1-5 リリィ

 グレイの話が終わると、いつまでも病室を占拠しておく訳にもいかない、と二人がかりで少女をベッドごとウェイルの自室に移した。元から大して物の無い殺風景な部屋だったので、特に問題は無かった。

 それから、午前の診療の準備に向かったグレイを送り出して、少し落ち着いたところで、ウェイルが一つため息を付いた。

「色々と、大変な感じだなあ……」

 視線の先では少女が相変わらず心地よさそうに眠っているが、それが睡眠薬によるものだと考えると不安になる。目覚めてから頭痛を訴えたりしないだろうか。

 そんな事を考えていると、窓の外、ベランダから騒々しい羽ばたきが聞こえてきた。カタナだ。あわてて窓を開けてやる。

 カタナは、一度窓の縁に止まると、そのまま足で小さく跳ねながら部屋に入って来た。羽ばたいて入るには、窓が小さすぎるのだ。

「ええい! まったく、朝から我を無視しおって!」

 カタナは、ウェイルの足元でそれだけ叫ぶと、再び飛び跳ねながら、空いていた椅子の上に飛び乗った。

 ちなみに、カタナは動きながら喋る事が出来ない。鳥の声帯で人語を喋るには、静止して気道をまっすぐ立てなければならないのだ。

「悪い、カタナ。悪気は無かったんだけど……」

「まあ、いい。色々と立て込んでおったのだろうからな。ともかく、詳しい話を聞かせて貰おう」


「──と、まあ、そういう話らしいんだ」

 一通りの事情を説明し終える。カタナには何か思う所があったのか、渋い顔をしていた。

「ん? どうしたカタナ。妙な顔してるけど」

「……よく我の表情が読み取れる物であるな」

「だって、付き合い長いしな。自分でもどうかと思う所あるけど」

 鳥の表情が読める、というのは、なかなかどうして珍しい特技だなあ、と思う。

「まあ良い。それで、まとめると、今のこの少女の精神面は赤子とさして変わらない、否、むしろそれ以下の可能性さえある、という事で相違ないのだな?」

「ああ、そういう話らしい。言葉さえ習得できれば、後はどうにでもなるだろうって話なんだけど、その最初がなあ……」

 最悪の場合、この子は一生このままかも知れないのだと思うと、会って僅か一日足らずの相手だとしても、心配になる。ウェイルの表情は自然と曇った。

「それで、この少女の面倒は主に貴様と我とで見る、という話で構わぬのか?」

「ああ、そうなるね。なんだかんだ言っても、俺以外は皆ここの診療とか、色々仕事があるしね。出来るのがそもそも俺達しかいないから。それに……」

 ウェイルはそこで言葉を一旦止めると、部屋の隅に置かれた鉄の箱に視線を送った。

 それは、この部屋で一際重厚感と違和感を放っているウェポンラックだ。中には、グレイから貰った個人携行用の武装としては最高ランクに位置する兵器、機工剣が入っている。

 ウェイルは、今ではもう戦えないと言うグレイの代わりに、機工剣を使って荒事に関わる事があるのだ。

「最近は大規模なゴタゴタもないし、アレをバンバン使うハメになる事も多分ないだろうから」

 出来れば、そんな血を見るような事態は起きて欲しくない、と思う反面、起きた所で問題はないしどうでもいい、と思っている部分もあった。

 幼く、まだ一人で居た頃に染み付いた冷ややかで攻撃的な性向がまだ抜け切っていないのだ。

 心の片隅には、当時研ぎ続けてきた鋭利な刃物が眠っていて、平穏という鞘から抜き放たれる日を待っている。ウェイルは、そんな自分に気付いて少し苦い顔をした。

「……ふむ。まあ、我らの仕事の話は今はいい」

 カタナの一言で、ウェイルの思考は遮られた。

「今の問題は、この少女の事であるが……」

「そうそう、渋い顔してたけど、何かあるのか?」

「いい加減に、この少女、等と呼ぶのは面倒だと思わんか」

「……確かに」

「だろう? それに、言葉を教える事から始めなければならん、という事は、やはり名前は重要になる、という事だ。我とて、最初に発音できた言葉は、まッ──ことに不愉快ではあるが、グレイ、であったからな。ちなみに次が我が名、つまりカタナだ。覚える事と発音する事とでは違うだろうが、どちらにせよ名前は重要であろう」

「なるほど……、確かに一理あるね」

「うむ、では、さっさと名を与えてやろうではないか」

「へ?」

「へ、では無いわ戯けが。どう考えてもこの少女には未だ名が無いであろうが。ならば付けてやる他あるまい?」

 ウェイルは、カタナに言われるまで、名前をつける、等と考えても居なかった。命名という行為はウェイルにとってはあまりに馴染みが無く、また崇高に過ぎる物だった。

「どうせこの少女に親なぞ……居るまいよ。誰に気兼ねする必要がある」

「それは……そうかも知れないけど……。犬猫とは勝手が違うんだぞ」

「ハッ、それこそ検討違いも甚だしい。本来犬猫に名なぞ必要ないというのに、そこにはわざわざ名をつけるであろう。だというのに、本来名が必要なヒトには付けられぬなどとは」

「そういうのとは……また違うんだよ」

 カタナは、人並みの頭脳を持つと言っても、その精神構造は鳥のそれに近い部分がある。彼にとって名とは固体を識別するための記号以上の意味はない。だから、カタナにはウェイルの心の機微が読み切れないのだ。

「あの男を見ていて常々思っている事だが……、ヒトと言うのはかくも面倒な生き物であるな」

 そう言って、カタナが呆れたように顔を逸らす。だが、その言葉にはある種の親愛の情が込められていた。それに気付いて、ウェイルの表情も緩む。

「そ、ヒトっていうのは、色々と大変なのさ」

「……とは言え、だ。我としてはいつまでも貴様が悩んでいるのに付き合いたくはない。ここはいっそ、我が名をつけてやろうではないか」

 そういってカタナが無駄に尊大にふんぞり返った。正確に表記するなら、ただ胸を張っている様にしか見えないのだが、鳥的にはふんぞり返っているつもりらしい。

「はあ?」

 これには流石のウェイルも苦い顔をするしかない。

「はあ? では無いわ戯けめ。それが嫌ならさっさと貴様が決めてやるが良かろう」

「うぐ……」

 こういう言い方をされてしまっては、ウェイルとしても反論し辛い。いつの間にか論点が若干ズレている気もするが、カタナに名付け親になられたら、この少女としてもたまったものではないだろう。

 鳥に名づけられた少女。

 …………笑い話にもならない。

「でもなぁ……。うーん」

 唸るウィエル。困った、特に何も思いつかない。

「世話が焼ける輩であるな、貴様は。我の中ではもう候補は決まったぞ。そうだな、後三分して貴様が決められなかったら、やはり我が名をつけてやろう」

「……、なんでそう無駄に焦らせるかな、カタナは」

「貴様が愚鈍だからであろう。こうして尻でも叩かねば一向に決まりそうにないではないか」

「う……、解ったよ。それで、カタナが決めた名前ってのは、どんなの何だ? 参考までに教えてくれよ」

「よかろう。リリィ、そう、この少女の名はリリィである」

「へえ、割と普通だけど、どうしてそうしようと思ったんだ?」

 ここで、カタナが、音の響きが気に入ったから、とでも答えていれば、リリィ、という名前はすんなり受け入れられたのだろう。だが、やはりカタナはどこかヘンだった。

「うむ、説明してやろう」

 カタナが得意げに頷く。

(説……明?)

 とても嫌な予感がした。普通、名前の由来に長ったらしい説明が必要になる事は少ない。

「誰もがこの少女の生まれや素性を知ったら驚くだろう。そして、そう、驚いた時、ヒトが自然と発する言葉は何だ? 『マジで』とでも言うだろう。つまり、Really? だ。そこから音を縮めたのだよ」

 カタナはしきりに一人、うんうんと頷いている。どうやら自分の思いつきが非常に素晴らしい物に思えているらしい。

「……、どーこから突っ込めばいいんだか、まるで解らない……」

 呆れるウェイルを他所に、カタナは一人「うむ、やはり素晴らしい響きであるな」などと呟いていた。

 ──が、結局それから三十分してもウェイルは真っ当な候補を思いつけなかったので、やむなく少女の名前はリリィ、という事になった。

 もっとも、思いつけなかった理由の一つは、カタナの語った説明のインパクトが強すぎて、そこに引きずられてしまったからなのだが。


 それからしばらくして、日も高く昇った頃、少女、リリィは目を覚ました。

「──ん……」

 カーテンの隙間から零れる日差しで目覚めたのだろう。リリィは鬱陶しげに、日差しを遮るように手をかざした。

「あ……」

 その動作で、ウェイルはリリィが目覚めた事に気付く。

 困った、いざとなったらどうやって話しかければいいのか解らない。

「あー……、その、おはよう。調子はどう?」

 問いかけても答えが返ってこない事は解りきっている。だが、自然と口から言葉が出ていた。

「──ふぇ?」

 リリィが不思議そうに首を傾げる。どうやら、自分に向けて何か訴えかけているらしい、という程度には解っている様だった。

「えっと……」

 ウェイルは一瞬、何を喋ればいいのか解らなくなって口を閉ざす。

 その背後から、カタナの声が投げかけられる。

「何をあたふたしておるか。まずは名を呼んでやる事から始めるべきであろう?」

「ひゃうッ」

 昨夜の廃墟の再現か、リリィがまたカタナにおびえる様に身を竦める。

「やっぱり怖がらせちゃったか、ごめんごめん」

 ウェイルは苦笑を浮かべた。やはりカタナの存在はそれだけで刺激が強すぎるらしい。

「えっと、じゃあ、改めて──」

 ウェイルはそこで一度言葉を区切り、リリィの手を優しく握る。

「おはよう、リリィ。そう──今日から君の名前はリリィだ。よろしくな」

 そう言って笑いかけるウェイルに、リリィも自然と笑い返した。

 それは、本当に純粋な、無垢な気持ちから来る笑顔だった。

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