3月23日 宵越 97
「浅倉は」
疑問形なのかわからないものの、気にしているならこたえようと思う。
「浅倉くんは、私じゃなくてもだいじょうぶ。飛び降りたり首吊ったり夜の高速むちゃくちゃ飛ばしたりしなさそうだから。ミズキさんは、なんかやらかしそうで不安なの」
「それが、理由? それは僕が生きてけないって脅したからだよね?」
すなおに、うなずいた。
「ねえ姫香ちゃん、どうして浅倉はだいじょうぶだって思うの」
「だって、しぶといもの。あのね、ミズキさんは誰とでも付き合えるって感じじゃないけど、浅倉くんは誰とでも平気なタイプだもの」
彼は黙ってそれをきいた。それから、私のグラスに残りのワインをつぎたした。
「飲んで」
うながされて、とりあえず干しあげた。その間に壜をはこんできて、どこか性急に見える仕種であけていた。テイスティングする顔つきになったのはただ、いいかげんに転がしておいたワインの味を確かめるためのようだった。
「それも、飲んで」
新しく注ぎいれられた紅い液体を見る。そんな次々、飲めないってば。
「姫香ちゃん、君は酔っ払うといいよ。今までお酒で失敗したことないでしょ」
ないのがひそかな自慢なのだと無言で眉を寄せると、きっぱりと宣言された。
「そんなの人生すごく損してる」
「ミズキさんがそんなこと言うなんて……」
「もどしても何しても僕が面倒みるから、いちど醜態をさらしてみるといい。絶対に気持ちいいから」
「そんなのできないよ」
「酔ってるところを手込めにしたりしないから、安心して」
「でもっ」
ミズキさんの目が真剣で、思わず声があがる。すると彼は、こちらの肝が冷え冷えとする妖しいアルカイックスマイルで口にした。
「姫香ちゃん、僕にはもう、痛むところはないんだよ。ほぼ初対面で浅倉への片想いも話してしまったし、家族のこともEDの件も聞いてもらった。あとはもう、君のことだけだから」
言い切られて、言葉を探しあぐねいていた。
「……どうして僕なの」
「ミズキさん」
「理由なんてわからない、なんていうタイプじゃないことは承知してる」
グラスを空にした。とりあえず酔っとけ、という自棄な気持ちがした。
いい飲みっぷりだね、とミズキさんが目を細めてついでくれる。気がつくと、だいぶふたりの距離は縮んでいた。注ぎ返そうと壜を手にしようとすると、女のひとはダメ、と違うワインを次々に同じグラスに注ぎいれるくせに、今さらなマナーを口にした。
「ミズキさんの顔が好きだからっていうんじゃ納得しないよね?」
「それはよかった。これだけは母親に感謝しないとね」
げんなりされるかと思えば満足そうに微笑まれ、姫香ちゃんが面食いなのは知ってるよ、ときた。しばらく、お互い無言で見つめあう。私が先に視線をはずすと、彼はまたしてもグラスを煽っている。ひとりで二本ちかく空けても様子はちらとも変わらない。
「ミズキさんて酔っ払わないの?」
「この程度じゃぜんぜん。派手に踊るわけじゃなし、夜通し飲んでても平気」
いかにもパーティピープルらしいせりふに呆れるを通りこして嘆息した。これは相手が悪いや。
「質問を変えようか。君、今日まで自分が浅倉を好きだって知らなかったんじゃないの?」
「そうじゃなくて」
声が細くて、ぞっとした。血の上った頬で否定してもしかたない。
「ミズキさん、そうじゃなくて……浅倉くんのことは、いいの」
「いいってどういう意味」
やや苛ついた声に、私は顔を伏せた。これはもう、言うしかないのだ。
「浅倉くんはほっといても、私のこと好きだから、いいの」
驚いた顔はされなかったものの、表情は読めなかった。読めなくて、でも、それでいいと思った。こんないやらしいことを告げるのに、どう思われているか想像できたら続けられない。
「それでべつに、もしもいつか私のこと好きじゃなくなってもいいの。好きでいてもらったほうがうれしいって実はこっそり思ってるけど、でも、姑息に引き止めようと努力しなくても平気なの。なんていうか、浅倉くんはあのまんまで、ぜんぜん、それでかまわないの。私がいてもいなくても、浅倉くんはああいう感じで、だから……」
彼はこちらをうかがうように瞳を向けて先をうながした。
「浅倉くんはそんなに心配じゃないの。友枝さんとだって付き合えるし、他にも、あれでけっこうもてるの知ってる」
さっきの「マリちゃん」だっているし、あんまり心配じゃない。
「でもミズキさんはもてても、身持ちが堅いというかストライクゾーンが狭いというか……」
浮気したら殺すから、または殺してもいい、なんて口にするひとがこの世にホントウにいるとは信じられなかったのだ。いや、みんなほんとはそういうことを口にしてるんだろうか。あ、妻を殺しちゃうDV殺人とかそうか。でもなあ、私には現実感ないんだけど、あるところにはあるんだろうなあ。
「まあ、そうだね。僕は良くも悪くも貪欲だから、深く、一人の相手と何もかも分け合いたいっていう気持ちが強い。たしかに浅倉は女にだらしないけど、というよりあのニンフォマニアは本命と事が遂げられないっていう欲求不満のなせる業としか思えないよ」
喉をつまらすと、彼はこちらを流し見た。
「男の場合はそう言わないか。色情狂っていうより不感症じゃないかなって。浮気性とも女好きとも思えないのに半年もたないんだよね。君ならきっと、そうじゃないと思うよ?」
そんなふうな思わせぶりな言い方をされて、でも、それをここで肯定しても意味がないことを私は知っている。
「それはどうかしらないけど、彼はなんていうか、私に妙な幻想をもってて、あれ、すごくうっとうしい」
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