1-4 〈ピリオド〉の少女

 帰ってきたウェイル達を出迎えたその人物は、彼らを見るなりこう言った。

「あらぁー、また随分と可愛い子を連れ込んだじゃなぁい? これから襲っちゃうのかしらぁ? お楽しみ用のおクスリは要るぅ?」

 彼女の名はリーディー・メイツハート。今現在のウェイル達の居候先であるメイツハーツクリニックを経営する女医の一人である。

 彼女は全身から酒気を漂わせており、暑苦しそうにはだけた胸元は彼女の胸の双丘を必要以上に強調していた。もっとも、ウェイル達はそれがシリコン製の人工物である事を知っていたので、どぎまぎするのとはまた違った感情を想起された。

「ただいま、リーディーさん」

 と、ウェイルは苦笑ぎみに挨拶を返し、

「後でベッドを一つ……それと検査室を借りるぞ」

 と、グレイは必要事項だけを口にし、

「むぅー」

 名も無き少女は彼女の漂わせる酒気が気になるのか、少し嫌そうな顔をした。

「あらあらぁー? 皆冷たいわねぇー。もっとお姉さんに構って頂戴よぉー」

 リーディーは、自分を無視してウェイル達がどんどん奥に進んでいく事に抗議したが、ウェイル達は無視した。今の彼女をまともに相手にしても時間の無駄にしかならない事は、解りきっていた。

 大して広くも無い病院の廊下を歩き、二階──メイツハート姉妹の自宅兼待機所、かつウェイル達の居候先──へと向かうと、丁度廊下を歩いていたティータ・メイツハートとはち合った。苗字からも解るように彼女達は姉妹であり、リーディーが姉でティータが妹である。

 ティータは、階段を上がってきた三人に気付くとやわらかい笑みを浮かべた。

「あら、おかえりなさい。結構すぐに帰ってきましたね。……、それで、その子がカタナちゃんの言っていた子?」

「そうらしい」とグレイが肯定の意を返す。

 グレイがカタナの連絡を受けて叩き起こされて車を走らせた際、リーディーの方は夜勤だというのに既に出来上がっていた為、グレイは仕方なくティータを起こして一言告げてから出てきていた。

 少女は相変わらずウェイルの背後に隠れるようにしていた。ティータと目が合うと、より一層縮こまって、顔だけを見せる。その様子は、木の陰に隠れて様子を窺う小動物を思わせた。

「あらあら可愛い。緊張しているのかな?」

「ぅぅー」

「そんなに警戒されるとちょっと悲しいですねえ……。ま、それは今は置いておきましょうか」

 ティータは一度そこで言葉を区切り、ウェイル達の方へと視線を戻した。

「訳ありの子なのはすぐ解りましたけど、まあ、ここに居れば一晩程度の安全は確実ですから、とりあえずはお二人ともお休みになられては如何です? 詳しい事情は明日の朝にでも聞かせて頂ければ十分です。それに、良い子はとっくに寝ている時間ですし、ね」

 言って、ティータはウェイルに向けて意味ありげな視線を向けた。

 彼女は暗に、夜中にウェイルが単独で活動していた事を責めているのである。それが解っているからか、ウェイルの方も、

「は、はぁ……」

 と収まりの悪い返事を返しながら頭をかくしかなかった。

「私は今の内にしておきたい事がある。検査は早い方がいいだろうからな。ウェイルは先に寝ているといいだろう。何、心配するな、その少女の事はとりあえず任せておけ」

 グレイのその言葉で、その場はお開きとなった。



 そうして翌朝、ウェイルはグレイに内線で呼ばれて病室の一つに向かっていた。清潔感の保たれた廊下を歩く。窓から見る外は未だ暗い。他の病院はともかく、ここ、メイツハーツクリニックの朝は非常に早いのだ。

 途中、一階に降りたところでリーディーとすれ違う。未だ昨夜の酒気は抜けきっていない様で、少々アルコールの匂いが鼻に付いたが、少なくとも理性は戻っている様だった。

「あらぁ、おはよう、ウェイル。今日はちょっと早いわねぇ」

 リーディーの声は昨夜と変わらず間延びしていたが、そもそも根本的にリーディーは素面でもこんな調子なので、果たして今のリーディーがどの程度酔っているのか、ウェイルには判断が付かなかった。

「おはようございます。ほら、覚えてませんか? 昨日の」

「ははぁん、なるほどねぇ。愛しのお姫様が気になっちゃうのかぁ」

 言って、リーディーは意味ありげな表情をして見せる。

「……そういう訳じゃないんですけど」

「まぁ、からかうのはこれ位にしてぇ……。マジメな話ぃ、私も検査は手伝ったけど……、あの子色々と大変よぉ、きっと。ま、そんなの私には関係ないけどねぇ。あぁ、ふかふかのベッドが私を待っている! という訳でお休みなさいねぇー」

 リーディーは言いたい事だけを言うと、ずかずかと階段を上っていってしまう。その姿からは、彼女がこの街では誰もが一目置く実力者だとは想像も出来ない。

「まだ酔いが残ってたのかな……」

 ウェイルはリーディーの背中を見送りながらそう呟くと、グレイに言われた病室へと向かった。

 ドアを軽くノックしてから「失礼しまーす」と言って中に入る。

 病室に入ると、ベッドでは件の少女が穏やかな寝息を立てており、グレイがその横でカルテをじっと睨んでいた。

 グレイは、入ってきたウェイルに気付くと自然な動作でカルテを机に伏せ、椅子を回してウェイルの方に向き合った。別にウェイルに対してカルテを隠す事にさしたる意味は無いが、染み付いた習慣がグレイにそうさせた。

「来たか。おはよう、ウェイル」

「おはようございます、グレイさん」

 ウェイルはそう返事を返すと、ベッドで眠る少女に視線を送った。

 少女は完全に無警戒で、幸せそうな寝顔をしていた。昨夜の警戒心を撒き散らしている姿を思うと、自然と頬が緩む。

「ぐっすり寝てますね」

「きつい睡眠薬を打ったからな、当然だ」

「…………へ?」

 グレイが朝からいきなり少々物騒な方向に偏った発言をする物だから、ウェイルはこうして間の抜けた声を上げるハメになった。

「いやな、精密検査には当然血液や粘膜、皮膚組織が必要になるだろう? この子が大人しくしていてくれれば事はすぐに済んだんだが……、暴れてな。最初は軽いヤツを飲ませたんだが……、それがまた効かんときた。それで仕方なく、だ」

 グレイは悪びれるそぶりの一つも見せずにそう言い切った。

「ま……まあ、グレイさんがやったんなら大丈夫なんでしょうけど……」

 グレイは自分の過去の多くを伏せていたが、ある程度の事は語っていた。その内一つが、元軍医──それも十分な戦闘訓練を受け従軍経験もある様な──という経歴である。グレイがここ、メイツハーツクリニックに居候させて貰えている理由の一つだった。

 グレイは、軍医の中でも総合診断医、と呼ばれる、ありとあらゆる病状に対して対処療法を施した後、適切な診断を下して適切な専門医に後をゆだねる、という比較的新しい医療分野の有資格者であり、睡眠薬、鎮痛剤、精神安定剤から果ては麻薬まで、あらゆる薬品の投与にも通じていた。

 昨夜、ウェイルが少女に対して麻薬じみた鎮痛剤を投与できたのも、グレイの教授によるものである。違法者として生きている以上、いつ何時荒事に巻き込まれてもおかしくないのだ。自衛手段として一通りの衛生技能を持っている事はプラスにこそなれど、マイナスになる事はありえなかった。

「さて、ウェイル。とりあえずこの少女に関する情報は大概出揃ったのだが……、そうだな、身体的な情報と、人格的な情報、どちらから先に聞きたい」

「そりゃまあ、身体が先でしょう。体があってこその脳、脳あってこその人格ですし」

 ウェイルのこの辺りの思考法もまたグレイ譲りの物であり、所謂理系の考え方だった。

「解った。ではまず結論から言うが、やはりこの少女は〈リワークス〉だ」

「そこはまあ、予想通りですね」

 そう言ってウェイルは表面上軽く流して見せたが、内心では少し重たい物を感じていた。法律上〈リワークス〉には人権が無い。少女の事を思うとどうしても暗い気持ちになる。

「ああ、だが問題はここからだ。ウェイル、一つ聞くが、慣例的に言われるゲノムカテゴライズを下から順に言ってみろ」

「えっと……、まずはヒト原生種〈オリジン〉、

 次が、相違率0.2から0.5%の〈ジャンク〉、0.5から1.0%の〈アドバンス〉、

 ここまでが……その、人権が認められるラインですよね。

 で、それ以上の、〈作り直された者〉が、

 1.0~2.0%の〈ネクスト〉、

 2.0~4.0%の〈マスターピース〉って所ですか」

「ああ、それで正解だ。で、ここでもう一つ聞くが、何故法規では相違率4.0%を超える者についての定義が無いんだ?」

 グレイが試すように問いかけた。

 昔にグレイさんから教わった気がするなあ……、とウェイルが頭を抱える。思い出せないのは気まずい。

「確か……、それ以上遺伝子を弄ると生まれてこないから、でしたっけ?」

 ウェイルの答えに、グレイがああ、と一つ頷いて見せた。

「少し大雑把だが、概ねそれで正しい。どうも弄りすぎると発生段階で異常が発生するらしくてな、大概が胚の段階で成長を停止してしまう。要するに死産になる。そう、そのハズなんだ」

 グレイはそこで一旦言葉を区切り、ベッドに眠る少女の方を見つめる。

「……そのハズなんだが、昔からどこもその壁を越えようと研究と続けていてな……、どうもこの子はその成功例らしい」

「え……?」

「この子の塩基配列のヒトゲノム原基との相違率は6%を超えている。所謂人類種の到達地点、〈ピリオド〉と言うヤツだ」

「それはまた……何かすごいですね」

 すごい、という事は解るが、どうすごいのかまでは、ウェイルの理解の及ぶ範囲ではなかった。自然と、打つ相槌もあやふやになる。

「凄い、等という話ではないよ。相当の厄介事だ。この子は、おそらく……現存するほぼすべての組織にとって、喉から手が出る程欲しい存在だろう」

 やれやれ、とんだ厄介事だ、とグレイが軽く首を振る。

「それじゃまさか……、この子を、どこかに突き出すつもりですか!」

「そう声を荒げるな、ウェイル。そんなつもりは全く無い、心配するな。どうせどこの組織に渡しても、保護等と言いつつ人体実験のオンパレードだ。そんな不愉快な事を進んで手助けする理由もない。とにかく重要なのは、この子の存在がそれだけ異質で重要な物だ、と理解しておくことだ」

「はい」素直に返事を返す。

 ウェイルは今の時代に〈リワークス〉にカテゴライズされる者が生きていく事の辛さを、良く知っていた。それが、特別な存在だというなら、尚更だ。

「いい返事だ。さて、彼女の身体的な情報だが、おそらく年齢は十五前後、導入されている遺伝子は数え上げればキリが無いが、脳機能の強化が目立つな。他には、窒素同化細菌の導入遺伝子なんかもある、あんな廃墟を一人で生きてこれたのは、おそらくはコイツのお陰だ」

「は……はあ」

 ウェイルには、グレイが何を言っているのかてんで解らなかった。リーディーやティータであればすぐに飲み込めるのだろうが、ウェイルには無茶な注文という物だ。

「南方の僧の中に、何も食べず水だけで生活できる者が居る、というのは聞いた事が無いか? あれの大半は眉唾物だが、中には本物も混じっていてな、あれは空気中の窒素をエネルギー源として取り込める特殊な大腸菌を持っているからでな。その菌を導入出来る様になる遺伝子が入っていた、という事だ」

「良く解らないんですけど、早い話が、水だけで何とか生きていける様になる、って事ですか」

「ミもフタも無い言い方をすればそういう事だが……。面白くないヤツだな」

「面白くないヤツ……って……」

 確かに、グレイからすれば専門的な話が通用しないウェイルはある意味面白くない相手なのだろうが、それを面と向かって言われていい気はしない。

「まあいい。次の話だ。次は人格面だな」

「正直俺にとってはそっちのほうが色々と心配ですね」

「ああ……、実生活という意味ではこちらのほうが遥かに重大な問題だ。そうだな……どこから話すべきなのか……」

 グレイは平時から物をハッキリと口にする人間だ。事実、ウェイルはグレイが言葉を濁している所を数えるほどしか見た事が無い。だから、今の様にグレイが言葉に詰まる様は非常に珍しい光景と言えた。

「……少し話が逸れるが、お前は鳥類の刷り込みという現象を知っているか?」

「ええ、そりゃあ。鳥の雛は生まれてから最初に見た動くものを親と認識する……ってヤツでしょう? カタナが前に言ってましたよ」

 カタナは、ウェイルがグレイに拾われる少し前にグレイの元で生まれたのだが、その事で散々こう愚痴っていた。

『あの男は我にも刷り込みが効くと思っておったのだ! 誇り高き皇翼にその様な稚拙な偽りは効かんというのにな! 今思い出しても腹が立つ!』と。

「あの阿呆鳥め……」言って、グレイが一瞬頭を抱えるが、すぐに首を振って続けた。

「まあいい、その刷り込みだがな、それが成立する時間は、生まれてから丸一日無いんだ。刷り込み、という特殊な学習方法が機能する時間制限、とでも言おうか」

「それが、今の話と一体なんの関係が?」

「人間にもその手の時間制限はある程度存在するんだよ。敏感期とか言ったか。一般的な反復学習ではなく、特殊な脳機能を使う学習方法には、時間制限が付きまとう」

「だから……?」

 ここまで聞いて、ウェイルも段々と、このベッドに眠る少女の状態に理解が及びつつあった。未だ靄が掛かっていて正確には見えないが、何か良くない物の輪郭が浮かび上がってくる。それでも、聞かない訳には行かないのだ。ウェイルは先を促した。

「人が言語を学ぶとき、どうやって学ぶ? 外国語を母国語に照らし合わせて覚えていくだろう? では、最初の一つ、母国語は一体どうやって学ぶのだろう、という話だよ。ここに特別な脳機能が必要になる訳だ。人間の場合、おおよそ十三から十五歳が、母国語の習得に関する限界点だと言われている。事実、それを裏付けるような野生児の記録も残っていたはずだ。……言語が習得できなければ、後はすべて推して知るべし、という事さ」

「そんな……」

「だがまあ、望みもある。さっきも言ったが、この子は人類種の到達地点とも呼べる存在だ。しかも脳機能の強化に偏った、な。しっかりと面倒を見てやれば、どうにかなるかも知れないぞ? まあ、頑張ってやれよ、ウェイル」

「……何で俺だけ名指しですかグレイさん。今の言い方だと、殆ど俺に丸投げする様に聞こえるんですけど」

 先程までの暗い表情から一転、グレイが意地の悪い笑顔を浮かべた。

「そりゃあ、拾ってきたのはお前だろう? 僕が面倒を見るからー、とでも言う所じゃないのか? 普通」

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