審判の日 悔悛 167

「僕はさいしょ、君に会うのにものすごく警戒した。今思うと予感めいたものはあった。浅倉の様子を見れば彼の想い人だってことはピンときたしね。そうしてガードしてこれ以上なく用心してたはずなのに何もなかったかのような顔で微笑まれて、これは拙いって気づいたときにはもう、手遅れだったよ」

 私は聞いていられなくて顔をふせた。そうしてその声から逃げたことを恥じながら、ここでそれを聞かされる理由を考えようとして、うまく出来ずに息をついた。

 そんな私をミズキさんが見ていることに落ち着かず、これほど視線をコントロールしないひとだったとは知らなかったと驚いていた。いや、そうではなくて、この今だからそうされているのだ。そのくらい、認めて受け入れないといけない。彼は、今まで私を不用意に気詰まりにさせたり、苛立たせたりしないよう、本当に細心の注意を払ってくれていたのだ。それを、私は気づかずにただ「心地よい」というだけで受け止めてきた。そのことについて幾度か考えたことがあるけれど、本当に深く、思いを巡らせたとは思えない。

「ねえ姫香ちゃん、はじめてここに来た君には、僕はこわくて触れられなかったよ。手負いの獣みたいに危なっかしくて、蹲って自分の傷を自分で舐めて治してるのを見てるような気持ちになった」

 ミズキさんがあのとき遠慮がちだったのはそのせいかと、気づかされる。

「君が必死に、相手を責めるのを我慢して、自分のなかだけで整理しようとしてるのを見たら切なくて、なんでもしてあげたいって思ってたはずなんだけど……」

 できなかった。

 そう、つぶやいた。

「君が自分で浅倉を好きって気がついてないならチャンスだと思ったし、邪魔をするのは愉しかった。僕は彼に頼って甘えてたところもあるけれど、僕の心にだけズカズカ入ってきて、自分の領域には入らせないところが酷く憎らしかったからね」

 それは、わかる気がする。

「浅倉くんてけっこうプライド高いもんね。絶対、本心いわないの」

「君にも?」

 小首をかしげられて、私は肩をすくめた。

「言わないよ。ミズキさんのことどう思ってるのかさんざん問いつめたのに、けっきょく一度もまともにこたえてないもん」

 何か口を開きかけた相手へむけて、

「ミズキさんもね。浅倉くんのことどう思ってるのか、本当のところでは語ってない」

 断罪されて、彼は口をつぐんだ。

「私はそれでいいんだけど」

「いいの?」

「いいよ。だって、ふたりのことはふたりのことでしょ。聞こうとしたのは私の安心のためで、または下種な好奇心ってやつで、美しい気持ちじゃないもの」

「姫香ちゃん」

「ほんとはね、ここに来たのもふたりの間でなにがあったか確かめないといけないっていうふうに思ってきたんだけど、やっぱりなんか、それって私のガラじゃないなあって。まあ言いたいことがあるとすれば、お互いもうちょっと賢明になってよってことなんだけど、今までふたりはそうして臆病にやってきて、そのやり方に文句つけたりアドヴァイスしたりって、私の役目じゃないもの。究極的にいえば仲良くしてよって命令したいけど、そうなるために世話焼きするのは真っ平だから、あとは好きにしてって感じ」

「……あいかわらず冷たいね」

 呆れて責められたのではなく、心底感嘆しているように聞こえた。冷たいと言われることには慣れている。だいたい別れ際に聞くものだ。だから別に、それはいい。

「まあね。首尾一貫して、私の見えないとこでやってほしいって気持ちにウソはないみたい。当事者になったほうがいいと思って駆けつけたけど、ふたりのことはふたりのことだっていう気分は抜けない。それは私が触れちゃいけない部分だし、そうじゃなくても、誰にでも他人が踏み込んじゃいけない領域ってあるものだからね」

 それから、うなだれている相手にむけてきいた。

「私に言いたいことがあれば、聞くつもりで来たんだけど」

 顔をあげて、彼はゆっくり立ち上がる。

「帰りなよ」

 ひどくわかりやすい拒絶に肩をすくめると、相手もそう思ったらしく片眉をあげた。

「わかった。今日のところは退散する。浅倉くんの面倒みてあげてね」

 バッグを手にしたところで、上から名前を呼ばれた。あ、と思う間に肩を背もたれに押さえつけられた。突然のことに暴れて足をイスの支えにぶつけて呻くとミズキさんは眉を寄せていったん手を離したものの、私が腰を浮かせると今度はゆっくり、拘束するという意思をこめて見おろし、肩を抱いた。

 これは、逆らわないほうがいいと身体の力を抜いて腰かける。膝のうえにバッグを置いて、いったん顔を伏せた。自分のしたことをよくよく考えれば殴られてもおかしくないのだと覚悟を決めようとして、できなかった。浅倉くんがひとりで出て行ったわけを今さら理解するなんて遅すぎるけれど、でも、やっぱり納得できないのだ。だから、相手がなにか言う前に睨みつけて叱ることにした。

「自分で怪我させたんだから当たり前じゃない。私に押し付けて見ないようにして安心するなんてのは、かっこつけのミズキさんらしくなくてみっともない。浅倉くんだって自分が相手に何しでかしたかよくわかっていいでしょう? 私のところに逃げ込んでくるようなら追い返す」

「君……」

「怒ってるのよ。言ったでしょ? 私が原因で、何もかも悪いっていうならそう言えばいいよ。でもね、それはたぶんチガウことだと思う。ミズキさんが自分との約束を破ったって私を非難するのはいくらでも聞ける。でも、それ以外のことは私に聞かせないで」

「姫香ちゃん」

「自分たちばっかり疎外されてるって思わないでよ。私だって、自分が異物だって思ってるんだから……」

 ふたり仲良くしていたところに分け入ってしまったのは自分だと、私だって思っていた。だから引き返そうとしたのに。

 泣きそうになって、膝においたバッグからハンカチを取り出した。この可愛いだけの鞄にはハンドタオルは入らなかったから。

 ミズキさんが肩に手をおいたまま、腰をかがめて顔をちかづけていた。びっくりして首を後ろにひくと、うなじに手がまわり、そのまま私の頭を支えるようにして持ち上げた。

「口紅の色があってない。どうしたの」

 その問いには苦笑せずにはいられなかった。

「出掛けに気がついたんだけど、天使がきて忘れちゃったの」

 正直にこたえると、瞳を細められた。やわらかな、いつも見慣れたあの微笑に感じられた。

「……キス、したくなっちゃった」

「ミズキさん?」

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