2-4 機工剣

 ウェイルはグレイ達に軽く先程の事を話してから、病院を出た。

 夜も深まり、月も雲で陰っている。今街を照らすのは人工的な照明だけだ。襲撃には絶好の状況だった。

 もっとも、ウェイル達にはやましい所など何一つ無いので、基本的にいつでも正面玄関から突入する。だから、襲撃というのは少しイメージにそぐわない。

「──で、この寒空の下、我を十分近く待たせたという訳か」

 ウェイルの肩にとまったカタナは不服そうな様子だった。

「寒空って言う程寒くないだろ。ま、悪かったよ」

「…………まあ良かろう。貴様が喜ぶのも解るからな」

「そうそう。それで、今回の請求先だけど──」

 ウェイルは手短に今回の仕事を説明した。

「個人ではなく団体が相手か。では我の出番も限られるな」

「どうしても屋内じゃカタナはなあ」

 カタナの種族、皇翼という商品名は伊達ではなく、その飛翔力や脚力は十分に人間を襲い、倒せる程の物だが、流石に屋内ではそれも難しい。

「それもあるが、そもそも行き先が決まっておるではないか」

「ま、それもそうだ」

 カタナの本来の役割は補助と偵察にあった。具体的に言うと、対象を見つけ出して空から追跡し続ける事がカタナの主要な役割なのだが、今回の場合請求先が団体なので、居場所が確定しているのだ。

「ま、気楽に行こう。気楽に、さ」

「余り緩まぬようにな」

「解ってるって」

 そうして、一人と一羽は、ちょっとしたお使いに出るような気軽さで、タクシー乗り場に足を向けた。

「……いい加減せめてバイクくらい乗れるようになった方が良いと、我は思うのだがな」

「俺もこういう時はすごくそう思うよ……」

 タクシー乗り場につくと、丁度一台客待ち中のタクシーがあった。乗り込んで「EMCニューデイズ支社前まで」とウェイルが言った瞬間、バックミラー越しに見える運転手の顔があからさまに引きつった。ホントごめんなさい、と内心で呟く。カタナはいつも通り乗らなかった。

 目的地につくと、ウェイルは詫びの意味も兼ねて100ガーム札を出して「お釣りは要りませんから」と言ったのだが、運転手はこれを固辞し、無理矢理釣りを返してきた。

「どうせこれも請求するからどうでもいいのに」

 ウェイルは、かなり急いだ調子で去っていくタクシーを見送りながら、そう呟いた。

 ポケットから請求書を取り出す。医療費と書かれた行の下に、他雑費、と書かれた行がある。ウェイルはそこに「100GAM、交通費として」と書き込んで、受け取った釣り銭をポケットに入れた。

 ウェイルがタクシーから降りたのを見て、カタナが下りてきた。ウェイルが気付いて突き出した左腕にとまる。

「さて、いよいよと言った所であるか。今更言う事でもなかろうが、久々だからな。巧くやれよ」

「ああ、解ってるよ。前にも教えたろ? 三つの秘訣ってやつ。あれさえ守ってれば大抵どうにかなるモンだよ」

「──ああ、一人だった時に身につけた、等と嘯いていた物か」

「そうそう、それ」

「…………我は、アレはあまり褒められた物ではないと思うのだがな。まあいい、とにかく、巧くやれよ」

 自分が着いていけないからか、カタナはいつも以上に念を押してきた。しつこいと感じない事もないが、心配してくれているのも良く解るので、悪い気はしない。

「ああ、解ってるよ」ウェイルが力強く頷きを返した。

「うむ、ではな」

 カタナが飛び去っていくのを見送って、ウェイルは再び正面のビルと向き合った。

(三つの秘訣、かあ)

 我ながら懐かしい事を言ったものだと思う。ウェイルは昔を思い出してなんとも言えない不思議な気分になった。

 三つの秘訣、とはウェイルが単身スラム暮らしをしていた頃に自然と身に付けた、一人でも生きていく為に必要に感じた能力の事だった。

 一つ、我慢強くなる事。二つ、演技が巧くなる事。三つ、卑怯になる事。

 思い返してみると随分と酷い物だ。カタナが、褒められた物ではないと評するのも頷ける。だが、平時に実践するかどうかは別として、今から必要になる能力なのも確かだった。

「──さて、と。それじゃ、行きますか」

 一つ呟いて、機工剣を抜刀、起動させる。刀身部が淡い輝きを放ち、質量が急速に発生した事を示す突風が湧き、ウェイルの髪と服が舞う。

 ウェイルは、グレイと出会う以前の自分を思い出してから、目の前の威圧感あふれる高層ビルへと足を踏み入れた。

 ──心の中の刃が引き抜かれる。


 ロビー部分は一、二階で吹き抜けになっていた。その広さや装飾の凝り様から、ここが金と人の巡りのいい場所なのだと解る。

 入ってすぐ、舐めた調子で声を張り上げる。

「ごめんくださーい。メイツハーツクリニックの者でーす。医療費の請求に──」

 ウェイルが最後まで言い切る前に、奥から比較的品の良い男がやってきた。ウェイルが来た事など監視カメラですぐに解ったのだろう。

「この様な夜分に我がエルミ&マーフィー商会に何の御用でしょうか?」

 男は口調こそ丁寧だったが、その顔に何しにきやがったクソ野郎さっさと帰れ、と書いてあった。

 だが、その程度でウェイルは動じない。

(おー、怖い顔しちゃってまあ……)

「聞こえませんでした? 僕、メイツハーツクリニックの者でして、本日お宅で飼ってる頭の足りないお猿さんが起こした騒ぎで出た怪我人の医療費の請求に参ったのですが」

「……何の事だか私共には解りかねます」

 男の表情が、高圧的な物から、警戒心の強い硬化した物に切り替わった。

 ウェイルはわざとらしく笑顔を浮かべる。

「自分の所で飼ってるペットの管理もロクに出来ないなんて、実に素晴らしい放任主義ですねえ。それとも犬に鼻薬効かせて油断してました? っていうか、ホントに知らないんですか?」

 ウェイルが、というより、メイツハーツクリニックがそういう場所なのは、この辺りでは周知の事実だ。彼らが騒ぎを起こして民間人に負傷者を出し、かつそれがメイツハーツクリニックに運び込まれた時点で、こうなる事は予想出来ていたハズなのだ。

「ハッ、まさか本当にこんなガキが使いだってのかよ!」

 男が、急に態度を変えた。

「だから、さっきからそう言ってるじゃないですか」

 ウェイルは意識して笑顔を崩さない。それが最大級の挑発になる事を知っているからだ。

 この手の人間から強制的に金を取り立てるには、どうしても示威行為が必要になる。その為にも、戦闘が起きるように誘導する必要があった。こちらから手を上げる様な大義名分は流石に持ち合わせていない。

 彼我の距離は凡そ3メートル。少々近いが、ウェイルの間合いだ。

「うるさいんだよ、餓鬼が。金は鉛球でなら払ってやる。とっとと家に帰ってママに泣きつくか選べ」

「非常に申し上げにくいのですが、当クリニックでは鉛球でのお支払いは受け付けておりません。というより、それで認めてくれる場所なんてある訳無いでしょう。あなたもお猿さんなんですか?」

「そうか…………」

 しばしの沈黙の後、男は西部劇さながらにすばやく胸から拳銃を取り出し、発砲した。外しようの無い距離だ。

 乾いた発砲音が反響する。

「…………はぁ?」

 一泊置いて、男の間抜けな声が響いた。

 ウェイルは未だ笑顔を崩さず、悠然と立っている。

「足元をご覧下さい」言って、ウェイルは下を指差した。そこには、先程放たれたと思しき銃弾が転がっていた。

 銃弾は、ウェイルには届かなかったのだ。

 アイギス粒子流体障壁。それがウェイルを銃弾から守った物の名前だった。

 アイギス粒子とは、前大戦の少し前に如月重工が開発した粒子で、常温常圧下において、気体でありながら一部非常に強い液体としての性質を持つ物だ。

 専用のリアクター、今の場合はウェイルが手に持つ機工剣を介してそれを大気中に散布、一定の流れを与えて対流させる事で膜として形成したものが、アイギス粒子流体障壁の正体である。

 その特性は、水面。

 水面は、瞬間的により強い力を加えるほど、より強い力を返す。プールの飛び込みに失敗すると痛い思いをするのを初め、高高度から水面に卵を落とすと無残に割れたりするのは、この特性による。

 先程の銃弾は、AP流体障壁という特殊な水面に弾かれ、著しくその運動エネルギーを失って落ちたのだ。

 障壁の強さはリアクターや整流装置の機能に左右されるが、ウェイルの持つ様な個人携行用のリアクターでさえ、銃弾を初め、至近距離での手榴弾の爆発も十分に無効化出来る代物だった。

 無論欠点も多いが、白兵戦においては最強に近い防御性能だ。

「ホント時間の無駄ですので、早く上の人に取り次いで頂きたいのですが……」

「ふ、ふざけるなッ!」

 やけくそになって男が銃を連射したが、障壁より外側から打ち込んでいる限り、決してウェイルには届かない。

 更なる銃声が響き渡り、異常に気付いて何人か新手がやってくる。

「はあ、やっぱり簡単には行かないよなぁ」

 ウェイルは軽く頭をかくと、セオリー通り、全員無力化する事にした。この手の手合いを無視して先に進むのは難しいのだ。

「えーっと、二、三……、四、五……、うっわ、七人もか……」

 これは少し面倒だな、と思いながら、手始めに目の前の男の頭部に機工剣の側面を叩きつける。側面とはいえ、重い鉄板で頭を殴りつけられたのと何も変わらない。一発で男は倒れこんだ。

 殺せ、とか、死ね、とか、野郎許さねえ、だとか、色々な罵詈雑言をBGMに、ウェイルは機工剣を振るって行く。

 二人目は弾切れの隙を付いて一気に距離をつめて頭部殴打。

 三、四人目は連れ立って行動していたので弾幕が途切れず、仕方なく腕を切り落とした。

 五人目はその光景を受けて完全に固まっていたので、そのまま頭部に一撃。

 六、七人目は、銃撃は無意味と悟ったのか接近戦を仕掛けてきたが、剣道三倍段の言葉通り、剣対素手の構図の前に破れた。

 ――この間、僅か三十秒足らずだった。

「皆さん治療の際には是非我がメイツハーツクリニックをご利用下さい。では、失礼します」

 ウェイルは最後にそう言い残して、悠々とエレベーターに乗り込んだ。

 案内を見て、当たりらしき階のボタンを押す。ドアが閉まった所で、ウェイルはずるずると座り込んだ。

「やっぱり慣れた物じゃないな……」

 戦闘技能も、医療知識もそれなりに身についている。殺さない様に手加減して戦えたと解っていても、やはりこうして人を傷つけるのは抵抗があった。

 子供の頃はもっと攻撃的だったが、あの頃の武器と言えば石だの角材だのナイフだのがせいぜいだ。機工剣の様な即死に繋がる凶器を使うのは、いつまで経っても慣れる事は出来そうも無かった。

 ポーン、と特徴的な音が鳴る。ここ何十年、何百年で技術は大きく進んだが、この音は相変わらず変わらない。

 エレベーターの中で、弱気の時間は終わりだ。ウェイルはシリンダーの中身を確認して、悠々と歩き出す。が、直後、目の前の違和感に気付いて足を止めた。

 防火シャッターが下りていた。おそらくは、普通のそれよりも遥かに強化されているのだろう。

「なるほどねえ……」

 玄関口での騒ぎを見て危険を感じ取ったのだろう、確かにそれ自体は正しい判断だ。

「そういえばEMC系列の事務所来たのは初めてだったっけな……」

 ウェイルが思い出した様に呟く。

 先程の出方と言い、彼らがウェイルの、ひいては機工剣の性能を把握出来ていなかったのは明らかだった。おそらくその原因はそのあたりにあるのだろう。

 APリアクターの小型化、携行可の成功は、前大戦中から今日までずっと秘密兵器扱いのままだったから、世間一般にその性能は知られていない。それは例えるなら、原子力発電が手軽に家庭で出来る様になった、という位突拍子の無い話なのだ。

 そして、メイツハーツクリニックの医療費請求を受けた組織の多くは、協力体制にある組織はともかく、敵対組織にまでいちいちその情報を流したりはしない。

 だから、彼らの対応は、彼らが得られる知識の中では最良の判断だったのだ。

「まあ、こんなシャッター意味無いんだけどね」

 機工剣の柄に付けられた引き金を引く。

 通常七割は障壁の展開に回されているAPを、全て刀身の形成に回すトリガーだ。

 機工剣の刃に当たる部分がより強く緑色に光る。片刃の光剣がそこにあった。

「そらよっと!」

 掛け声と共に機工剣を振るう。刀身が鮮やかな緑色光の軌跡を描き、防火用のシャッターに一筋の切れ目が入った。二振、三振、四振とやって、厚さ1mの強化シャッターが四角く切り取られた。まるで豆腐を切るが如くだった。

 機工剣の刃は、多量のAPを高密度、超高速で一定方向に循環させる事で形成されている。これで物が切れるのは、所謂ウォーターメッサーと同じ原理だ。硬さや鋭さで物を切る訳ではないので、ありとあらゆる物を抵抗無く切り裂いてしまう。

 遠距離攻撃に対するAP流体障壁、AP循環刀身という無敵の刃。その二つが、機工剣を最強の個人携行火器としていた。

 何枚かの防火シャッターを切り抜いた所で、ようやく目的の部屋にたどり着く。

 ウェイルは礼儀正しくドアをノックしてから、部屋に入った。

「失礼しま──」

 爆音。ドアが開かれた瞬間、部屋の中で待機していた男達が発砲したのだ。

 だが、当然今のウェイルには意味が無い。

 男達の視線の先に、ウェイルが悠然と立っていた。

「クラッカーで歓迎ですか? これは嬉しい配慮ですね。有難い話です」

(……こ……怖すぎるッ……。心臓に悪いって……)

 ウェイルは内心を押し殺して終始丁寧な態度を貫く。挑発の為のそれは、今では威圧の為の物になっていた。

「で、今回の件ですが、こちらの請求書をお受け取り下さい。何も今すぐ払えとは申しません。支払い期限についても裏面に明記しておりますので、それ以内に支払っていただければ結構です。もし、お支払い頂けない場合は……、お分かりですよね?」

「ど……どうしてこんな事をするッ?」銃を構えた屈強な男達の背後に隠れるようにしていた男が、震えるような声で言った。無駄に肥え太ったその体格を見るに、おそらくはここの責任者なのだろう。

「どうしてって聞かれましても……」

 ウェイルの目的は当然、彼らに医療費の請求書を叩きつける事にある。だが、それとは別の次元にもう一つ理由がある。つまり、リーディー達のお使い、という理由が。

 ウェイル自身だって出来ればこんな事したくはないのである。苦笑するしかない。

「い……医療費の請求なんて、そんな馬鹿げた理由で俺達に喧嘩を売って来る訳がないんだ! 誰からいくら貰ったッ?」

 恐怖のせいだろう。男は震える声を必死に荒げた。

「いえ……ですから本当に医療費の請求に──」

「そ……そうか、解ったぞ! その髪、お前〈フリークス〉なんだろ!? 連中の使いって訳か!」

「……ッ」

 ウェイルが無言の内に怒気を発した。〈フリークス〉──バケモノ共──という蔑称は、

 蒼い髪の母を持つこの少年にとっては、自身がそうでないとしても、許しがたい物だった。

「あいにくと私はカテゴリ〈ジャンク〉ですよ。貴方達の言うその『連中』ってのが何かは存じませんが、とにかく、この請求書、受け取って頂きます」

 ウェイルは、言葉と共に請求書を机に強く叩きつけた。

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