3月25日 135

 斜めに見あげると、眉を寄せて頭をふった。

「焦らしプレイは勘弁して。オレ、絶対泣いちゃいそう。ていうか、これ、マジで外れないんすけど」

「痛い?」

 慌ててきくと首をふった。それからうつむいて目を伏せ、

「たしかにオレ、こんなにちゃんと縛られちゃうって思ってなかったかも」

 そう、白状した。

 瞳があうと、照れたように笑った。

「なんかもう、ほんとにあんたの好きにしてっていう感じ」

 浅倉くん。

 私は、このひとを試そうとしている。

 自分に戒めてきたことを許すのは、彼に甘えているからだ。

「私の身体、どこも変なところってないよね?」

 意味がわからなかったようで、きょとんとしてこちらを見おろしてきた。

「えっとそれ……ええと、誰かに、なんか、言われた?」

 髪が頬につくほど首をふる。

 困ったような顔をされて気持ちが挫けそうになった。仕方ないので少々高圧的な態度で命令することにした。

「浅倉くん、ソファに座って。私がいいっていうまで目、閉じてて。動いてもダメだからね」

「もしかして、脱いでくれるの?」

「違うから!」

 なんだ、と口を尖らせながら、彼はとぼとぼ歩いてソファにすとんと腰かけた。それから目をつむったまま、きゅうにニヤニヤ笑って口を開いた。

「変っていえば、Tバックにはびびった。すっげえ嬉しかったけど。赤い襦袢も鼻血出るかと思ったよ」

 それは、だって、タンガはキモノにラインが出ないようにはいてるだけだ。たしかにあの襦袢はヤバイ代物だとは思ってたけど。そのしたの、昆布巻きみたいなタオルとか腰パッド、気にならなかったんだ。浴衣やキモノでしたいっておねだりする男のひとってなんか色々勘違いしてる気がしてたんだよね。

 ちょっとほっとしたところへ真面目な質問がとんできた。

「自分のセクシュアリティが気になるの?」

「そう……かな」

「かなって、なに」

 妙に恬淡とした顔で問われた。まあ、興味津々とかいた札を貼り付けられても困るのだが。

「それ自体がまずもって謎だと思ってるし、話しづらい」

「どうせだから、オレの口も塞いじゃえば? 命令されれば黙って聞くよ」

 私が彼を、モノのように扱いたいという気持ちを悟られて赤面した。反論を封じ、反応もみせない、ただ都合よく自分の話を聞くだけの存在に貶めておけば安心するという弱気を、すくいあげられた。

「それも、考えてる。けど私、一時間でも二時間でも黙ってるかもしれない」

「じゃあ無理に言わなくてもオレ、待てるし」

 それは知っている。

 逆に、知っているから居心地が悪いのだ。空恐ろしくなるほどに。

 我知らずもれた吐息に、浅倉くんの声が重なった。

「あんたが実は宇宙人だって言われても平気だし」

 私が絶句してどうする!

 彼はこちらを見て、にこにこしていた。目を閉じてと言ったのを忘れているらしい。後ろ手に縛られて笑っている男というのも、冷静に考えると不気味な気もした。そして、乞われるままに縛ってしまった私もまた、病が深いのか。

「……私、中学生くらいからずっと、彼氏イナイ暦ってほとんどないのよ」

「あんたそれ、オレに嫉妬させたいの?」

 顔を顰め、ものすごく不機嫌な調子で問われて、

「そうじゃなくって」

 強い声で否定すると、さらにいぶかしげに目を眇めた。なんでそう、嫉妬深いかなあと思いながら告げた。

「もしかして、すごく淫乱なひとなんじゃないかって」

 そこまで言っただけで、相手は失礼なほど盛大に吹き出していた。

「アサクラ君!」

「や……ごめんなさい。でも、その程度のことでそう思っちゃうって、すげえおかしいっつうか」

「だって、小学生のときに後つけられたり、手つかまれそうになったりって……」

 後ろめたく思う必要はない、と口にしたミズキさんの顔を思い出していた。浅倉くんはすぐに笑い収め、真剣な声でこたえた。

「それは被害者じゃん。たまたま巡り合わせが悪くて、そいつらが子供相手に欲情する変態なんだよ。それは本人にとっちゃどうしようもないことかもしれないけど、現実にやってしまえば犯罪だよ。あんた自分でそう言ってたじゃん」

 宮崎勤事件のことをさしているのだとわかった。あの事件の当時、例の後輩がひとこと、子供相手って卑劣で許せないよね、早く犯人捕まえて欲しいよ、と口にした。まっとうでありきたりの感想を聞きながら、事件の行く末をおう報道に目をむけ耳を傾けてしまう私は一体なにを期待しているのだろうと考えていた。あれってポルノを見てるような気分になることない、と問いかけると、意味がわからないという顔で眉をひそめられた。

 犯人が逮捕されて子供たちの身が安全になることを願うと同時に、「悪人が成敗される」のを待ち望む自分がいた。法学の講義で死刑の是非を問われ、どちらにも手をあげられないでいたはずなのに、私は、かつてほんの少しばかり怖い思いをさせられた相手への復讐心を感じ、同時にそれがその相手じゃないことも知っていて、頭のなかでその顔の見えない犯人をまさしく犠牲の子羊同様に抹殺した。

 否……ちがう。

 私はたしかに怖い思いをした。でも、それだけじゃない。

「それとも何? 男がわざとやらしいこと言うのを、真に受けてやる必要ないことくらい知ってるよね」

 そのくらいのことは承知しているという素振りでうなずきながら、

「でも、誰かにいつでも好きって言ってもらってないと不安な、依頼心の強い、頼りないひとなのかなって……」

「頼りなくちゃだめなの?」

「やっぱり頼りない感じに見えるの?」

「見えないよ」

 浅倉くんがイライラした調子で続けた。

「つうかさあ、それ、誰かに言われたの?」

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