2-6 人形売り達

 やがて、ウェイルとリリィが出会ってから、一週間が過ぎ、十日が過ぎ、二週間が過ぎた。

 リリィの成長は著しいの一言で、未だ意味のある会話こそ出来ないままだったが、ある程度はこちらの言っている言葉の意味が解る様になってきたらしく、例えば、

「ウェイルはどーこ?」

 とリーディーが聞けば、ウェイルの方を向いて見せたり、

「ご飯にしようか」

 とティータが語りかければ、自分からリビングの方へ向かってみたり、

「ええい! 窓を開けんか、窓を!」

 とカタナが窓の外で騒いで見れば、窓を開けようとしてやっぱり躊躇ってみたり、

「開けてやろうよ」

 とウェイルが笑いかければ素直に開けてみたりする程度には、成長していた。



「はあー……」

 ウェイルは裏口から病院を出ると、滲み出る様な疲労感に身を任せて溜息をついた。見上げる青空に溜息が溶けていく。青空の下に出るだけで気分も自然と晴れていった。昔カタナに溜息が多いのは苦労性の証だと言われた事があったが、その通りかも知れない。

 リリィが簡単な単語を発音出来る様になって結構な日数が経ったが、語彙こそ増える物の、会話が出来るようになる兆しは無い。普通の赤子の成長と比較すれば何ら問題は無いペースではあるが、だからと言って安心していられる訳でもない。

 グレイが以前ウェイルに語った野生児の実例では、保護された後に彼らは七十前後の単語を学習した所で限界に突き当たったのだそうだ。それを考えると余計に心配になる。

「ちょっと散歩でもしてくるかな」

 気分転換が必要だ。ウェイルは少し考えてそう結論すると、気の向くままに歩き始めた。

 清潔感漂う表通りを往き、途中から一本脇道に逸れると、表とは対照的に混沌的な雰囲気が滲み出てくる。

 裏通りは表通りの様にしっかりとした都市計画がある訳でもないので、真新しい建物や出来合いのプレハブ小屋、あるいは以前から立っていた建物等が入り乱れており、非常に雑多な景観を作り上げている。中には、三階から上が吹き飛んだアパートなども平気で立っている。

 道行く人々も、凛としたスーツに身を包む者から、肉体労働に精を出す者、露店を開き客寄せする者、腰の拳銃を隠そうともしない無法者、物乞いする者まで様々だ。

 この街、ニューデイズが戦争の荒廃と復興の最中にある事を感じさせる、正負両方のエネルギーに満ちた光景だった。

 途中、見知った集団が露店を開いているのを見つける。

 彼らは、ウェイルと親交のある孤児グループの一つだった。 

 ウェイルは過去の経験からか、そう言った者達に一定以上の親近感を覚えていたし、メイツハーツクリニックに居ると自然とそういう者達との係わり合いも多くなる。来る物拒まずの姿勢は、彼らの様に金の無い者達にも同様に適用されるのだ。

 そうしていつの間にか親交が出来上がっていく、という訳だ。今では、ウェイルと親交のある孤児グループは結構な数に昇っていた。

「あ、ウェイル兄ぃじゃんか。久しぶり」

 彼らの内一人、手の空いていた少年がウェイルの方へと駆け寄ってきた。

「や。調子はどう?」

「ぼちぼち。最近はどうにも不景気だよ」

 ウェイルの定型文的な問いかけに、少年は軽く肩をすくめて答えた。

 彼らのグループは、仲間内に数人機械に強い者が居るのを利用して、捨てられていた家電をはじめとする機械類を修理、あるいは使えるパーツだけを取り出す等して商っていた。

 見ればなるほど、確かに広げられていた商品はいつもと比べて少なく、立ち止まる客も居ない。

「そうそう、今思い出した。この間ウェイル兄ぃが行くって言ってたあの廃病院、結局何か有った?」

「あー……」

 言葉に詰まる。答えにくい質問だった。

 そもそもあの日ウェイルがあの廃墟に行ったのは、彼らに炊きつけられたからだった。だから当然、行って来たと答えたい所だったが、そうも行かない。答えれば、どうしてもリリィの所に話が及ぶだろう。彼らを信用しない訳ではないが、要らぬ危険に巻き込む可能性もある。出来れば伏せておきたい所だった。どうしたものか。

「何か有ったん?」

 少年が窺う様に首をかしげた。少し間をおいてウェイルが答える。

「……いや、結局行けなかったんだ」

 ウェイルは自身の些細な自尊心よりも優先すべき事がある事を知っていた。

「機械はともかく屑鉄くらいならありそうだったんだけど、その……悪い」

「ふうん。あのウェイル兄ぃでも怖いモンは怖いかぁ。まあ、確かに金目の物は大抵持ってかれちゃった後だろうし、別にいいけどね」

「いや、ホント悪いね」

「いいよいいよ。屑鉄なんて俺達で捌いても意味無いし。それに、EMCだっけ? あの連中が来てから俺達みたいなのへの風当たりが強くなってるからね。しばらくはどうにもやり辛いままかも。〈リワークス〉狩りだっつって、俺達みたいな孤児グループまで端から調べるんだぜ? やってらんないよ。この間そのEMCに襲撃があったんでしょ? ホント、いい気味だよ」

(いや……それ俺……)

 ウェイルの顔に引きつった笑いが張り付いた。

 彼らはウェイルがメイツハーツクリニックに居候して仕事をしている事は知っているが、それ以上の事は知らないのだ。ウェイルの本業然り、それ以前にメイツハーツクリニックが奇特な医療費請求行動を起こす時がある事自体を知らない。

 それらは、この街で本格的に裏家業に足を突っ込んでいる人間なら大概知っている事でもあるが、逆を言えば健全な、街の事情通や噂好き程度の人間には知られていない事でもあるのだ。

 ならず者達からすると、たかが個人経営の病院に散々コケにされた挙句に金を取られる、なんて醜態は、なんとしてでも隠しておきたい所なのだ。

「ま、その襲撃犯ってのには感謝しないとね」

「ん? そうかあ?」ウェイルはてれ隠し半分本音半分で言った「そんなならず者どもなんて、巻き添え食らわない限り好き勝手やってろよ、って感じだと思うけど」

「そりゃそうだけどさ。でもまあ、胸がすく思いってやつ?」

「ふぅーん」どうでもいいよ、と言った態でそっぽを向くウェイル。顔がにやけるのを抑えるのに苦労する。

「それじゃあ、そろそろ行くよ。じゃあねー」

 そう言って、少年が元気良く仲間達の方へと走り出す。が、すぐに足を止めて振り返った。

「そうだ、ウェイル兄ぃ。この間さ、夜中に妙な連中見たんだけど、何か知ってる?」

「妙って何だよ、妙って……」

「ああ、その、暗かったから色とか良く解んないんだけどさ。何か三角頭巾被った連中がこそこそ行列作ってたんだ」

 三角頭巾の怪しい集団と聞いて真っ先に思い浮かぶのは前時代に強烈な人種主義を前面に押し出した秘密結社だが、今の時代に肌の色で人を差別しようなどと言うのはナンセンスが過ぎるだろう。

「悪い。俺も知らないな。まあ、とりあえずだ。関わりあいになりたくはない、ってのは確かだよな」

「そりゃそうだ。すげー不気味だったからちょっと気になっててさ。ま、今度こそ戻るよ、じゃ、また!」

 言って、少年は今度こそ仲間達の方へ走っていった。

「元気な物だなあ……」

 ウェイルはその様子を見送ると、しみじみとそう呟いた。

 少年は大体十四、五歳位で、リリィも同じくらいだろう。そう考えるとリリィがあれだけ元気なのも頷ける。ただ、自分がそのくらいの時どうだったかを考えると……

「まあ、やっぱり人それぞれか」

 ウェイルはそう結論して、再び歩き出した。


 街並みを歩いていて見る景色の大半は、歩いている当人とは無関係の物だ。

 だが、無関係だからと言って、見ていて何も感じない訳ではない。いい景色であれば当然いい気分になるし、逆ならそれも然り。

 ウェイルは今、最低な気分だった。知り合いと会って上向いた気分なぞ消し飛んでしまった。

 その原因は、帰り道の途中で出くわした光景にある。

『人形、売ります』

 最低最悪の商売文句で、最低最悪の商人が、最低最悪の商品を売っていた。

 最低最悪の客が、最低最悪の表情で、最低最悪の品定めをしていた。

 ──殺したくなる。

 売っているのは勿論、オモチャの人形ではない。

 売っているのは勿論、出来のいいマネキンではない。

 陳列されているそのヒトガタは、確かに血の通った人間だった。

 目隠し耳栓猿ぐつわ。手枷足枷首輪に鎖。彼らに自由は無い。

 そこに、最低の光景が広がっていた。

 中には、ウェイルの母と同じ、蒼い髪の娘も居た。

 嫌な錯覚を覚える。

 ──殺したい。

 客は、男を殴り、女を弄んでは反応を確かめていた。商人は、やり過ぎると商品が壊れますので、と卑下た顔でその先を遮る。

 通行人の多くはその光景を前に何も思わず、ただ過ぎ去るか、あるいは、最悪の行為に加担した。

 蒼い髪の娘にも手が伸びる。

 ──殺す。

 エスカレートしていくウェイルの思考を、ある日の記憶が遮った。

 グレイに拾われて間もない頃の話だ。今と同じ様な光景に出くわした時の会話が蘇る。

『無関係だ。お前に直接害を為す訳じゃないだろう。ああいう光景には無関心を決め込むのが正解だ。首を突っ込んだ所で何の得にもならないだろう?』

『そう割り切れれば苦労はしないんですよ、グレイさん』

『そうか。なら、全員買い取ってやれるだけの金を貯める計画か、あるいは強奪する計画を練るとしようか。少なくとも、今ここで暴れるのは計算の出来ん馬鹿がやる事だ』

 確かにその通りだ。でも……

「金も力も……全然足りやしない」

 渦巻く感情を無気力感に変えて、溜息と共に吐き出す。

 これ以上ここに居ても、怒りとやるせなさが増すだけだ。

 その場を立ち去るウェイルの背中は、丸く、そして小さかった。

 後ろ髪を引かれる思いがして、なんとなく一度だけ振り返る。ちょうど、品定めの為に目隠しを外されていた蒼髪の娘と目が合った……様な気がした。そして、ウェイルにはその瞳が助けを求めている様に見えて仕方が無かった。

 ぎり、と強く奥歯を噛みしめ、視線を切る。

 様子を見るに、きっとあの少女は今しがた品定めをしていた白ずくめのスーツの男に買い取られていくのだろう。許しがたく、そして同時に、どうしようもない程に冷たい現実だった。

 ウェイルとて理屈では解っている。今ここで衝動に身を任せる事に意味がない事も、こう言った光景が繰り返されるのが防ぎようのない事も。

 前大戦を経て、遺伝子技術こそ全般的に禁止されたが、ヒトの定義は変わらなかった。

〈リワークス〉に人権が認められないのは相変わらずなのだ。

 それどころか、彼らの扱いは、敗者の常か、より一層酷い物になっていた。

 戦争に敗れ、散り散りになった彼らを駆り立て、道具として使うのは、今の時代では一つのビジネスでさえあった。先程会った少年が言っていた〈リワークス〉狩りとはこの事だ。

 中には、〈リワークス〉達同士を交配させて高い確率でまた〈リワークス〉を生ませる養殖と呼ばれる行為まで行われている。

「リリィ……」

 家で待っている少女の事を思う。

 リリィが今の時代を生きていく事の困難さ、そして彼女を匿い育てる事の困難さは、何も彼女が特別な存在だという理由だけでは無いのである。

 彼らの様な奴隷商──今の時代に即した言い方ならば人形商人──にとっても、リリィは非常に価値有る存在だ。売るだけに留まらず、養殖の母体にすれば次世代はほぼ確実に〈リワークス〉になる。

 リリィを戸籍上物として扱い、メイツハーツクリニックの誰かが所有者になれば、一応は法的な立場が確立されるが、リリィの出自からするとそれも困難だ。

 リリィの公的な立場は、敢えて言うならば新中央政府──前大戦中の〈リワークス〉達の政府──の遺失物なのだ。既に負けて消え去った国の遺失物は当然、戦災保障の対象として政府に回収される事になるだろう。

 戸籍の偽造という手段もあるが、それも困難極まる。今の時代、どこの政府も〈リワークス〉の完全な社会的抹殺を目指しており、戸籍に関しては細心の注意を払っているのだ。

 いがみ合う各政府も、この事ばかりは足並みを揃えていた。

 前途多難、などという言葉さえ生ぬるい。

「色々と、頑張らないとな」

 いつまでも気持ちを引き摺ってはいられない。ウェイルは顔を上げ、強引に気分を切り替えた。

「とりあえず目標はティータさんに気付かれない事かな」

 言って、無理にでも笑顔を作る。昔はこういう事の度に、隠し切れずにバレて心配された物だった。声を掛けてくれるのがティータだったというだけで、おそらくは全員に見抜かれていたのだろうとも思う。

 ……今日は隠し通せるだろうか。ウェイルには自信が無かった。



 病院に帰ると、案の定見抜かれた。

 リーディーとティータは午後の診療を担当していたので顔を合わせなかったが、グレイにもカタナにも一目で見抜かれた。更には、午後から受付に入った普段あまり顔を合わせないパートタイマーの看護士にさえ心配される始末だった。

「よっぽど酷い顔してるのかな……」

 そう思って、部屋に戻る前に洗面所で鏡の前に立っても見たが、鏡に映るのはいつもと大差ないウェイル・サーランドの顔だけだった。

 心配させない様にしないと。ウェイルはそう思いながら自室に戻った。

 ドアを開けた途端、待ち構えていたかの様に、

「ウェール!」

 と、嬉しそうな声と共に、リリィに突撃された。どうやら廊下を歩く音で気付かれたらしい。

「なんという超感覚……。流石は〈ピリオド〉って事なのかな……」

 いつまでも部屋の入り口で突っ立っていても落ち着かない。ウェイルはリリィの頭を撫でてやると、部屋に入ってベッドに腰掛けた。リリィもそれに倣う。

「──?」

 直ぐに、リリィが不思議そうに首を傾げた。

「ん? どうした?」

「むぅー……」

 悲しそうな声と、悲しそうな顔。

 ウェイルの憂鬱な心情は、リリィにも伝わっていた。

 親の不安はすぐに子供に伝わる。そう簡単に隠しきれる物ではないのだ。その関係式はウェイルとリリィの間にも成り立っていた。

「ごめん」

 ウェイルにはそう小さく呟くのが限界だった。取り繕う事も出来ない。

 この無垢な少女にまで心配された事が、ウェイルには大きく堪えたのだ。今の自分の余裕の無さ、情け無さを突きつけられた気分だった。

「ん」

 リリィが寄りかかって頭を預けてきた。

 無条件の信頼を感じる。応えてやりたいな、と思う。

「──頑張るよ」

「んー……。ウェール……大丈夫?」

「なッ……?」

 今のリリィの言葉は、明らかに有意なものだった。単語だけではない。ウェイルがその意味するところを正しく理解するまでにしばらくの時間が必要だった。リリィが心配そうな顔で覗き込んで来ているのに気付いて、あわてて取り繕う。

「あ……あぁ、大丈夫だよリリィ。心配いらない」

「むぅ……、ウェール、ウソは……ヤダよ?」

「ああ、本当だ。大丈夫だよ」

 そう、もう大丈夫だ。ウェイルは一度目を瞑って、自分自身を確認する。

 嫌な事があって、嫌な気分だった。それは確かだ。だが、そんな物は今ので吹き飛んでしまった。だから──

「──ありがとう、リリィ」

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