審判の日 告解 194
彼は困りきった私の顔を見ながら、さばさばとした調子で続けた。
「恋愛が十二世紀の発見だとしたら、さいしょは一対複数だ。ひとりの女性と複数の男。ロマンティックラブが生まれるまでは対幻想なんてのはなかったんだから、これだって正しい形じゃないかな。それに、今時たしかに結婚するしないなんて特に意味はないよね。あるとすれば財産の管理と子供の問題だけだ。それさえ揉めないようにしておけばいい。それでいいよね?」
いいよねって、それ。あまりにも短絡だし、それに。
「ミズキさん、私、子供のことは」
「たしかにさっき聞いたよ。僕が言えるのは、これから君が自分のしたいようなセックスをしていけば出産に対する考え方も変わる可能性もあるだろうっていうこと」
悲鳴もあげられず彼の顔を見た。けれど、こちらの非難の目つきにも相手は少しも怯んだりはしなかった。
「君は自分の身体の欲求よりも早くにセックスしてしまっただけだよ。身体が変われば自分の人生への要求も変わるかもしれない」
「それ、女は子供を生むのが自然だっていうアレとどれほど差がある言葉なの?」
声に出しての反論に、ミズキさんは真剣な表情で返した。
「それについてはわからない。敷衍すれば差別的な内容だとは認めるし、君個人に対してもなんらかの圧力をかける言葉だと責められればそれも甘受する。僕は自分の希望を僕なりの観測に基づいて述べてみただけ」
「ミズキさん、それじゃ」
論理でも何でもない。そもそも説得や話し合いでさえないじゃないか。
「一般論みたいなことをいってもしょうがないよ。これは僕たち個人の問題なんだから。僕はできれば姫香ちゃんの子供は見てみたい。生んで欲しい。そのために君が必要だと思うことは何でもする。けれど、画家になることやその他の件で君が子供を生みたくないというならそれは君にしか決められない問題で、男の側が決められることではないと、僕は思う」
私が黙っていると、彼は続けた。
「僕は、子供が自分の分身じゃなくて、まぎれもなく他者だと思う感受性のほうが理解できる。育児はともかく妊娠出産は今現在、女のひとにしかできないし、授乳期間もある。自分の子供とはいえ他者のために自分を犠牲にしてそれができるかどうかは、そのひとにしかわからないことだと思うからね」
浅倉くんの視線を横顔に感じていたけれど振り返ることはできなかった。その間を十二分に意識しながら、ミズキさんはかるく前髪を払ってから続けた。
「もしも君が生みたいっていうなら、どちらが認知するかは子供ができたら考えればいいよ。僕は姫香ちゃんの生んだ子なら浅倉の子であろうと自分が育てたいけどね。僕の子供であるとしたほうが、先々いろいろ特典がついてくるだろうし、浅倉のご実家には大志くんがいるから、彼に処々の権利は集中させたほうがいいと思う。浅倉が姫香ちゃんと自分の子供が欲しいって言うなら、あとは僕と浅倉で養子縁組しておくのもひとつの方法だ」
「ミズキさん?」
「この一月の間、いろいろ考えた結果なんだけど、これが最良の選択じゃないかと思う。違うかな?」
違うかなって。
違うかな、の前に。このひと一ヶ月もの間、そんなことばかり考えてたの?
わからない。謎だ。いや、わからないわけじゃないのかもしれない。そう感じた己をごまかすように頭をふると、
「ミズキ」
浅倉くんがようやくショック状態から回復したかに見えた。
「おまえ、オレのこと殺すつもりだったくせに、そんなんで我慢できるのかよ」
横で聞いていた私がぎょっとした。そういう非日常的な単語を聞きたくない。ミズキさんはそう思った私の顔を眺めながら、平然とこたえた。
「そうだね。殺すつもりはなかったけれど、死ねばいいとはたしかに思ったよ。でも、あれで死ななかったんだから、お互いもう二度目はないよね。それほど間抜けじゃない。それに姫香ちゃんを捕まえておくにはこれしか方法がないし、我慢するしないもなくて、僕は姫香ちゃんの言うことをいい子にして聞くだけだよ」
ええと、その。「いい子」って、それ、どういう意味なの? このひとがどこまで本気でしゃべっているのかが、私にはいつもわからない。否、ほんとに彼はいつも真剣に話しているのだろう。でも、私の理解の閾を越えているのだ。
「姫香ちゃん、君、外してる? むこうで休む?」
私は首をふった。この場からいなくなったら、また自分のことなのに、ひとに決められてしまう。そんなのは、厭だ。
「そうだよね、君はひとに自分の人生を決定されるのは何があろうとイヤなはずだ。でも、君が選ばない限りは僕に思いつけるのはこれがベストの選択だ」
「ちょっと待って。私があなたたち以外の人間と恋愛したり結婚したりするって選択肢もあると思うの」
「それはさせたくない」
ミズキさんが断固とした口調で言い切った。
「させたくないって、私の意思はどうなるの?」
「そうさせない為に、さっきの提案があるんだよ」
「それ、拉致監禁と同じで犯罪だよ。おかしいよ」
「くりかえすようだけど僕は自分が尋常だとは思ってないし、君にもそう言ったはずだ」
浅倉くんに助けを求めようと振り返った肩先に声がかかる。
「それとも、三人で寝たいって正直に言ったほうがよかったかな」
「……っ」
「おまえ」
私の息継ぎにかぶさるように、浅倉くんが頭をふった。それから、
「おまえ、この人にそんなこと聞かせて……」
と、なんだか微妙にずれた声を漏らした。浅倉くんは、自分が彼の欲望の対象になっているという自覚がないんだろうな、と私はずっと思っていた。その証拠のようなボンヤリした言葉に、どうしてかわからないけど笑いたくなった。
実のところ、ミズキさんの欲望に関してはそこはかとなく予期していたし、ある程度は前振りされていたせいで、私はさほど衝撃を受けたわけではなかった。そして、そういう私の判断に、ミズキさんはうっすらと微笑んだ。彼はそのまま、私と浅倉くんをひたと見つめている。それからおもむろに口をひらき、
「悪いね浅倉、僕はもっと酷いことを彼女に言ったよ」
「おまえ、この人になに言って」
「浅倉くんっ!」
私のあげた悲鳴のような制止の声に、ふたりが固まった。
そのことに気づき、なるほど、この場でいちばん考慮されているのは私の感情なのかとおぼろげに察し、ならば今すぐ会話をやめてくれと言いそうになって、それはさすがに通らないかと冷静になる。
ここで声を張りあげて泣き叫べれば、こんな修羅場になる前にどうにかなってただろうさ。
ふと、そう思ったら気が抜けた。
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