3月23日 夕刻 91

口を出た問いかけの大胆さに驚いていると、相手はさほどのことではないようすでこたえた。

「となりで寝ててほしいひと」

 私が沈黙をたもっていると、

「姫香ちゃんて男の子みたいに寝相わるくてゴロゴロして布団はいだりして、見てると飽きなくて面白かったよ」

「ちょ……やだ、見たのっ」

 うん、と悪びれる様子もなく頷かれていた。襖開けられれば絶対に目を覚ますと思ってたのに……私が声をなくしていると小さな吐息が落ちた。

「君、僕がすぐそばで寝転がってもぜんぜん起きなかったよ。もちろん音は立てないように気をつけたけどね。あれ見ると、夜中わけがわからなくなって外に飛び出したくなることはないなあって」

 どう返そうか迷ったところを、いなされた。

「まあでも、それももうやめるよ」

「ミズキさん」

「僕は築地の家に、自分の愛するものだけ置いておきたかった。祖母の思い出と浅倉と、それで君がいれば完璧だ。君たちを両親のかわりにしてるつもりはないって言ったけど、それはただ、性的な関係を取り結びたいっていう気持ちがあったから否定しただけで、それをのけてしまったら違うと言い切れない。浅倉はともかく、君に対してはもうはっきりと、僕を愛して欲しいっていう気持ちだけ。僕だけを見て気にかけてほしい、君の邪魔はしないから君のいうとおりにするから、だからどうか僕を捨てないでっていう……これって自分が小さいころの母親に対する態度とそんなにかわらない」

「でも」

 私は、なにを言おうとするのか。

「けっきょく僕はそれに疲れて、母を無視する。いや、ギリギリ最低のラインで、どうにかこうにか親子でいられるようにふるまう。ネグレクトされたのをただ同じように仕返してるんじゃないかって思うこともある。僕はあした電話をいれて母におざなりに謝罪し、桂の家には適当に返事をする。そういう繰り返しだ」

「私、でも、お母さんじゃなくておばあさまに似てるんでしょ? だったらそこは微妙に違うんじゃない? おばあさまが、自分のお母さんだったらよかったってこと?」

 彼が、わずかに間をあけた。

「……祖母は、僕の理想だったよ」

 憧れていた。そう続けた声は熱かった。

「僕、幼稚園のころ、大人になったら本気で祖母と結婚したかったんだよね」

 それから、孫じゃなくてもお断りだってけんもほろろに言われたけどと、とても残念そうにつけたした。

「ミズキさんて、実はけっこうふられまくってるタイプ?」

 遠慮のない言葉に、彼はすなおに応じた。

「その通り。こんなにいい男で相手に尽くすのに、なんでだろう」

「性格が悪いからじゃない?」

「君に、言われたくない」

 憮然とした言い返しにかるく声をあげて笑っていると、

「僕の精神分析はもういいよ。こんなふうに電話をかけてこられると、自分に都合のいいように解釈するよ?」

 つまりはちっとも自信がなくて、都合のいいように解釈していないと自ら暴露する正直さに免じて、私も思うところを述べた。 

「ミズキさんと、結婚を前提におつきあいする方針をかためてみたんだけど」

 一瞬、電話が切れたかと思うほど相手が遠ざかった。もしもし、と声をかけると、まだ、躊躇している。

「姫香ちゃん、それ、どういうこと」

 ようやくこちらに届いた声はやたら疑り深く、ものすごく低い。耳に心地いいあの甘いテノールは聞こえない。これが、彼の本気の声だと骨身に沁みた。

「言葉どおり」

 私もたいがい色気のない。すこしはどぎまぎしたりすればいいのだが、それは私の流儀じゃない。ついでだから、さっきはうやむやに聞き流したことを問いつめる。

「浅倉くんは、どうなの?」

「それは僕が尋ねることじゃないの?」

「先にこたえて」

 私には浅倉くんのように相手の気をそらす技量がなくて、なんだか正面衝突の様相だ。ミズキさんはもう、表向きのソフトな印象を払拭している。私も無言の圧力に動じることもないので、遠慮なく問うことにした。

「ともかく、の次を聞きたいの。彼のほうが好きだっていうのなら、私はやめる。もちろん、浅倉くんともつきあわない」

 なんだか呆然としている気配を感じながら迫る。

「そこは、はっきりして」

「どうして」

「あとでやっぱり浅倉くんのほうがいいって言われたら目もあてられないじゃない?」

 自嘲とともに問い返す。すると。

「……無理しなくて、いいよ」

 しっかりした声だった。私よりよほど、落ち着いていた。彼はすこし長く間をとってから、いつものやわらかな声で告げた。

「僕はそれこそ脅しつけてでも君が欲しかった。でもね、それはやっぱり無理。今ここで僕と一緒になるって口にしても、君はそれを守れないよ」

「どうしてそんなこと言うの」

「だって君、僕より浅倉のほうが好きでしょ?」

「それは」

「いいから。彼と幸せになりなよ」

 ちっとも、ちっともいいって思ってないくせに、その声はそう聞こえない。

 ずっと、そうやって生きてきたのだという身ごなしは、ひとの関係に線を引き、自分で鎧を着込み、傷つけられる前に相手をぶちのめすやり方によくあらわれている。ただ、その方法があまりにも洗練されすぎていて斬られた相手がそれに気づかないほどなのか、こないだみたいに逃げ場なく追い詰めひたすら重荷になるほど迫るかの違いだ。

 ミズキさんには中間がない。線を引きすぎる。いるかいらないか。大事かどうでもいいか。ふたつしか、選択肢がない。

 そうじゃないだろう、と言いたい。でもそれは、いらないと決めた相手から言っても伝わらない。どうしてそれがわからないのと今、言っても通じない。通じないから……。

 しゃくりあげる嗚咽の苦しさに、ミズキさんが困ったように。

「君を泣かせると浅倉に怒鳴られる」

 笑いにまぎれた慰めの声に、

「……ミズキさん、じゃあ、ここに来なよ」

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