審判の日 告解 193
「姫香ちゃんの家に初めて泊まった日、僕はなんども浅倉に電話した。それこそ三十分おきにね。浅倉はあの日、誰の家にいたのかな。友枝さん、それともマリちゃん?」
マリちゃんってこないだ時任洞にお買い物にきたOLさんだよね。じつは過去に付き合ってたりしたわけ?
浅倉くんは双方の凝視に怯まなかった。が、眉を寄せた苦々しげな表情で口をひらく。
「どっちも行ってねえよ」
「じゃあ、誰?」
にこやかな笑顔でミズキさんが問う。
「誰でもいいだろ、んなの」
「言えないような相手なんだ?」
ミズキさん、こわい。目が笑ってないし、亭主の浮気を責める奥さんみたいな口ぶりだ。しかもこの会話の違和感のなさってどういうこと。
「友達の家だって言っただろ」
そして、浅倉くんは浅倉くんでうんざりした様子で言い返す。たぶん、この言葉はウソじゃない。ほんとに友達の家だろうと理解できた。けど、このやり取りはなんだかアヤシイよ。
「姫香ちゃん、君、ひとごとみたいな顔でぼんやりしてるけど、それでいいの? 僕の知る限り、浅倉は平気で二股三股するような男だよ?」
「ミズキ」
浅倉くんが名前を呼んだけれど、相手は意に介す様子もない。
「まあ、今はたしかに過去の恋人と切れてるらしいからね。それはともかく凄いよね、姫香ちゃんは。それだけ真剣だってアピールされても何も感じるところがない。そんな純粋無垢な姫香ちゃんにあっさり二股かけられた浅倉は今、どんな気分?」
「ミズキ」
その呼び声の不穏さに背筋を凍らせた私と違い、名前を呼ばれた当人は悠然と相手を見つめて口をひらく。
「是非とも拝聴したいね。この約一月の間、浅倉がなにを思っていたか。特に昨日のことなんかをね」
昨日ってそれ……。
投げかけた視線を無視し、ミズキさんが語りはじめた。
「昨日の姫香ちゃんはお祭りの日のくす玉みたいに可愛かったよね。僕が選んだ着物、よく似合ってたでしょ。ちゃんと脱がせられた?」
「ミズキさんっ」
「僕だったら紅絹の襦袢を着せたままでするな」
このひと、なに言い出すの。こんなこと言うひとだと思わなかった。ううん、さっき私はそれを知ったはずだ。でも、これはあまりに酷すぎる。人倫に悖るとまで言うつもりはないけど、私が嫌がることを知っていて口にしてるのは明らかだ。
たしかに、着たまましようと言われたよ。断ったけど。無理やり押しとどめたというか何というか。汗やら何やら付着するとめんどくさいし、変に興奮してる浅倉くんをなだめすかすの大変だった。
それはともかく、こうして思い出すだに赤面しそうなあれこれを、ミズキさんに見透かされているのがわかった。彼は私の羞恥を舐めるように味わってから、続いて浅倉くんの表情を盗み見た。
変わらなかった。
不機嫌な顔つきではあるけれど、とくに今の揶揄に反応した様子はない。
それを確かめたミズキさんが顔をうつ伏せて苦笑した。
「なるほど、僕に教える気はないわけだ。けど、姫香ちゃんには昨夜のほうが負荷が大きくて辛かっただろうし、浅倉はその分、愉しんだかもしれないね」
たぶん、私はきっとうろたえたに違いない。ミズキさんはすうっと目を細め、瞳を泳がせた私を見おろした。
「へえ、あたってるんだ。姫香ちゃんは本当に潔癖なんだね。てっきり二人して僕を除け者にして嘲笑ってるか、罪悪感を官能の炎にくべて愉しんでるかと」
「ミズキさん、そういう言葉を私は耳にしたくないの」
喘ぐような怒り声で遮ると、口の端で笑われた。
「もう、いいかげんにしてよっ」
頭にきて声をあげると、横から浅倉くんが口を出した。
「それ、余計に煽ってるから」
「わかってるわよ!」
そう吠えてからミズキさんに向き直ったところで、
「オレはそんなに悪趣味じゃないよ」
しごくマトモな声で浅倉くんが返した。それには、片眉をあげ平然とこたえる。
「それはどうかな。僕から姫香ちゃんを奪い返して嬉しくなかったはずはないよ」
「そういう言い方すると、この人すげぇ怒るよ。自分はモノじゃないって」
飄々と口にされたその言葉に眉をひそめたのは私のほうだった。ミズキさんはそんな私の顔を眺め、ひそやかに微笑んだ。
「そうだね。僕はヒトをヒトと思えない程度には尋常な人間じゃないと自覚してるよ。そう考えると、僕が姫香ちゃんにしたことを思えば断罪されることはあっても、誰かを糾弾する権利はない」
ミズキさん……。
まあ、そりゃ、そうなんだけど。ここで押し倒されて服脱がされて首しめられそうになったのを忘れるわけじゃないけどね。
「そんなわけだから姫香ちゃん、二人とも自分のものだって言えばいいだけのことだよ」
「ミズキさん?」
「浅倉はどうか知らないけど、僕は君に狭隘な貞操観念に縛られて窮屈に生きてほしくない。その必要自体ないと思う」
何を説得されているのか、理解した。でも、次に彼がいう言葉までは予測できなかった。
「うちの前のマンション、桂の家の人間が都内に仕事があるとき泊まる部屋で2DKだけど、君、あそこをアトリエにして住めばいいよ。それで一週間のうち、僕と浅倉に二日ずつ通わせて、あとの三日は君が自由にする。その三日の間はひとりでのんびりするもよし、どちらでも好きなほう、または両方でも呼んで召し使えばいいじゃない?」
「ミズキさん、あの……」
浅倉くんの頤は完全に外れそうになっていた。というか、何を言われているのか理解できていない、したくないと思っているみたいだった。
「三人で同じ家に住むのは事実上、無理だ。姫香ちゃんの名誉に傷がつくことになる。ご両親や親族、友達にもそうは言えないだろうしね。それにそうなった場合、僕は浅倉とうまくやれるか正直、自信がない」
彼はちらりと浅倉くんの足を見た。否、その視線の先を私に示した。それから私にむけて聞いた。
「僕たちのどちらとも結婚する気、ないんでしょ? 選べないんだから」
喉がつまった。
そして、私はなにも、ほんとうに何も返答できなかった。
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