第二章
2-1 彼らの毎日
朝日が昇り、ニューデイズの街並みを照らしていく。戦争の災禍からの復興の只中にあるだけあって、都市部に特有の高層ビルは数える程しか見当たらない。この街は、今では数少ない、見上げなくても空が見える街だった。
日の光と共に、街の景色には陰影が付いていく。しかし、まるで忘れ去られた様に、影の出来ない場所があった。
街の中心部だけが、まるで砂漠の様に、まっさらなのだ。そこでは、僅かばかりの廃墟が小さな影を作るのみだった。その中には、リリィが居た廃墟もある。
それは、未だ癒えぬ前大戦の傷跡だ。
ニューデイズは、前大戦中、〈リワークス〉達の政府が置かれた街だった。それ故に、戦争末期には核の光を浴びる事になったのだ。
用いられたのは、限定核と呼ばれる新種の核兵器で、爆発規模を一定に限定する事で、その圏内における破壊力を何倍にも高めた兵器だった。
その威力はまさに、消し飛ぶ、という表現が適切な物だった。防御機構を備えていない建築物はすべて跡形も無く消え去り、備えていた建築物も、一つ残らず倒壊した。
ただ一つ救いだったのは、兵器の特質上、爆発の中心域以外には放射能汚染が発生しなかった事だけだろう。
だがその事実は、この街に住む大部分の人々には知らされていない事だった。各政府の首脳部にとって、ニューデイズの中心域の廃墟群は、依然として極めて価値の高い物だったから、出来うる限り外部からの接触を絶ちたかったのだ。
そうして何も知らぬ民衆が街の中心部を回避して再開発を進めていった結果、ニューデイズの街並みは、まるでドーナツさながらの円環状をしていた。
そんな円環の東部中心側区画に立っているメイツハーツクリニックは、今日もいつも通り繁盛していた。周囲と比べて一際清潔感のあふれるその建物の内部は、多数の患者達で賑わっている。
「三十七番、三十八番の番号札でお待ちの方は二番の待合室にお入り下さーい」
ウェイルは、受付のマイクに向かってそう言った。
さして広くも無い待合ロビーには、人がごった返している。ウェイルはその中から、一人と三人の二組──片方は家族連れだった──が待合室へと向かうのを見届けると、次にやるべき事を頭の中で確認する。
……今のでティータさんの診察室は待ちが二人。グレイさんの方もまだ一人いる。……今の内に会計を進めよう。
ウェイルはそう判断して、手元のカルテの一つに目を通す。
「──二十八番の番号札の、ダム・ハントさん、お会計です」
呼び出しに気付いて、長椅子の隅に座っていた中年の男が立ち上がって、やってくる。
手早く会計を済ませ、カルテに記されていた薬品を手渡す。鎮痛剤、化膿止め、抗炎症薬だ。
「お大事にー。…………さて次はっと」
ウェイルは小さく呟いて、次のカルテへと目を向けた。まだ今日は始まったばかりだ、疲れては居られない。
ふと視線を上げると、待合室の壁に掲げられた、メイツハーツクリニックの二つの標語が目に入った。
「誠実な医療」と「とにかく見る! まず見る! そして直すッ!」である。どちらも半紙に墨で書かれた物だ。その字体は、片方は流れる様な美しい物で、もう片方は荒々しく力強い。
内容的にも字体的にも、一目見て誰が書いたのかが解る代物である。ちなみに、後者のそれは明らかな誤字だが、書いた当人はそれを知っても面倒だからと書き直していない。
この病院、メイツハーツクリニックは、その標語を書いた姉妹の趣味と道楽で経営されていると言ってもいい物だった。
リーディーやティータが気に入った極少数の人間しか雇わないので、基本的にいつも人不足。リーディーの標語に従って、来る物拒まずの姿勢を貫くので患者には事欠かず、ティータの標語に従って良心的な価格で経営している事もそれを助長する。極めつけに両姉妹の医療技術は折り紙つき、と来ている。
だから、今日の様にウェイルが忙殺される事は、決して少なくなかった。むしろ、ウェイルとグレイが来る以前からこの病院が回っていた事が疑問極まりない。
そうして、気付けば昼休みになっていた。
「つ……疲れた……」
ウェイルの口から自然とその言葉が出た。午後のシフトは入っていないのが救いだろう。
今日の昼の診察を受け持っていたのはグレイとティータだった。そのうち、ティータだけが奥の診察室から受付側に出てくる。
「お疲れ様、ウェイル君」
ティータがそう言ってウェイルに人のいい笑みを向けた。
「ありがとうございます。ティータさんこそ、お疲れ様でした。グレイさんは?」
「カルテの整理だって。あの人、本当にすごいね。同じ時間で私の二倍近く診察してる」
ティータが心底感心した様に言う。
「は、はあ」
自分の父代わりの人が褒められているのは素直に嬉しいが、反面恥ずかしくもあった。更に言えば、そもそもグレイとティータとでは医者としての専門が違う。診断医であるグレイに、普通の医者であるティータが勝てるハズがないのだ。
「それにしても、もう三日経ったね。リリィちゃんが来てから」
「そう、ですね」ウェイルは、三日、という言葉を噛みしめるようにして言った。
「ごめんね、ウェイル君に任せっぱなしにしちゃって。その上今日は受付までやってもらっちゃって」
「いやいやいや。そもそも本来は俺だって受付の仕事はするべきなんですよ。それを今日まで休ませて貰ってて、むしろ申し訳ないです。連れて来たのは俺で、ティータさん達には関係ないハズなのに」
言って、ウェイルは軽く頭を下げる。
「あのね、ウェイル君。あの子を受け入れようっていうのは、私達全員の総意だよ? それに、私や姉さんには、大人としての義務や、医師としての義務があるもの、あの子を見たら放っては置けないよ」
そう言って、ティータが微笑んだ。
「それで、あの子、色々とどうなの?」
「まだ三日しか経ってないですから、なんとも言えませんけど……正直不安です。警戒心こそ大分緩んだみたいですけど……それ以外の変化は何もありませんし」
「警戒心、緩んだんだ? グレイさんは、懐いてくれないって言ってたけど」
「そうですね、何故かグレイさんの事は相変わらず怖がりますけど、俺やリーディーさんには大分懐いて来てると思います。あとカタナにも」
「いいなあ、姉さんにも懐いてるんだ。私は診察が結構あったからなあ……」
ティータが不満そうに少し口を尖らせて見せた。
「ティータさんにもきっとすぐ懐いてくれますよ」
「そうだといいけど……。ま、とにかくお疲れ様。ゴメンね引き止めちゃって。早くリリィちゃんの所、行ってあげてね」
「はい、ティータさんも、お疲れ様でした。午後もがんばって下さいね」
「うん、頑張るー」
ティータの笑顔に見送られて、ウェイルは受付を離れた。
ウェイルは自室に戻ると、その散々たる状況を見て、ふぅ、と一つ小さく息をつくのを堪えられなかった。酷い散らかり様だ。理由はどうあれ、自分の生活圏が、自分の居ぬ間に散らかされていたら、いい気分にはならない。
つい先程までリリィとリーディーはこの部屋で遊んでいたのだろう。床中に玩具が転がっていたのだ。
結局、リリィの寝る部屋こそリーディーの私室という事にして貰ったが、基本的にリリィの面倒を見るのはウェイルだ。だから当然、リリィが起きている間は、ウェイルの部屋にいるのが普通だった。
「まあ、いいけどな、別に」
そう、別にそう気にする事じゃない。ウェイルは自分に言い聞かせた。この程度の事でイラつく程、俺は狭量な人間じゃないさ。
……、駄目だ、やっぱり少しイラついてる。
「疲れてるせいかな」
ウェイルは一人苦笑した。
「何を一人で問答しておるか、貴様は」
あきれるようなカタナの声が聞こえてくる。
カタナは、部屋の片隅に置かれた上着掛けの上に止まって羽を伸ばしていた。ちなみにその上着掛けはカタナの止まり木代わりに置かれた、カタナ専用の物である。
「なんでもないよ。それで、リリィとリーディーさんは?」
ウェイルは咄嗟に笑って誤魔化した。
「花を摘みに出向いておる」
「えらくまた古風な言い回しだなあ」
「学が無いよりは良かろう」
この一言を最後に会話が途切れて続かなくなったが、少しして、カナタが思い出した様に嘴を開いた。
「まあ……あまり根を詰めぬ事だな。今の貴様を見ていると、以前のあの男を思い出す」
「グレイさんを?」
「うむ」
カタナはゆっくりと頷くと、自身が生まれて間もなくの頃の記憶に思いを馳せた。
「あの男も、貴様を拾って間もない頃は常々気が立っていた様だったからな」
「……あのグレイさんが?」
ウェイルにはにわかには信じられない事だった。
グレイに拾われてから大分経っているが、ウェイルの記憶の中にあるグレイは今のそれと変わりない物だった。敷いて言えば昔は無口だった印象がある位だが、おそらくは互いに微妙な距離感を掴み損ねていたからだろうと思う。少なくとも、今の自分の様に感情を持て余していた様子は無かった。
「親は存外、子供の前では取り繕っている物なのだろうよ。少なくとも、我が見たあの男はそうであった」
「そんな物かあ?」
「そんな物なのだ。いやしかし、懐かしいものであるな」
カタナはそう言葉を結んだが、しばらくして、
「いかん! あの男の昔を思い出して郷愁の念を抱くなどとは……、我ながら度し難い! あの頃の記憶など、即刻唾棄すべき忌まわしい遺産に過ぎんではないか!」
と一人怒りだした。
「カタナ……お前って案外沸点低いよな」
ウェイルはカタナのその様子を見て、なんとなく、薬缶に入れた水が沸騰してる見たいだな、と思った。カタナは器が小さいという感じではないので、おそらくは中身の水が少ないのだろう。もっとも、カタナに言わせるとあの男──グレイ・ハルバード──という火力が高すぎるという事になるのだが。
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