審判の日 告解 198
私が最愛の画家に想いを馳せてうなだれている横で、浅倉くんが深く嘆息した。
「十六時間て、おまえそれ、ろくに仕事してないだろ。道理でオレ、今月妙に忙しいと思ってたんだよ」
ミズキさんは浅倉くんに向き直り苦笑でうなずいた。
「そうだね。めんどくさい仕事は浅倉にがんがん投げてた。いつ気づくかなって内心冷や冷やしてたんだけど、遅かったね。ちなみにあと一時間は浅倉をどうやって陥れるか、邪魔されないようにするか考えてた」
「ひでえ」
「気がつかないほうが悪いよ。それに、姫香ちゃんと再会してから浮ついて一仕事クレームもらったお仕置き」
「なっ……でも、あれでけっきょく売り上げ増えたじゃないかよ」
ミズキさんが冷たい笑みをみせた。社長の面目躍如とでも呼びたいような顔だ。
「おかげさまで、お客様からお叱りの声をたくさんいただいた上で、ね。だいたい限定盤の告知、あんな長く出すやついる? 正直に、下げるの忘れたって言いなよ」
ぐっと浅倉くんが喉を詰まらせたけれど、すぐさま反撃した。
「っつうことはおまえだってチェック洩れてたってことだよな」
「まあね。リスク管理できてなかったのは認める」
交わされる会話になんだかやっぱり割り込めない雰囲気で、まあそれでべつにいいんだけど、とにもかくにも、ふたり仲良くしてればいいよ、という頗る投げやりな気分になった。
この隙をついて、家に帰るかな。おうち帰ってサンドロの画集みながらゆっくりしよう。もう疲れたよ。
「姫香ちゃん」
私が机においたバッグに手をのばした瞬間、ミズキさんの鋭い叱責がとんだ。
「なによ」
怖気ずに、バッグの持ち手を腕にひっかけてストールを握りこむ。
「どこ行くつもりなの」
いくぶん声は柔らかくなったものの、手綱は自分が握っているとばかりにミズキさんは私の肉体をこの場にとどめようとしていた。
ここで震えたりしたら元も子もない。私に鎖だか綱だかをつけて繋いだつもりでいるならそれは誤りだ。声の調子ひとつで脅されてなるものか。毅然と対応するぞ。
「家に帰る。引っ越さないとならないのに荷物ぜんぜん、まとめてないし」
とはいえさすがに、休みたいとは言い出せない。弱みをみせてはつけこまれる。
「どうせ服と本くらいしか運び出す必要ないくせに。」
その通り。でも、やらないわけにはいかないし、とにもかくにもこの場から離れたい。
無言で見つめ返すと、浅倉くんがじっと私をうかがってからミズキさんへといつもの飄々とした口調でいった。
「今日のところはこれでやめにしとかないか。おまえ、このあと小笠原さんと打ち合わせ予定だろ」
それを聞いて、ミズキさんは腕組みして吐息をついた。けれど、見たこともないほど難しい顔をしている。
心臓が、厭な感じで脈うっているのに気がついた。
やだな。
こういう胸騒ぎは受け入れられないよ。
背後で救急車のサイレンの音が聞こえて、反射的に、どうなるというわけでもないのに窓の外をみた。なんだか、きゅうに外が騒がしくなったような気がした。
「話はやめていい。どうせ平行線だ。でも、姫香ちゃんはここにいて」
「ミズキさん?」
「厭な、感じがする」
それ……。
私も、感じてるんだけど。
彼はそんな私に気がついて軽く頭を揺すって時計をみた。それから机のうえの電話をとりあげて、私を振り返る。
「姫香ちゃん、話してもらってもいいかな?」
「誰と?」
「西野さん」
浅倉くんが怖い顔をしてすぐそばに立った。
その細い身体に俄かに緊張がはしったのはどういうこと。やだよ。なんか、まずい気がする。さっきの緊張感もたえられないと思ったけど、今のほうが落ち着かないってどういうこと?
「浅倉はなにも感じない?」
浅倉くんは眉根を寄せて目を細めた。けれど口を開かない。
「僕が臆病なだけなら、それでいい。でもすこし、変だ。姫香ちゃんが夢をみていたとは思えない。まして、僕がなんで見過ごしてたのかわからない。七人、だ。気づくのが遅すぎたような……」
私はそのときになって、西野さん、という名前にぴんときた。
「ねえ、そのひと、時任洞の荷物を送る場所の? 西野ビルのオーナー?」
「その通り」
「何者、なの?」
ビルオーナーでなおかつ時任洞の権利者だということはわかっていた。私の問いに、ふたりはいったん顔を見合わせて、浅倉くんがひとこと。
「霊媒師」
そう、告げた。意味がよくわからなくて首をかしげると、ミズキさんがこたえた。
「占いもする普通の社長さんだよ」
「……ミズキさんのフツウって、なんか、あやしい感じがする」
彼はちょっと眉をあげて笑った。それでも私が話す気があると受け取って、電話に視線をもどしたときだった。
それが、降ってきたのは。
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