そういうなよカタナ。あの時はどう転ぶか解らなかったんだし」
「…………」
カタナはムスっとしたまま――但しそれが解るのはウェイルだけだが――無言を押し通していたが、
「拗ねちゃってまぁ……。カタナちゃんって、案外子供ねぇ?」
と、リーディーがからかうように言った途端、
「ふ……巫山戯るな! 我を愚弄するかこの女医め! 我のどこが子供だと言うか! そもそも前から言っておるが、その様な風に我を呼ぶでないわ!」
と激昂した。
リーディーがげらげらと、ティータがくすりと、グレイがフッと鼻で、それぞれ笑った。
ウェイルが全員を代表して言った。
「そういうトコロが子供って言われる原因じゃないかな……」
「くっ……不愉快である!」
カタナはそう言ってテーブルから飛び上がったが、外に出ようにも全ての窓が閉まっている事に気づき、一層不機嫌になって部屋の隅へと行ってしまった。
ウェイルは、カタナを慰めようかどうか悩んだが、
「……ところでウェイル。あの阿呆鳥の事は置いておいて、お姫様の方はいいのか? ここの所不穏な空気続きだったからな。安心させてやったらどうだ」
とグレイに促されたので、カタナは放っておいて自室に戻ることにした。
廊下を歩き、自室へと戻る。ドアの前まで来て気づく。半開きになっていた。
「ただいまー、っと。リリィー? ドア、半開きになってたぞ?」
「ぁ……。おかえり、ウェール」
リリィは相変わらずウェイルの事をウェールと呼んでいた。
舌っ足らずな幼子ならまだしも……、と思わなくもないが、別に何かしら害がある訳でもないので、ウェイルも別に気にしてはいなかった。
「……?」リリィの声に元気がない。ウェイルは首をかしげた。「どうしたんだ、リリィ。大丈夫か?」
「んー。多分、大丈夫」
「多分って何だよ多分って……」
「あのさ、ウェール」
リリィはじっとウェイルの目を見て、言った。
「ウェール、わたしにいろんな事、隠してる?」
「何の事さ?」
ウェイルは、何のことだか解らない、といった風で問い返した。
実際、ウェイルにはリリィが何の事を言っているのか判断できなかった。色々と心当たりがあり過ぎる、という悪い方の意味で。
「むー……」リリィは心底不機嫌そうに口を尖らせた。じっとウェイルを見つめている。その瞳は、ホントに解らないの? と無言で問いかけている様でもあった。
ウェイルは内心でかなり居辛い物を感じていたが、逃げ出す訳にもいかなかった。かと言って、おそらくリリィが知りたがっているであろう事を言ってしまうわけにも行かない。それらの事はきっとリリィはまだ知らなくてもいい事だった。
しばらく、にらめっこにも似た無言の状況が続いたが、しばらくして、リリィが折れた。
「ん……。いいよ、ウェイルが何も隠してないなら、いい」
「そうそう、何も心配する様な事なんてないさ」
その言葉は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
ウェイルは、リリィが自分のことをウェイルと呼んだことに、最後まで気付かなかった。
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