3月23日 宵越 98

 言ってしまうと、なんてヒドイ女なのだろうと自分でもうんざりした。それに、男が、ありのままの自分を愛してくれるだなんて夢物語を信じてはいない。彼らにそれを求めるのは無謀だ。

「うっとうしいし暑苦しいっていうか痛いっていうか、加減がその……なってないって、思っちゃうの。それで、つまりね、そういうふうにイロイロ注文をつけたくなってしまう、どうしてそうしてくれないのって言いたくなっちゃう自分が、凄くすご~く、みっともなくて嫌いなの。わかる?」

 ミズキさんは、じっと、いつもの瞬きの少ない両目で私を見つめていた。わかるともわからないともこたえてくれないくせに、それは包み込まれるようで、私はうなだれて目を閉じた。

「その点、ミズキさんは楽なの。はっきりいうと、気持ちがいい」

「楽? 僕はけっこう酷いことしたと思うよ」

 そこは首肯して認めた。あれで優しくしたとだけ言われたらさすがの私も怒ると思う。それでも。

「でもね、ミズキさんが私の絵が好きだって言ってくれて、やりたいならやればいいって言ってくれて、私、ほんとそれだけできっと、バカみたいだけど、生まれてからいちばんうれしかったの」

「姫香ちゃん?」

「初めて会ったとき、なんか知らないけどすぐ絵の話になって、すごくいいと思う、個展を今年の十月までにしなさいって命令されて何がなんだかわかんなくて、なにこのひと、初対面なのにいきなり変なのって……でも、きっと今までにないくらい嬉しかったの」

 彼は黙って、うなずいた。

「私、それだけでミズキさんがしてくれること全部まるまる受け取っちゃうくらい浮ついてた。ミズキさんは私にはいつでもホントウのことで、他のひとにもそれでいいのにすごく構えてて、それが優越感でもあったりして……。それに、一緒にいると安心するの。はじめはゲイだって聞いたからだと思ってたけど、どうやらそれだけじゃないみたい。ミズキさん、ダメなことはダメってちゃんと言ってくれて、疑ったり推し量ったりしなくてよくて、ううん、いっぱい山ほど計算して裏を読んで、それでもなんだか、どうしてか、さいしょに私の絵が好きだって言ってくれたひとことにウソがなくて、信じられたの」

「僕が、正直だったから……」

「誠実だったって言いかえない?」

「それは、君がそうしてたから」

「私、好きだとか愛してるとかいわれても、実感がわかないの。それに疑り深いひとだから、ミズキさんに必要っていわれてすごく安心した。本人の言動と周囲の状況と鑑みて必要っていうのにウソがなくて、ミズキさんが何を望んでるのかよくわかった。それだけじゃなくて、自分のことを見て、愛して、ひとりにしないでってすごくまっすぐにお姫様みたいに訴えてくるから、わかりやすくてほっとする」

「君は、ちがうの? そうじゃないの?」

 真摯な問いかけに、私は肩をすくめた。

「……そういう自分を、変えたいの」

 私は彼の目を見て、告白した。

「オトナに、なりたいの。誰かに可愛がってもらって愛されているだけで死ぬのはイヤなの。もうずっと、誰かから好きだって言われるたびに私、そのひとを好きになれないことが辛くて、自分のことしか愛してない、そういう自分がいやでいやでたまらなかった。でも本当は、自分のことも好きじゃなかったの。だってイヤでイヤでたまらなかったら、それって自分のことが好きなわけでもなんでもないじゃない?」

 ミズキさんは動かなかった。

「家族にしても、社会とか世間にしても、私が望むように愛してくれないって嘆いて恨んでいる自分を変えたいの。彼らは彼らなりに、私のことを認めて大事にして愛してくれているはずで、そのことをわからないままでいたくない。または、その齟齬なのか落差みたいなもの、それがなんなのかちゃんと考えるようになりたい。どうしてそうしてくれないのって満たされないって嘆くのは、与えられるものでしか自分を判断できないからで、世界を変えることは難しいからいつまでも欲求不満じゃない? でも、自分なら、どうにかこうにか変えられるかもしれない。というか、もう、そうじゃないと生きていくこと自体がキツイの」

「……どうして、じゃあ」

「生きてるほうが楽しいからよ。それだけ。まだまだ見たいものもたくさんあるし、かきたいものも山ほどある。ほんとにそれだけ。死んで見られる保障もないし、少なくとも絵をかけるとは思えない。紙に線をひいて形をつくる、ただそれだけのことが、私にはすごく大切で、幸せなの」

 私は吐息をついた。ほんとうに、なんでこんなことがこんなに楽しいのか、やめたくないのか、それは自分だってわからない。

「今までは、それを認めることができなかった。気持ちいいしいくらでも時間はつぶせるし、でも、何の役にも立たない自分ひとりの世界のことで、もちろんプレゼントすると友達はみんな喜んでくれたけど、でも、それがこの世にあることがどんな意味をもつかもわからなくて、ただ自分がそうしたいからっていう理由だけの小さな、すごく小さな世界にとどまっていた。でも、ほんとは違う。私は好きな絵がいっぱいあって、いろんな画家から影響を受けて、私なんて大したことないっていうのはよくわかってるけど、でも、なにかを過去から引き継ぐだけじゃなくて、なにかを未来へ渡せるかもしれない。そんな大それたことができなくても、自分はそういうつながりのなかにいて、それで絵をかいてるってことがやっと、わかったの。ほんとにやっと、消極的にじゃなくて、この世界を愛してるって思えそう」

 ミズキさんが、困惑しているように見えた。

「僕がその……」

「私の絵が好きだって、私に絵をかけって言ってくれただけのことで、なんだか私、すごくキモチヨクなってしまったみたいなの」

 笑い声で口にしたのに、彼はまだ、なんだか難しい顔で悩んでいるようだった。

「でも姫香ちゃん、今までだって君の絵が好きだっていうひと、たくさんいたでしょう?」

「そうね、絵本の賞に送ればって言ってくれるひとも確かにいたけど、なんかミズキさんは、そういうひととは目つきや思い入れがぜんぜん違った。あとはタイミングもあるし……それと、そのほうが『いい』って言ってくれたから、かなあ」

 首をかしげられた。

「幼稚園のとき、絵をかくと苛められたのよ」

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