1-3 グレイ・ハルバード

 ウェイル・サーランドは、この時代を生きる人間としては、やや平均から外れた少年である。

 ゲノムカテゴライズは〈ジャンク〉──〈ヒトゲノム原基〉との相違率が0.2%から0.5%以内に収まっている者の事を慣例的こう呼ぶ──であり、法的な拘束よりも金銭的な限界につきあたった者達はこのランクに落ち着く事になるので、ある意味最も平均的なランクである。

 だが、実際にウェイルを見た大部分の人間は、その言を素直に信じる事は無い。

 その原因は、彼の黒い髪に混じる一房の鮮やかな蒼髪にある。

 子供が生まれるに際し行う遺伝子操作自体は極めて単純な物で、遺伝子配列中に特定の塩基配列を挿入するか、あるいは既存の配列を書き換えるかの二種類しかなく、その手間はどのような変更を加えるかに関わらず一定である。つまり、遺伝子操作に掛かるコストはすべからず、どれだけ変更をくわえるか、という一点にのみ左右される。

 変更できる最大量は法規によって決まっていて、かかるカネはその量にのみ左右される。そんな状況であれば、どんな親だって遺伝子操作を実用的な要素に限定するだろう。例えば、頭が良いとか、体が丈夫だとか、老化が遅めになるだとか、そういう物だ。少なくとも、頭髪の色を操作する、なんて事の優先度は極めて低くなる。

 よって、頭髪が不自然な色をしている事、とはつまり意図的に遺伝子操作量を1%以上にされた者、という図式が成り立つ。前時代に生産された鑑賞用、あるいは娯楽用の人形の頭髪にはあえて不自然な色が採用されていた。特に意味の無い変更で1%の枠の一部を埋められるし、見た目にも解りやすいからだ。

 だから、ウェイルの蒼い髪は、それが一部だとしても、周囲から疑惑の目を向けられるのだ。「わざわざ好き好んで人形と同じ髪色に染める者は居ない、お前は地毛が蒼で、黒く染めているのだろう」と。

 だが、実際の所ウェイルは髪を染めたりなどしていない。単に親から遺伝しただけである。

 ウェイルの母親は、所謂商品化された人形の一人だった。対して父親は金だけは有り余る程に持っている〈オリジン〉だった。この種の構図は戦争以前から珍しい物では無かったし、戦争の終盤にはより増えていた。

 一般にその手の人形は子を為せる可能性が極めて低くなる様に設計されている物なのだが、逆に可能性が低かったからこそ、ウェイルの父親は、身ごもった人形に面白半分に子を産ませた。その子供こそが、ウェイルである。

 ウェイルが〈ジャンク〉なのは、単に遺伝子の気まぐれに過ぎない。

 幼い頃、ウェイルは〈ジャンク〉であるが故に疎まれた。人権が認められる以上育てなければならない。だが、誰が好き好んで人形の子など育てるか、という訳だ。あるいは、ウェイルがカテゴリ〈ネクスト〉──遺伝子相違率1%以上2%未満の者をこう呼ぶ──

 であったなら結果は違ったかも知れない。もっと悲惨な方向に。

 ウェイルを産んだ母はあくまで人形であったから、子と触れ合う機会など与えられなかったし、父親の愛など望むべくもなかった。

 結局ウェイルは未だ幼い内に、針のむしろ以外の何物でもない生家を飛び出した。そして、当時ありあふれていた戦災孤児達と混じって貧民街を生きてきたのである。

 もっとも、貧民街に出てからもウェイルを取り巻く環境は対して変わらなかった。衣食住に不自由するという意味では、悪化したとさえ言えるだろう。

 誰もがウェイルにヒトモドキの〈フリークス〉──〈リワークス〉を意味する俗語──ではないかと疑惑の視線を向け、その出生を知った者は人形の子だと蔑みと憐憫の視線を向けた。

 そのどちらにせよ、大人達にとってウェイルは異物以外の何者でもなかった。

 大人達は頼りに出来ず、同年代の子供達の間でもはみ出し者。ウェイルは盗みと喧嘩、略奪に明け暮れる日々を過ごすしかなかった。未だ年端のいかぬ子供だったウェイルが、そんな生活でも生きていけたのは、多分に母親由来の遺伝子のお陰だったと言えるのは一種の皮肉であろう。人形は壊れにくく頑丈でなければならない。その為の遺伝子もいくらかはウェイルに遺伝していた。

 そんな状況が一変したのは、ウェイルが一人の男に拾われてからだった。

 その男は所謂裏家業の世界に身を置く人間で、ウェイルは相変わらず、彼の使い走りとして荒れた生活から抜け出す事は適わなかったが、少なくとも孤独ではなくなった。その男の下で飼われていたカタナと知り合ったのもその時だ。

 そうして今では紆余曲折を得てそれなりにまともな生活を送れる様になっている。

 今、ウェイルは自分の置かれた境遇にそれなりに満足しているのだった。



 ウェイルにはそんな過去があるからか、ある種の面倒事、やっかい事を見かけると首を突っ込みたがる性分が身についていた。そこには、彼が本来持ちえていた性格的な因子が強く影響しているのは言うまでも無い。

 何しろウェイルは、使い捨ての効く駒として拾って育ててきたと嘯く、自他ともに認める似非保護者にさえ、今では感謝の念を感じている様なお人よしなのである。通常、多くの人間は彼と同じ様な環境で育ったら、何もかもに悲観的で利己的な性格に育ったまま、矯正することは無いだろう。

 そんな訳だから、ウェイルにはこの正体不明の自分に懐いてしまったらしい少女を見捨てる気にはなれなかった。

 彼の保護者へと連絡を付けに飛び去ったカタナを待ちながら、ウェイルは自分の正面に座り込む少女に視線を送る。流石にあのままの格好で居させるのは忍びなかったので、今は上着を貸してある。

「ホント、何なの、キミは?」

「うー?」

 問いかけた所で答えは返ってこない。少女は不思議そうに顔を傾げるばかりだった。カタナがいた時だけが特別だった様で、今ではまた少し距離を置かれている。

「絶対……、普通じゃないよなあ」

 そう、普通ではない。ありとあらゆる意味で。

 少女は、その背格好からしてウェイルと同年代なのは明らかだった。だというのに言葉すら喋れないというは、異常以外の何者でもないだろう。

 人類は自らの遺伝子を改良し続け、老化を遅くすることには成功したが、その逆、成長を早くする事にはついに成功しなかった。つまり、この少女は見た目に反して実は生後数ヶ月、という様な事はない。

 居た場所も不自然以外の何者でもない。この廃墟は過去には遺伝子研究の為の施設だった訳だから、過去に研究用に産み出されたサンプル個体という可能性が高いが、だとしたら何故今まで見つからなかったのか。

 ウェイルが見る限り、廃墟には真っ当な人間の生活の痕跡や、あるいは定期的に誰かが訪れた形跡もなかった。つまり少女は一人、この廃墟で生きてきた可能性が高い。

 ──過去産み出された〈リワークス〉が何らかの理由で一人孤独にここで生きてきた。

 ウェイルの推測から導き出される可能性はこんな所だった。

「明らかに……ノーグッド、だよなあ……」

 そう言って頭を抱えるウェイルを他所に、少女は純粋な好奇心に満たされた表情をしてみせた。漆黒の瞳がウェイルを見つめる。

「ま、悩んでたってしょうがないのは解ってるんだけどな」

 ウェイルは気分を切り替える為に自分自身にそう言い聞かせると、少女の方へと向き合った。

「ふぃー?」

 自身を真剣な目つきで見つめるウェイルを前にして、少女は首を傾げる。どうやら疑問を感じたときに首を傾げる習慣は人類にとっては本能レベルで決まっている仕草らしかった。

「ふぃー? じゃないっての。ホント、何者なのキミは。名前も解らないしさあ……」

 って、そもそも名前なさそうだなあ……。ウェイルは見落としていた事実に気付いて少なくない戸惑いを覚えたが、だからといってどうしようもない。

「しょうがない。しばらくキミは名無しさんかな」

 ウェイルは苦笑を浮かべながら少女にそんな言葉をかけた。拾ってきた犬ではないのだから、自分が名前を付けてあげる、などと思えるハズもなかった。

 それからしばらくして、一人分の足音と、一羽分の羽ばたきが聞こえてきた。それに気付いて、ウェイルはその場で立ち上がって手を振って見せた。相手の方もそれでウェイルに気付いたのか、やってくる。

「待たせたな。カタナから聞いたが、また随分と面白そうな事になっている様だな?」

 やって来たのは、身長二メートルに届こうかという痩躯長身の男で、だぶついた黒のロングコートを着込んでいた。この見るからに怪しい雰囲気の漂う男は、その名前もまた胡散臭く、グレイ・ハルバードと言う。自称ウェイルの似非保護者である。

「面白そうって……、まあ、グレイさんに言わせれば大抵の事は面白い事になっちゃうんでしょうけど」

 ウェイルはグレイの事を、お父さん、とかパパ、とか呼んだ事は一度も無い。かと言って親父、だとかオッサンだとか呼ぶわけでもなく、何時までたってもグレイさん、と呼び続けてきた。最初は他人行儀だったからであり、今では一定の尊敬を示す為だが、それ以前にグレイ自身が、「怖気がするからそんな呼び方をするんじゃない!」と強く否定するというのもある。

「ふむ、ウェイル、お前既に大分懐かれている様だな?」

 新たな登場人物を警戒してか、少女は再びウェイルの背後に隠れる様にしていた。その様子をグレイはそう評した。

「そう……なのかなあ?」

「ハハッ、お前は子犬だの子猫だのを拾ってくる事はなかったが、まさか捨て少女を拾おうとするとはな」

 グレイはそう言って含みのある押し殺した様な笑い声──多くの場合子供にとってはからかわれている様に感じて気持ちのよくない笑いだ──を上げると、続けた。

「まあいい、私は厄介事に巻き込まれる趣味は無いが、面倒事に首を突っ込むにやぶさかではないからな。巧くすれば得を得る事もあるだろう。なんにせよ、この場に長く留まるのはあまり巧く無い。さっさと帰るぞ」

 促されるままに、三人はグレイが乗ってきた車に乗り込む。尚、カタナは車には決して乗らないという主義主張を掲げている為、一人(一羽)さびしく空の旅と洒落込む事になった。当人に言わせると大空を駆ける翼があるのに、態々狭い鉄の箱に乗り込む等正気の沙汰ではない、という事らしい。



 車が目的地にたどり着くまでの間、車内ではウェイルとグレイがちょっとした問答を繰り広げることになった。

 一通り事情を聞き終えたグレイが、

「で、ウェイル。お前は一体どうしたいのだ」

 と、問いかけたのが事の発端である。

「どう……って言われても……」

 ウェイルは早速応答に困ってしまった。実際、グレイが先刻口にした言葉ではないが、小さい子供が捨てられた動物を拾ってくるとき、大抵はその後どうすべきなのかを一切考えていない物であって、それは今回のウェイルの場合も同様だったのだ。

 なんとなく窓の外に視線をやる。前大戦中に限定核が使用された区域だけあって、何もない荒野の他には、時たま崩れ落ちた家屋位しか目に映らなかった。先程の廃墟の様にそれなりに形が残っている建物の方が珍しい。余計に気が滅入る。

 こういう時、いつもならカタナがウェイルの心情を十二分に察した上で思考の一助となってくれるのだが、残念な事に彼は今大空を駆けている。

 ちらりと隣に座る少女を見てみると、落ち着かない様子で縮こまっていた。ウェイルの手を掴んで放さない。おそらくは、はじめて乗った車という概念に戸惑っているのだろう。

 返答が帰ってこない事を見かねたのか、グレイがバックミラー越しに後部座席の二人に視線を送った。

「常々言っているが、私はお前の親ではない。よって、お前の倫理観や道徳観にいちいちケチを付けるつもりもない。とりあえず、お前がどうしたいのかを言ってみろ」

 グレイの言うこのスタンスは、彼がウェイルを拾ってからずっと首尾一貫して主張され続けてきた物だ。グレイにとっては、お前の人格形成の面倒まで見るつもりは無い、という意思表示だったのかも知れないが、ウェイルにとっては、その教育方針は非常に意味深い物になっていた。グレイ自身の意図がどうあれ、自ら考えさせられる、というのは非常に重たい行為なのだ。

「……、そりゃ、やっぱり……」

 答えようとしてウェイルの言葉がまた止まる。

「守ってやりたいか?」

 ウェイルの言葉のその先を、気恥ずかしさが邪魔をして口に出来なかったその言葉をグレイが安々と形にした。その事がまた、ウェイルにとっては面白くなかった。図星を指されるとそれがなんであれ何となく腹が立つ、そういう物なのだ。特に子供の内は。

 グレイが、慣れた手つきで煙草に火をつけた。一度大きく煙を吸い込み、吐き出す。

「こんな時、真っ当な親がどう躾けるか私は知らん。だが、一つ言えるのは、どんな親であれ、おそらく今のお前を叱るだろうという事だけだ。言葉にすら出来ない生ぬるい覚悟で命を拾ってくるな、とでも言うのだろうよ」

 グレイはそこで一旦言葉を区切り、再び紫煙を深く吸い込んだ。

「だがまあ、今回の場合拾ってきたのは犬や猫ではなく人間だ、それも十中八九訳ありのな。だから私の答えはこうだ。……とりあえず今は様々な可能性を考えておけ」

「それって……」

「その少女を素直にどこぞの勢力に突き出すつもりは、今のところ無い、という事だ」

 その可能性は、実の所ウェイルがもっとも頭を悩ませている点でもあった。この少女はほぼ間違いなく、人権を持たない〈ネクスト〉以上にカテゴライズされる、所謂〈リワークス〉なのだ。しかも、明らかに何らかの厄介な事情が関わっている。

 身元──但し、時代に即した言い方をするなら所有者──が定かでない以上、公権力の保護下に連れて行くのが一番順当なのは間違いない。

 ただし、それにしてはグレイが「勢力」という不特定多数を指す言い方をしたのが気に掛かる。考えがそこまでいたって、ウェイルの顔にこれまでと違う影が浮かぶ。

「ほう、日ごろ洞察力を鍛えろと言い続けてきたかいがあったというものか。感心感心」

「俺の気付いた所が、正解かはわからないですけどね」

「なら答えあわせをすればいいだろう。何が気になる?」

「じゃ聞きますけど、グレイさんは、憲兵以外の何かを想定してるんですか?」

「その通りだ。お前が先程まで居たあの廃墟、あれの正式名称を知っているか? 新中央政府直轄、人類種人工進化計画第四研究所、だ」

 新中央政府とは、前時代、〈オリジン〉達と〈リワークス〉達の対立がもっとも深刻だった時期に、〈リワークス〉達が設立した政府組織のことだ。逆に言えば、これの発足が旧人類と新人類の対立を決定付けたとも言える。

〈オリジン〉達と〈リワークス〉達の対立が始まる以前、既にこの星の政治体制は単一の巨大な統治機関を持っていたのだが、戦争に際して人種間対立以外の要因で必要以上に分裂し、今では「自分達こそが正統な政府である」と主張する組織が乱立するという笑えない状況になっている。

 体一つに対して脳複数、などというのは、太古の昔十メートル単位の巨大な体を持っていた恐竜か、あるいは神経節という脳の代わりを大量に持つ昆虫レベルの話であり、事ここに至って人類の政治組織は相当の先祖がえりを起こしていると言えた。

「戦前、〈オリジン〉達……、今の各政府が大っぴらには出来なかった人工進化計画を唯一大々的に引き継いで続けてきた研究所の一つがアレなのだ。そしてそこに居た正体不明の少女、欲しがる勢力はいくらでもいるだろう。この街は一応は中央東政府の管轄区だが、実際のところは各政府入り乱れて牽制しあう緩衝地帯なのは知っているな? つまりはそういう事だ。その少女が今の今まで発見されなかったのも、大方各政府の犬どもが牽制しあってどこもあそこの調査に入れなかったからだろうよ」

 ウェイル達が住むこの街、ニューデイズは、元新中央政府のあった首都であり、今ではまるでケーキにナイフを入れるかのように中心から綺麗に各政府に分割され、術数権謀の張り巡らされる闇の京の様相を呈している。

「そりゃあ、表向き遺伝子操作が禁止されたとは言っても、実際どこだって裏ではやってるんでしょうけど……、なんでこの子を欲しがる事に繋がるんです?」

「大々的に研究できるのと、そうでないのとは雲泥の差があるものなのだ。今の各政府組織のゲノム技術は、新中央政府が持っていたものの足元にも及ばんだろうさ。なら、彼らの成果を盗み見たいと思うのは至極自然だろう? しかもデータではなく生きた個体サンプルだ。一人しかいない。それさえ押さえてしまえば自分達の所だけが優位に立てる」

「ああ、なるほど……。じゃあやっぱり、グレイさんはそれらの組織にこの子を……」

 その光景を想像して、ウェイルの表情が暗くなった。となりに座る少女がウェイルの顔を覗き込む。

「……そうする可能性もある、というだけの事だ。私は損得勘定だけで動くが、言い方を変えれば得が損を超えない限り、その手の組織と接触する事も無いさ」

「それ聞いて安心しましたよ、グレイさん」

 グレイ・ハルバードという人間がいちいち婉曲な言い回しを好む事を、ウェイルは知っていた。この場合意訳するなら、余程の事が無い限りその少女をどこかに突き出す事は無い、という事になる。

「何にせよだ、選択肢や情報量が増える事は手放しに喜んで良い事だ。今回の場合、その少女次第だが、しばらく様子見、というのが妥当な見解になるだろうな」

 そういってグレイは煙草を据付の灰皿に押し付けた。

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