3月24日 夜間 117

 自分には、セックスの才能というのがないのかもしれないと深く危ぶんだ。勉強やスポーツに優劣がつけられるなら、どんなことにだってあるだろう。来須ちゃんにこっそりと、そういうのってアルと思う? と真剣な声で問いつめると、先輩、なんでも才能や運のせいにしちゃ駄目ですって、と呆れ声で叱られた。じゃあ努力なの、と泣きつくと、盛大なため息をつかれた。涙目で見あげると、先輩はわかんなくてもいいんですよ、といつもの言葉でなぐさめられた。

 私は間違っても、あの子を世俗の垢塗れにしてはいけないと女友達に守られるような、純粋培養タイプではない。十分に捻くれているし、ずいぶん耳年増でその手のことに対する勘も悪くなくその証拠に恋愛相談もかなりたくさん受けるほうだ。そう思ってきたはずなのに、彼女はオチコボレを見る目つきだった。そこに愛はあったものの憐憫の情が色濃くて、気落ちするのと同時にすこしばかり憤慨もした。

 けれど、周囲が結婚し出産していくなかで取り残されると、あのときの痛ましいものを見るような瞳を思い出し、彼女が正しかったのかもしれないと嘆息した。自分は何か、女性として、人間として、欠けているところがあるのではないかという不安を思い起こした。

 それとも。

 ほんとうに、ほんとうに好きなひとになら、何をされても気持ちがいいのだろうか?

 そんなことってあるんだろうか。

 今のところ、ミズキさんにされて嫌なことはひとつもないように思う。すごく、気持ちがいい。じゃあ……

 私はそんなことを考える自分に呆れ、小さく息を吐き出した。

 すると、すこしだけ緊張した面持ちのミズキさんと目が合った。

「僕とは、しょうがないって諦めないで、事態を改善しようと試みてくれてる?」

 確認されてうなずいたあと、しっかりと頭を起こして口にした。

「というより、ミズキさんにはあんまり言わないでも先回りしてくれてすごく楽。こんなこと、男のひととは誰とも話したことがないの」

 自分でもおかしくて首をすくめて笑い、

「ミズキさんといると、自分が女でそんなに間違ってなかったかなあって思える」

 彼は薄い唇をわななかせただけで瞼を伏せた。それから顔に手をあてて吐息を堪えるように横をむいた。

「ミズキさん?」

「ん」

 彼は手をおろし、ようやく顔をこちらに戻した。彼が何を思っているのか知りたいと感じたのに、私は自分を見おろす双眸に魅入られたように息をついだだけ。ただでさえ大きくて、黒々と見える瞳が潤んでいて、凄絶に色っぽかった。そそられてどうすると思いながら、いや、それでイイのだと納得し、背伸びして唇にかるくキスをした。

「姫香ちゃん、あんまり僕を煽らないで」

「煽るほど艶っぽいことしてないよ」

 再び背に回った腕をうれしく感じながら、たかがキスひとつでと笑うと、

「ううん。だって僕、姫香ちゃんに感じすぎておかしくなってるもん。白状すると昨日、君が僕の横で寝てる間にひとりでしちゃった。起きたらどうしようって思いながらするの、すごく昂奮した。おかげで、暴走しないですんだから結果的によかったなあって思うくらいめちゃくちゃ敏感になってる」

 泡をふきそうな私をにこやかに見つめ、額にちょんと唇を落とし、

「あ、いたずらはしてないからね。それはさすがに自重したし、まあ触ったら起きちゃうものね。それに、これって意中のひととシーツ一枚隔てて何にもしないっていう騎士道物語の恋の試練みたいだなあって思ったら、それも感じちゃった」

 こんな可愛い顔で、このひと、何をうれしそうに言うのかしら。

「……ミズキさん、あれはオトコが達しない試練なんだってば……」

「あれ、そうだった? でもおあずけされてるのは一緒じゃない?」

 どうこたえようか戸惑った私に、

「僕、ひとりでも楽しめるほうだからおあずけされても君が心配するほどがっかりしないし、姫香ちゃんに焦らさるのはけっこう好き。それに射精やオルガスムスみたいにひとりで達成できることをそんなに重要視しなくてもいいと思うんだよね。排泄行為とさして変わらないことじゃないかな?」

「排泄行為っていうのはわかるけど……でも、ひとりでって……その、ええと、自分がいるのにって思ったりとか」

「ふたりでする性行為と個人の身体的精神的欲望は同質のものじゃないって僕は思うんだよね。そうやって自分の欲望だけ重視してそこで満たされない行為を他で遂行すれば伴侶への背信だけど、それ以外は許容していくしかないんじゃないかな」

 それはもっともですと頷いてもいいのだろうか。裏読みすると、セックスは私とするけど性的妄想のなかでは私じゃないひととセックスしてますと告白されているような気がしないでもない。それを浮気だと断罪するほど大人気なくはないけど、その相手が誰か気になるじゃないか。浅倉くんだったりしたらどうしたらいいの?

「ねえ姫香ちゃん、いま、何か変なこと考えたでしょ?」

「え、ううん、そんなことないよ。至極ノーマルな想像です」

 あわてて首をふると頬を幾度もつつかれた。

「ほんとに? あやしいなあ」

「あやしくないよっ」

 そんなニコニコ子供みたいにしてひとの頬で遊ばないでほしいよ。 

「そう? つまりさ、そういうこと。君が何を考えているか僕に想像できたとしても、それをやめなさいとは言えないよね? いや、言うことはできるけど強制するのは不可能だ。それと同じで姫香ちゃんが絵をかきたいなあってときに僕がセックスしたいなあって思ったら、とりあえずおうかがいをたてて、お互いの妥協点が見出せないなら僕がひとりですますってことで、別に取り立てて君が問題にするようなことではないと思うよ?」

 なんか、前者と後者はまた問題がずれている気がする。でもミズキさんはわかってて言ってると思う。そして、ことばにつまったままの私はうまく切り返せない。というか、あいかわらず頬をつつかれている状態なので気になってよく頭がまわらない。

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