審判の日 告解 191
たじろいでいると、浅倉くんがこちらを横目にした。だから家にいてって言ったんだよ、という顔をしているように見えた。そうだよね、ごめんなさいとここで吐き出せればよかったけど、当たり前にそういう余裕はない。頬にはミズキさんの視線が焼けつくようで怖い。怖いというか、痛い。
浅倉くんはがりがりと頭をかいて、ミズキさんへと頤をむける。
「オレは自力でつかまえたいんだけど」
「それは僕も同じ」
ちょっと待て。
「ふたりとも、私の意思はどうなるの?」
お互い顔を見合わせて、それは、とか、だってなあ、と口にした。
なんであなたがたはいつでもそんなに仲がいいの?
私が呆れた瞬間、ミズキさんが視線をずらし、言いたくないとでも言うように斜めをむいた。
「姫香ちゃん、初めて会ったときから君は、僕の行為に特別な意味を見出そうともしないくらい平然とそれを受け止めたよね」
そう、だっただろうか。いきなり絵を描けと勧められ個展しろと命じられて、平然としてなどいられなかったはずだけど。
とはいえ、彼の言うことに一定の理はあった。ふつう、初対面の人間にそんなこと言われて真に受けることはないという意味だとしたら。
彼は私の頭の中を覗きでもしたかのようにくすりと笑い、遠慮会釈なくつづけた。
「君がナイーヴでイノセントな可愛いひとで、そういう君を僕が唆したと言えば通用しそうな話だね。でも、現実はそうじゃない。恥も外聞もなくいえば、何を差し出せば君に代価を支払わせられるのかさえ、僕にはわからなかったよ」
「そ、れは……」
甘えを糾弾されて喉がつまる。確かに、私があまりにも幼かったと思う。そういう私の不明を笑うことなく、ミズキさんが続けた。
「たぶん、それと同じ問題だと思うけど、君は恋愛の主体性がわからないって口にしたよね。けど、恋愛に主体性をもてると信じてるところでもう、君は何にもわかってないし、そしてやっぱり強者なんだよ」
「強者?」
「君がどれほど優しく僕を抱いてくれようとしても、僕の飢えはおさまらない。さっき僕が泣いたのは、君が僕のものになると思って安心したんじゃなくて、どうやっても何をしても、君は僕に繋がれないってわかったせいだ」
「ミズキ」
「浅倉にしても、君はすでに手に入れたものでしかない。さっきの様子を見ればわかる」
「ミズキ」
名前を呼ばれ、彼は三本足の男を見つめ返してきいた。
「浅倉、彼女がつい今、ここで僕に身体を開いてもいいって口にしたのを知っても自分は愛されてるって思う?」
制止の声をあげたのは私ではなくて、浅倉くんだった。よせよ、と一言だけ口にした。私はただ、居場所がなくてうつむいて震えていた。どちらの顔も見れなかった。
「僕は、辱めてるつもりはないよ」
「ミズキ、だからよせって」
「言わないでどうするつもり? 僕は諸手をあげて降参してる。姫香ちゃんが浅倉と寝たいっていえばそれでもいい。結婚したければそれもいいよ。どうせ僕のいうことなんて聞くようなひとじゃない。それはわかってる。だけど、僕をおいていこうとするのは許さない」
彼はそこで大きく息を継いで、頭をはっきりとさせるかのようにかぶりをふった。
「たしかに君は僕を意識的に誘惑しようとしたことはないだろうし、僕が勝手に好きになっただけだ。だから君は自分が僕に対してなんの力もふるっていないって口にするかもしれない。僕の乞いに応じただけで、自分に罪はないっていうかもしれない。でもそうじゃない。そうじゃないんだよ。力をふるおうとしなくても、厳然と、それはここにある」
彼が、何を言おうとしているのか、うっすらと理解した。自分だけ、そうしたこの世界から抜け出そうとするなんて卑怯だと、責任逃れだと、ずるいと罵られているのだった。
「僕は君に会ってからこの一月、自分のペースを乱されっぱなしだ。その責任は君にあるんじゃないって僕だってわかってる。それだけじゃなくて自分が苦しいからというだけで君を追い詰めたりもした。君にはひどい災難だったと思うけど、僕にとってはもうこれ以上ないくらいの災厄だったよ」
災厄というのは私も思っていたよ、と言い返しそうになってやめた。このいつも冷静で、自分のペースを守り抜き他者を振り回すことに悦びを感じるこのひとが、私に振り回されたというのなら、それは本当に「降参」しているということだ。
「……ミズキ」
浅倉くんが鼻のあたまを掻いて、続けた。
「オレ、ちょっと反省する。傍から見るとかなりウザイ」
「浅倉くん」
笑いそうになった気配に、ミズキさんも肩をすくめた。彼自身、わかっていて口にしているのだ。
「しょうがないよ。姫香ちゃんは僕のファム・ファタールだもの」
私はほんとうに頭をかかえていた。天使のほうがまだ、マシなような気がする。今時の歌詞にだって山と見かける。けど、ソレはないだろう。サロメやマノン・レスコー? 世紀末芸術の世界じゃないんだから。あんまりだ。
「ミズキさん、そういう単語を使うのはやめて」
「どうして」
ミズキさんは心底不思議そうな顔で私をみた。これは、怖い。とぼけてる様子がない。
私が固まると、彼はなんのこともないふうに真顔で返す。
「僕は危うく親友を殺しそうになったよ。破滅の階段を転げ落ちてる感じがしない?」
ぞっとして背筋を震わした私の横で、
「オレの不注意だって言ってんだろ。あの階段あぶないんだよ」
浅倉くんが掠れ声で返し、そういう認識をお互いの了解にしたいと願っている私の甘さを非難するようにミズキさんは軽やかにこたえた。
「まあたしかに、落ちたのは僕じゃなくて浅倉だよね」
ええ、それはそうですが。と、口に出せるはずもなく、ひたすら萎縮する私を無視し、 彼は顎をそらして嘲笑した。
「どうせなら、僕が落ちて死んだほうが万事円くおさまったかもしれない」
ダメだ、これは。
「……ミズキ、おまえ、だからよせって言ってるだろ」
浅倉くんの制止の声は先ほどよりずっと弱く、呆れ加減で、手に負えないと思っているのがありありと感じられた。 そりゃそうだ。私もこうまで開き直られてなんて言えばいいのかわからない。
「よさないよ。僕を破滅させてくれるのは嬉しいくらいだ」
破滅。
破滅って、それ。
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