3-3 蒼髪の少女

 夜。あいにくの曇り空で月は翳り、僅かばかりの人工的な灯が街並みを照らしている。

 その中を、街頭による不自然に長い影を四方八方に連れ立ちながらウェイルは歩いていた。黒の防弾衣を羽織り、帯剣し、肩にはカタナがとまっている。そのシルエットは、死神とその使い魔を想像させた。

 ただ、ウェイル達が纏っている空気は完全に弛緩したそれだった。

 医療費請求が終わった帰り道だ。今回は相手が相手だけに本格的な戦闘も無く、機工剣の出番も無かった。一通り仕事を終えて気が緩むのも当然だった。

「そうそう、カタナさ」

「む? 何用だ?」

「リリィに変な言葉教えるの、止めろよな。リリィが皇翼の分類を暗唱しだした時はホント焦ったぞ」

「む。それは我も驚いておる所だ。我は一度しか言っておらんのだがな……。小娘だなどと侮れる物ではない。やはり〈ピリオド〉と言うのは伊達では無いようだな」

「そうだよなあ。頭良いっていうか、なんていうか……」

 言葉を覚えてからのリリィは、まるで真綿が水を吸うかの様に、すさまじい勢いで知識を増やしていた。出会った頃、喋れる様になるか心配していたのが嘘の様だった。

「ただ、如何に知識を身に付けようと、所詮心は幼子のそれに等しい。そこは忘れてはなるまい」

「そう思うんならキザったらしいなんて言葉教えるなよな……」

「……? その辺りは我とて考えておる。そんな言葉を教えた覚えはないぞ」

「へ?」

 ウェイルは思わず間の抜けた声を出した。

 少し考え込んで、ああ、なるほど、と一人頷く。

「真犯人はリーディーさんかな。多分、カタナに教わったって言いなさい、とか言い付けたんだろうな」

「有り得そうな話であるな。所で……」

 カタナが意味有りげな沈黙を作った。

「言わなくていい。気付いてる」

 ウェイルが小声で告げた。

 風に乗って僅かに、不穏な音──悲鳴、あるいはうめき声の様な音──や匂いがしてきている。

 ウェイルは、いつでも抜刀出来る様に機工剣の柄に手を掛けた。

「カタナ」

「うむ」

 カタナは、阿吽の呼吸でウェイルの言いたい事を悟ると、その大翼を音も無く羽ばたかせ舞い上がって行った。しばらくすると、カタナはウェイルの頭上で八の字を描くようにして一定のスピードで宙を舞い始めた。

 緊急時に一々カタナに降りてきて貰って意思疎通を図るのは現実的ではなかったから、ウェイルとカタナはある程度の暗号の様な物を決めていた。

 今のそれは、蜂が花のある方角を仲間に教える際に行う本能行動を真似した物で、二つの円の接点を通る時の向きに進め、という意味だった。

 そして、カタナの誘導に従って裏路地を進んだ先、突き当たりに、彼らは居た。曲がり角から顔だけを出し、覗き込む。

 白装束と白の三角頭巾が、暗闇の中で不気味に浮き上がっていた。

「──エルピス」

 噂をすれば影、か。ウェイルは小声で呟く。まさか話を聞いたその日の夜に遭遇する事になるとは思っても見なかった。

 しばらく様子を窺っていると、何をしているのかも解ってくる。

 集団で、少人数――聞こえてくるうめき声から判断すればおそらく二人――に暴力を加えているのだ。

「リンチ、か……」

 苦々しげに呟く。その対象が仮に憎き奴隷商であろうとも、あまり気持ちのいい物とは言えなかった。

 しっかし……、なんで態々見に来ちゃったかなあ……。ウェイルはグレイの「こちらから手を出さなければ問題ないだろう」という旨の言葉を思い出して苦笑した。

 見過ごすべきか、否か。

 なんとも判断に迷うところだった。ウェイルの心の天秤は、まるでシーソーの様に左右に振れていた。

 おそらくは、そうやって悩んでいる内にその場を立ち去るべきだったのだろう。だが、ウェイルが何かしらの決断をするよりも先に、白い悪意の群集たちが、超えてはならない一線を越えた。

「では、名残惜しいが、そろそろ彼らにも慈悲を与えてやろうではないか」

 彼らの中、リーダー各らしき男がそう言ったのだ。実際には顔も隠れているので男かどうかも解らないが、頭巾ごしにくぐもって聞こえてくる声や、その体格から判断すれば、男だった。

 ──慈悲? ウェイルは一瞬何の事か解らなかったが、数秒の後、それに気付く。

 つまりは、止めをくれてやろう、という事だ。

 見過ごす訳には行かない。

 根本的に善意の人であるウェイルにとって、殺害という行為は、その対象がどんな人間であれ、許容できる行為ではなかったのだ。少なくともそれが目の前で起きているならば。

 グレイに言わせれば、これはウェイルの度し難い欠点の一つであり、せめて行動にする前に少しは後先を考えるべきだ、という事になるのだが、それが出来れば苦労はしないのだった。

「お前達ッ、何してるんだッ!」

 機工剣を起動し、飛び出る。活性化したAPの淡い緑色の輝きが路地を照らした。

「──ッ?」

 白い者達が一斉に振り返った。

「…………全く。間の悪い事だ。しかも……機工剣、だと?」

 群集の中、中央に立つリーダーらしき男は、慌てる素振りの一つも見せずに言った。

(機工兵器だと見抜いた? 知ってるのか?)

 機工兵器──機工剣を初めとするAPリアクターを搭載した兵器の通称──は、APを散布する事による特徴的な発光現象を伴う物が殆どだ。だから、知っていれば初見でそれと見抜く事も難しくない。

 だが、ウェイルが想像していた様な──路上で怪しげな集会を開き、たまに集団での暴行等に及ぶ程度の──団体に、それほどの知識を持つ者が居るとは考えがたい。

(迂闊すぎたか……?)

 ひやりとした、嫌な汗が背中を伝うのが解る。

 舐めていたつもりは無かったが、こんな所でリンチに参加している様な者は、どうせ組織末端に違いないと油断していたのも確かだった。

「場所が悪いな」

 男が小さく、しかしはっきりと呟いた。

 それは、ウェイルもまた同じ様に思っていた事だった。

(そう、場所が悪いんだ……)

 ここは突き当たりだ。という事は、彼らに取っては物理的に逃げ場が無いという事である。そして、自ら飛び出たウェイルにとっては、立場的に逃げ場が、というよりも逃げるという選択肢が無いに等しい。

 出て行けばすぐにクモの子を散らすように逃げていくだろう、というウェイルの甘い目算は脆くも崩れ去っていた。向こうが素直に退こうとしない以上、この状況では激突は必至だ。

 男は小声で、傍に居た一人に話しかけていた。

「──では、試させてもらうよ?」

 その一言を合図に、白い群集たちが下がっていき、一人だけがウェイルの前に残った。

(何だ? 女の人……?)

 残された一人は、白装束をゆるりと着流していたが、服の上から僅かに見て取れる曲線は女性のそれだった。その腰には、何か棒状の物が下げられている。

 女は、流れる様な動作で、それを引き抜いた。

「……レイ、ピア?」

 柄の部分のナックルガードや、反りが無く細長い鉄線は、レイピアのそれだった。だが、ウェイルにとって気になるのは、その刀身の根元、僅かに太くなっている部位だった。あの形には見覚えがある。すなわち、今自身が手に持つ機工剣のシリンダー部だ。

「…………」

 女は、無言であろうと努めているのか、一言も発さないまま、その刀身をウェイルに向けた。

 鈍い機械の駆動音。これも聞き覚えがある。APリアクターのそれだ。音から数瞬遅れて、刀身が見覚えのある淡い緑に発光した。

「クソッ!」

 思わず叫ぶ。ウェイルは自身の迂闊さを呪わずには居られなかった。

 目の前、自身に向けられたそれは明らかに機工剣だ。自身がそれを得物とするからこそ、その脅威も見にしみて解る。

 全身の毛穴が怖気立つ。

「──フッ」

 そちらが来ないのならば、こちらから行くぞ、と言わんばかりに、女がウェイルへと肉薄した。

 細い刀身が閃光の如く突き出される。

 身を捩って回避。

 機工剣である以上、基本的にその刃に貫けぬ物は何一つ無い。自身の機工剣の側面でそれを受ける等と言うのは言語道断だ。一撃で刀身に穴が開き、その機能を失う事になる。そもそも、防ぎきれるかどうかさえ危うい。受けるなら同じ機工剣の刃の部分で受けるしかないのだ。

(それにしたって──ッ)

 次々と突き出される刀身は、線ではなく点で襲い掛かってくる。避けるだけで精一杯だ。

 刃で受ける、などと言うのは、真剣白刃取りと同じ位絵空事だった。

「チィッ!」

 繰り出される閃光を強引に横から振り払う。

 圧縮されたAPの緑色の飛沫が舞い散った。

(飛び道具が使えたら……)

 ウェイルは内心で舌打ちした。

 機工剣が備える鉄壁の防御、AP流体障壁は、あくまでも物理的に強い力に対してしか効果が無い以上、今の様な近接戦闘では全く頼りにならない。逆に、障壁に表と裏の区別が無い故に内側からも銃を初めとする飛び道具が使えなくなる、というデメリットだけが発生してしまっている状況だ。

 たとえ使えたとしても、結局は相手にも同じ障壁がある以上大した意味は無いのだが、今はそのほんの僅かな差異でも欲しい心境だった。

 そうこうしている間にも攻撃は絶え間なく続いている。

 時には避け、時には退き、時には打ち払う。

 防戦一方だ。

 気付けば、周囲にあれほど居た白装束の者達は一人も居なくなっていた。

 見事に時間を稼がれてしまった形だが、今はそんな事はどうでもよかった。

(このままじゃ、まずい)

 本当に──本当に場所が悪い。今の袋小路の様に狭く閉塞した場所ではカタナからの援護も期待し辛いのだ。相手の隙を突こうにも、攻撃できる方向が一方向、つまり前面しかない。加えて閉所では風が吹き乱れやすく、鳥類にとっては不利な環境だった。

「手加減してられる相手じゃないって事かよッ……」

 思わず叫ぶ。

 それを聞くと、女は何か思う所があったのか、一度手を下ろして距離を取った。

「…………さっきから、必死だったように見えるけど?」

 クスクス、と、頭巾の下から冷笑が聞こえてくる。

 確かに、さっきだって必死だった。だが、それはウェイルに相手の命を取るまいとする意思があったからだ。確かに剣術の、特に武器相性の点で言えば劣勢だったが、ウェイルには切り札があった。相手をほぼ確実に斬殺してしまう切り札が。

 だが、そんな事を言っても何にもならない。ウェイルは悔しさを飲み込んで別の言葉を口にした。

「なんだ、アンタ、喋れたのか」

「当然でしょう。悦ばすには、喋れた方が都合がいいもの」

 ──なんて、歪な答え。

「あなたも、同じ様な物だったんじゃないかしら?」

 言って、女はその三角頭巾を外した。

「アンタ──」

 ウェイルにはその顔に見覚えがあった。その顔は、遠い昔の思い出の中と、つい最近の街並みの中にあった。急速に戦意が失せる。

 長い蒼髪が風に揺れる。その隙間から見える顔はまるで人形の様に端正だった。

 当然だ。彼女は人の手によって作られたという点で、人形と同じだったのだから。

「この髪を見れば解るでしょう? 私がどんなモノなのかは」

「──ああ、良く、知ってるさ」

「遺伝子型DFBⅡ。Doll、Female、Blue、Ⅱ。私は……人形だわ」

(ああ、それも良く知ってる──)

 当然だ。何しろ自身の母親と同じ型なのだから。おそらくマイナーチェンジを繰り返してはいるだろうから、目の前の少女と母親とが全く同一の遺伝子である事はないだろうが、それでも基本は同じだ。

 似た様な顔をして、似た様な声をして、似た様な体格をしているのも当然だった。

「その髪を見るに……、あなたも同じ様なものなんでしょう?」

「…………」

 確かに、似てはいる、だが、それだけだ。自身と彼女は似て非なる物なのだ。ウェイルと彼女は境界線をまたいで向かい側に居る。

 その事で、小さい頃にどれだけ不自由した事か。ウェイルは自然と口を噤んだ。違うとも言えないし、同じとも言えない。夕闇の中に立つ者だけの苦悩だった。

「ねえ、少し聞きたいのだけどいいかしら」言って、少女は振り返る。「この男達が、私達を虐げている連中だとして。それでもなお、あなたは私達を止めるの?」

「止めるさ……、当たり前だろ」

 そう言いつつも、ウェイルは急速に自信を失っていた。

 時には、奴隷商を見て義憤を感じ、殺意すら覚えると言うのに、それが殺されかかっている所を見て止めにかかる。酷い矛盾だ。

「ふん」女は、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「飼いならされているのね。駄犬だわ。いえ、愚かな忠犬かしら。見逃す事さえ出来ないなんて。──なんて臆病なの」

「……なんとでも言えよ」

「まあいいわ、興も削がれたし、見逃してあげる。二度と出会わない事を祈ってるわ。私だって、同胞を壊したくはないもの」

 自分だって、母親と同じ顔をした女を斬りたくは無い。ウェイルとしては、向こうから矛を収めてくれるのは素直に喜ばしい所だった。

 女は、三角頭巾を被りなおすと、平然と歩き去っていった。それを見送りながら、ウェイルはカタナに手信号で二、三指示を飛ばすと、残された被害者二名の応急処置に取り掛かった。

 その間中、ウェイルの頭の中をずっと同じ言葉がこだましていた。

 ──なんて臆病なの。

「臆病なのとは……違う……ハズだろ? ウェイル・サーランド」

 自問するウェイルの言葉は弱弱しい。


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