審判の日 告解 192

 私が今度こそ真面目に言い返そうとすると、彼はその隙をついた。

「不満そうだね。君と会ってからこの一ヶ月、僕は、今までになく自分が生きてるって感じたよ。苦しくて切なくて、でもこの時間が永遠に続けばいいって無理なことを本気で願うくらい心臓鳴らしてた。どうせ死ぬなら今がいいって、君といるときずっと、馬鹿みたいに思ったりした」

「ミズキさん……?」

 彼は私を見つめ、君は思ってなかったって知ってるけどね、と小さく笑った。浅倉くんはゆるゆる頭をふっている。

「僕は姫香ちゃんに会って、自分がいつも誰かの身代わりをしてきたって思い知らされた。誰かの本当に愛したい人の代わりになれなくて、そういう自分自身をもてあましていたことに改めて気づいたよ」

 彼はそこで、浅倉くんを見た。

「僕は、姫香ちゃんの代わりを上手に出来なかったよね」

 浅倉くんはふたりの視線を同時に受けて、あろうことか、目を背けた。それからそのことに自分で気づいたらしく濁った声で呻いて舌打ちした。そんなことしてねえよ、とは言い返さなかった。ダメだ、この男。たとえウソでも真剣にそう言っとけばいいのに。ほんともう、どうしてそういうとこだけ正直なんだろう。

「そういう僕でも浅倉が不満も言わずにそばにいてくれて本気で感謝してる。だから今になってこんなことを言い出したのは、べつに文句をつけてるわけじゃない。浅倉がしてくれた数々の親切や友情の証の総てより、姫香ちゃんに会わせてくれたことを一番に僕は感謝してる」

 言われた浅倉くんは瞳を大きくして、酷く苦々しげに唇をまげた。でも、やはり一言も返さなかった。そして私はというと、どうしてこのひとはこの顔でそんなことを言えてしまうんだろうと、ため息すら出なくて、ただうつむいた。茶化したいのに、茶化せないじゃないか。

 それでも、この気まずい間はどうにかしたい。したかったから、乾いてしまったままの唇をひらく。

「浅倉くん、私とミズキさんて全然、似てないよ」

 案の定、反論は聞こえず、ミズキさんが顔を伏せて小さく喉を鳴らしてから私に訂正した。

「似てる似てないは、僕たちが判断できることじゃないよね。まあ僕はなんとなく想像できるけど。浅倉にとって僕は、手近にいる、自分が大事にしても拒絶されなさそうな都合のいい他人だ」

「それを、好きっていうんじゃないの?」

 私の問いに、今度は彼らが顔を見合わせた。なんか、まずいことを言っただろうか。

「半分は、あたってるかな」

 ミズキさんが吐息のようにこたえた。

「ただし、拒絶されてもそうしたくなる場合をそう言うんだと僕は思うよ」

 僕が君にしてたようなことだよね、と彼はうつむいて額にかかる髪を指ではらった。

「ねえ姫香ちゃん、僕は君の優しさと誠実さにさんざん付け込んだ。僕が浅倉に片想いしてると君に思わせ、そのせいで君が感じる負い目を利用したし、脅して自分の言うことをきかせるような酷いこともした。それで一時でも、君の恋人でいられたのはほんとに幸せだった。だから、そのことで謝る気はない。僕は十分に卑怯で卑劣だ。そのせいで君に愛されなくてもしょうがないのかもしれないと、今朝、僕はあらためて思ったよ。でも君が、ただたんに僕と浅倉を選ぶのに疲れて逃げるんだとしたら、それは君らしくない惰弱で卑怯な行為じゃないかな」

 浅倉くんが私のほうをうかがった。ミズキさんはその視線を見つめる。無意識に一歩しりぞいた私に、ミズキさんが追い討ちをかけた。

「君、天使のお迎えを渡りに船だと思ってない?」

「そ、んな……」

「ミズキ」

 浅倉くんが、低い声で呼んで続けた。

「そんな正面きってこの人そそのかして通用するかよ」

 ミズキさんの視線が私から外れる。いや、視線だけでなく身体の向きごと変わった。

「自分だって置いていかれそうになってるのに余裕だね」

「んなもんねえよ。ただ、この人を動かすのは太陽を動かそうとするようなものだって教えてやってるだけ」

 一瞬、ミズキさんの瞳が見開かれた。さすがに呆れたらしい。続いて、すごいねそれ、と喉を鳴らした。  

対して、私は当然、笑っていない。ミズキさんにこの調子で理屈をこねられるのは真っ平だ。開き直った彼に、どう反論しても敵わないと知っていた。といって浅倉くんが止めてくれるとも思っていない。彼の意図も読めないし、当たり前だけど今さらミズキさんが怖いから助けてとも言えない。

 それより何より私自身、もうこれ以上、考えたくない。

 あろうことか、どっちかジャンケンででも決めてとさえも、言えなくなっている。どちらを選んでも、私はきっと後悔する。それは何をしてもしなくても後悔するという類の、あの故のない漠然とした不安じゃない。もっと強く、あからさまな、はしたない執着という欲望だ。

 だから、どちらもいらないと言うしかない。言っただけでは逃げ切れないから、他人の手を借りると言われればその通り。

「ねえ姫香ちゃん、あのとき言ったように君と離れたら、僕はほんとにおかしくなる」

「ミズキ、それ、暗にオレに身を引けって言ってるのかよ」

 横から入った言葉に私はただ、ひとごとのように耳を傾ける。言われたほうは平静な顔つきで淡々とこたえた。

「そうじゃないよ。そう言っても無駄なことはわかってる」

「じゃあ」

 身を乗り出した浅倉くんを片手で制し、ミズキさんはすぐさまこちらを向く。

「姫香ちゃんに、ちゃんと本心を言ってもらいたいだけ。僕はもう、誰の言うこともきかない。天使だろうが宇宙人だろうが神様だろうが関係ない。姫香ちゃんがほんとうに僕なんて必要ないって、いらないって言うならそれで納得するよ」

「……納得って、だって」

 だって、じゃない。だって、じゃ。でも、他になんて言い訳すればいいのかわからない。というかもう、本当にここから逃げ出したい。さっきミズキさんとふたりだけでいたときも緊張しっぱなしだったけど、今はもう、なんていうか居場所がない。ここにいるのがツライ。ひとりになりたい。

 かといって、そう言って許してくれそうなひとたちじゃない。

 手が、乾いて冷たい。無意識に強く握り締めていた両手にミズキさんの視線と浅倉くんのそれがかちあって、私は思わずそれをはなし、息を吐いた。気を失いそうだった。

「君ばかり責めてもしょうがないか」

 ミズキさんの注視が私からそれた。

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