3-4 繋ぐ思い

「お前は馬鹿か?」

 帰って一通りの報告を済ましたウェイルに、一切合財の容赦なく、飾り気の無い言葉が放たれた。リリィも既に寝てしまったので罵詈雑言を発するにしても気兼ねが無い。グレイは不機嫌そうに続ける。

「接触を避けろと言ったその日に自分から接触するだと? お前の頭は鶏と同じレベルなのか? 阿呆鳥と同じ次元だぞ? 挙句の果ては機工剣を抜き、それと見抜かれただと? この街で個人用機工兵器を運用しているのは私達しかいないんだぞ? 全く……」

 グレイは滅多な事では怒らないが、今回は事情が違うらしい。流石に、警告されたその日の内に禁を犯したとなれば、腹立たしくなるのも致し方ない。

「まあまあ、グレイさんも抑えてください。ね?」

「そうよぉ、何はともあれ結果として人助けをしたんだからいいじゃないのぉ」

 とは言え、やはりと言うべきか助けた相手は奴隷商だった。ウェイルからすればあまり嬉しい結果とは言い切れない。

「それはそうかも知れないが……」

「ホント、すいません」

 ウェイルが頭を下げた。

「……いや、解った。過ぎた事を言っても始まらん。その事はもういいとしよう」

「一応、カタナに尾行は頼んでおきましたけど……」

「ほう、解っているじゃないか」グレイはそう言って頷いた。本来はそれだけをすればよかったのだがな、という台詞はぐっと飲み込んだ。その事はもういい、と言った手前、またそれを言い出すのは大人げが無い。

「しかし、エルピスにも困ったものだ。こうも手当たり次第に襲い掛かるようではな」

 表の世界に法律を基底とする社会のルールがある様に、裏の世界にも様々な不文律を基底とする無法者なりの法がある。それを無視して暴走するエルピスは、日陰者達の間でもやはり邪魔者でしかない。

「やんちゃが過ぎれば、結局は爪弾き物にされる事くらい連中だって解っているはずなのだがな。おかしいとは思わないか? ウェイル」

 ウェイルの経験上、グレイがこうして自分に思わせぶりな発言を振ってくる時は、大抵が自分の事を試している。とはいえノーヒントに近い状態では流石に厳しい。ウェイルは確認の為に問い返した。

「何か理由があるんじゃないか、って事ですか?」

「そうだ。多少派手にやらなければならない理由、あるいは派手にやっても困らない理由。そのどちらかがあるのだろう。お前はどう思う?」

 考える。自分がこれまで知りえた知識だけで、この問題への解答は作れるはずだ。

 ウェイルは少しの間目を細めて考え込んでいたが、すぐにピンと来たのか、顔を上げた。

「──リリィですか」

「…………何故、そう考えた?」

「リリィが居たあの廃墟、あれって新中央政府の施設だったんですよね? なら、その新中央政府の残党が居るであろうエルピスも、当然あの施設の事、リリィの事を知っている可能性があります」

 例えば、ウェイル達の知らない間にエルピスの誰かがリリィの居た廃墟を調査しリリィの生活痕だけを発見したとしたら、彼らが焦りを覚えて派手な行動に移っていく可能性は十分にあった。ましてや、エルピスは元から騒ぎが一定以上になるとすぐに別の街へと活動拠点を移して行くと言うから、仮にニューデイズに居辛くなったとしても、大きな問題にはならない。

「──とまあ、こんな感じですかね?」ウェイルは自身の所見を一通り披露して見せた。

「ああ」とグレイが頷き、

「その、語尾を疑問系にする癖は修正する事だ。自信の無さの表れだぞ? それではせっかくの正解も信用度が下がるだろう」

 と、素直に褒められない大人の典型の様なセリフを吐いた。

 カタナがここにいたら、『そうやって何かしら難癖をつける癖を修正するのだな。捻くれ物の証であるぞ。それでは人にも信用されなくなるという物だ』とでも言った事だろう。

「リリィちゃん狙い、ねぇ……」

 困ったモンねぇ、とリーディーがお手上げのジェスチャーをして見せた。

「百万歩譲ってぇ、里親にでもなってくれる、っていうなら考えない事もないかも知れないけどぉ。聞いてるとそんな感じにゃ聞こえないわよねぇ」

「おそらくバラそうとはしないだろうから、他所と比べればまだマシだろうがな」

「どれだけ低次元な争いなんですか……」ティータが困った様に言った。解剖しないだけマシ、とは如何な物か。

「それ位、我々が善人だという事さ。我ながら、信じがたいよ」

 グレイの言葉にウェイルが眉をひそめる。グレイがこういう風に自分を悪く言う度、ウェイルはなんとも言い表せない気分になるものだった。

 ウェイルはグレイが自分の事を決して良く言おうとしない事は身に染みて知っていたし、グレイが単なる善人では、決して無い事も知っていたが、それでも素直に受け入れられる物ではなかった。

 親が自分の事を悪く言うのを喜ぶ子供など、いやしないのだ。


 ある昼下がりの事。ウェイルは自室に居るにもかかわらず、落ち着かない思いをしていた。溜息ばかりついている。溜息を吐く度に幸せが逃げる、という話が本当なら、世界一不幸な男になれそうな勢いだった。

「どうしてこうなった……」

 思わずそう呟くウェイルの前には、余りにも不自然な光景が広がっている。

 リリィが、工具片手に鮮やかな手並みで機工剣を解体しているのだ。

 機工剣のパーツが床に整然と並びたてられていく。起動用補助バッテリー、AP活性化機関、流体動線発生装置──。リリィはそれらのパーツを一つ一つ指差して確認していった。

 ウェイルは、頭痛を堪えるように軽く目頭をつまんだ。

 つい先週、先々週までの積み木やら何やらが転がっていた床を思い出す。違和感を覚える所の騒ぎではない。幼児あるいは子供向けの玩具が、いつの間にか専門家で無ければ解らない様な機械とすり替わっているのだ。

 ホップ、ステップ、ジャンプじゃなくて、ホップ、ステップ、ワープ。

「ああ……、頭いたい……」

 ウェイルの脳は目の前の光景を素直に受け入れる事を拒否していた。頭痛という形で抵抗してきているのがいい証拠だ。

 どこで間違えてこんな事になったのか。原因を探るべく記憶を辿る。

 事の始まりは、ウェイルが自身の本業である特殊な医療費請求について、肝心な所を濁してリリィに説明した事だった。

 ウェイルとしては、まさか全てを包み隠さず話す訳にはいかなかったから、これは当然の事だった。

 だがそれは、リリィからすれば、一時後回しにされた質問の解答が思ったほど良く出来た物ではなかった、という事になる。当然不満も大きかった。そうなると、満足行くまで追求を止めないのが子供の性だ。

 とはいえ、ウェイルはグレイ達大人組ほど人生経験豊かな訳ではなかったから、怒涛の如く質問を投げかけてくるリリィをあしらう術など知るはずもなかった。

 ましてリリィは賢い。言葉を覚えて一月と経たないこの少女の質問は、ウェイルの誤魔化しを的確に突いて来た。

 そして何十分にも渡る追求の末、ウェイルはカタナの「何処かしら落とし所を見つける他あるまい」との助言を入れる事になった。

 その落とし所として選ばれたのが、機工剣だった。

 機工剣は確かに兵器だが、圧縮AP液が無ければ只の鉄塊に等しい。高度で複雑な技術も用いられてはいるが、それらは起動時よりむしろ製作時にこそ必要とされる物だ。事実、機工剣は戦闘中ただの鈍器として使っても差し支えない程度には頑丈で、内部機構もそう複雑な物ではない。ウェイル単身でも、機工剣自体を分解、整備する事は可能なレベルだった。

 それらの理屈と、もっと簡単な打算、すなわち、目に見える物の方が遥かに興味を引き易いという点を鑑みての結論だった。

 ウェイルは渋々ながらも、

「これに触っていいのは、俺と一緒に居る時だけだからな」

 という条件付で、リリィに機工剣に触れる許可を出した。

 だが、これで少しは大人しくなるだろう、というウェイルの目論見は、甘かった。甘すぎた。

 リリィの中に眠る好奇心という名のアリは、ウェイルのその甘さを見逃してはくれなかった。一匹のアリが仲間を呼び寄せるのと同じ様に、リリィの一つの興味は次の興味、次の次の興味へと留まる所を知らず、可愛らしい行列を作った。

 その結果が、目の前の光景だった。

 リリィの指が、機工剣の刀身部を構成するパーツの一つの所で止まった。リリィはしばらくの間、何かを思い出す様に首を傾げていたが、思い出す事を諦めたらしく、ウェイルに問いかけた。その表情は心なしか悔しそうに見える。

「ねえウェール。これって何だったっけ?」

「それは流体動線発発生器。そこから刀身部に伸びてる太い鉄線が流体動線整波装置ね」

「あ、そうだったそうだった。ありがとね、ウェール」

「はいはい、どういたしまして……」

「あー、いけないんだー。返事は一回だ! ってカタナが言ってたよー?」

 半ば投げやりなウェイルの応答を、リリィが咎めた。

「ああ……、うん、ごめん」

 一般人が知りもしない様な専門単語を並びたてたかと思えば、子供その物の様な幼稚な揚げ足取りをしだす。ウェイルはリリィの言動に違和感を通り越してもっと別の何かを感じずには居られなかった。

 天才、とでも言えばいいのだろうか。

 だが、リリィのそれはそういった次元の話ではない様に思えた。

 頭の良い子供、とか、そういった単語で括れるレベルの話ではないのは明白だ。何十何百もの記号や単語──例えばそれは周期表であったり、国旗であったり──を大量に覚えているとか、そういう物ではない。歯向かう事を知らない従順な子供にそれらを詰め込む事は、誰にでも出来うる。だが、それらは知識ではあっても知能ではない。

 リリィは、ウェイルが教えていないパーツの機能でさえも、正確に予測し、的中させていた。これは理論的な思考の結実に他ならない。基礎的な科学知識さえ満足に持たないはずのリリィが、一方面における専門的科学の結晶である機工剣の構造と理論を漠然にとはいえ理解しているのだ。

 言葉を覚える早さからしてそうだったが、リリィの知能を常識の物差しで測る事は不可能らしかった。

「人類種の最終到達地点……〈ピリオド〉ねえ」

 ウェイルの脳裏に、先日の話が蘇る。

「──狙われてる、か」

 ウェイルが小さく呟いた。その視線の先、リリィは分解した機工剣の組み立てに夢中になっている。

 今の所、リリィのこの異才が発揮されているのは、この病院の中だけだった。満足に喋れさえしない内は、流石に警戒して外には出さない様に気を使っていたから、このまま何も無ければリリィと〈ピリオド〉の少女の存在が結びつけられる心配は少ない。

 だが、それでもいずれは特定される。

 リリィが居た廃墟には、リリィの生活痕もあったはずだ。そこから、リリィがあの廃墟からいなくなったタイミングを推定するのはそう難しい事ではないだろう。それと、この病院にリリィが現れたタイミングを照らし合わせれば、疑うには十分すぎる根拠になる。

 …………どうしたものだろうか。ウェイルの眉間には自然と皺が寄った。

「どうしたのだウェイル。苦虫噛み潰した様な顔をしおって」

 いつの間にかカタナが傍まで来ていた。

「ん、ああ。考え事をね」

「リリィの事か。……厄介な事になりそうであるな」

「そういう事。どうしたもんかなあ、って思ってさ」

「先の事を考えておくというのは、決して悪い事ではなかろうが……」カタナはここで一度言葉を結んだが、思い出した様に続けた。「だがやはり、今悩んでもあまり意味はないと思うぞ、我は」

「そりゃまたどうしてさ」

「今打てる手なぞありはせんだろう。せいぜいが、しばらくリリィの存在が露出するのを防ぐ、位しかあるまい? それ以上の事は、なってからでないとどうにもならんだろう」

「それはそうだけど……」

 だからと言って、心配な物は心配なのが人情だ。ウェイルはカタナ程割り切りが巧く無かった。

「ふむ……、まあ丁度いい機会かも知れんな。一つ前から聞こうと思っておった事があるのだが、構わんか?」

「ああ、いいけど?」

 何をまたあらたまって……、と、ウェイルは最初不思議に思ったが、その後すぐに嫌な予感に襲われた。カタナにせよグレイにせよ、こうやって改まった後には大抵、答えにくい質問ばかり投げかけてくるのだ。

「何故……、貴様は何故リリィをここに連れてこようと思ったのだ?」

「そりゃお前──」ここ以外のどこに連れてくれば良かったんだよ、とウェイルは続けようとしたが、すぐに遮られた。

「いや、すまん。我の言い方が悪かった。何故、リリィを助けようと思ったのだ? 勿論、今となってはそれで良かったと言えるだろうが、初めて見つけた時点では、あの娘の事情は何一つ解っていなかったのだぞ?」

「お前、そりゃあ……、見捨てられる訳ないじゃないか」

「うむ」カタナは深く深く頷いた。「確かに貴様の言いたい事は解る。感情として、人として貴様は正しい。ある意味では貴様の行動も良く解っておるつもりだ。だからあの時も止めなかった。だが、それでも聞きたい。何故助けた? 何故、あの娘に限って助けようと思ったのだ?」

 カタナの言いたい事はウェイルにも痛い程良く解っていた。

 ウェイルはリリィに手を差し伸べたが、それ以前にも、程度の違いこそあれど、リリィと同じ様な目にあっている子供達を何人も見てきていた。

 路地裏で飢えに苦しむ子供に、その場しのぎにしかなりはしないと知りつつも食べ物を与えた事があった。

 盗みを働いた子供と店員の間の仲裁に入った事も何度もある。本当は盗まざるを得ない状況をこそ改善してやらなければ意味が無いと知りつつも。

 何故、彼らにはそこまでしか手を差し伸べなかったのに、リリィにはそれ以上の事をしようとしたのか。

 そういう事なのだ。

「そういうのは理屈じゃないんだよ」というのは簡単だ。だが、きっとそれ以上の何かがあるのだ。

「なあ、カタナ」

「何だ?」

「俺さ、幸運だよな」

「何を藪から棒に……」

「確かに、生まれは良くないと思う。グレイさんに拾われるまでは、ツイてなかったって言っても許されると思うんだ。けど、今は違う。グレイさんに拾われて、カタナと会って、そして、この病院に来て、リーディーさんやティータさんに会った。俺は今きっと恵まれてる」

 今までの事を思い出す。ウェイルの記憶は、グレイと出会う以前と以後で、まるで違う色をしていた。ありがたい事だ。

「でさ、その幸運って、俺の所で止めていい物じゃないと思うんだ。かと言って、グレイさんに恩を返せばいいのかって言えば、きっとそうでも無い。俺は、俺が救ってもらったのと同じ様に、他の誰かを救いたいと思う。──そう、思うんだ」

 グレイが聞いたらどう思うだろうか。ウェイルは一瞬その様子を想像して、苦笑した。絶対にグレイさんの前では言えないな、と思う。

「だから、あの娘を救った、と?」

「ああ、きっとそういう事なんだ」

 カタナは、ウェイルの言葉に長い長い沈黙をもって答えた。

 二人の目線の先、リリィは、未だ機工剣と悪戦苦闘している。いくら頭が良かろうと、工具の扱い方は理論よりも慣れだ。ネジ穴にネジをあててドライバーを差したはいいが、ネジがはまっていなくて落としてしまう様など、可愛いものだった。

「──それは、エゴだ」

 カタナが、長い沈黙を破った。

「ウェイル。貴様の言うそれはエゴだ。何故リリィだったのだ。他の誰かでも良かったはずだ。お前のそのちっぽけな手で救い上げられるのは、何もあの娘でなくても良かったはずだ」

「知ってるよ」

 語気荒いカタナの言葉と対照的に、ウェイルの言葉は平坦で、深い海に似て穏やかだ。

「そんな事、言われなくても知ってるさ。でも、それを言ったら、グレイさんが俺を拾ってくれたのだって同じだろ? きっと、俺以外の誰かでも良かったはずだ。……もしグレイさんには理由があったとしても、やっぱり、救われなかった誰かからすれば同じだよ」

 その「救われなかった誰か」がウェイルに牙を向いた事も、何度もあった。だから、彼らの気持ちも良く解る。

「…………」

 カタナは、グレイがウェイルを選んだ些細な理由を知っていた。だが、口には出さなかった。今言った所でそれが何になると言うのか。

「それでも、やらないよりはいい。だろ? 大体、カタナの言ってる事はさ、誰も救わないか、全員救うかしない限りは、言われ続ける事なんだ。気にしてたってしょうがない」

「非難される覚悟があるのなら、まあ、構うまいよ」

 そう小さく呟くカタナの瞳には、機工剣に夢中になるリリィと、それを優しく見守るウェイルが映っていた。

 ウェイルは気付いているだろうか、と思う。自分が今、ウェイルを後ろから見守る時のグレイと同じ様な表情をしている事に。

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