3月23日 午後 84

それは彼がEDで、いざとなっての自信がなかったからだと思うけど、言う必要がないことは言わない。それに、ここでやっと懺悔話が一巡だか二巡して、とにかくツナガッタと気がついた。

「浅倉くん、それこそ家父長制盛んなルネサンス時代の貴族の娘でもあるまいし、処女性や肉体は、その家族や夫の財産じゃないと私は思うのね」

「センパイ?」

 声が裏返ってるな。目を白黒させているに違いないが、私はそれを無視することにした。こっちにも、勢いというものが必要なのだ。

「かといってじゃあ、それは本人が管理して使用する資産かっていうとそれも消費社会に毒されてる感じで妙じゃない? でも、前もいったけど、お姫様が冒険の報奨に英雄にもらわれていくっていう、そういう側面が今の現実生活でもないとは思ってなくて、私自身、それは意識することがある。これだけしてくれたからそれを譲りましょうっていうのも、実際にそういう風に感じることがあるからまた困るんだけど、でも、私にも性欲はあるの。どうやって比較するかわかんないから正確なところは謎だけど、きっとフツウに、あるの」

 返答なし。まあ、ここは絶句するところだろう。

「浅倉くんが何をこわがってるのかはわかる気がする。でも、自分の誇りや名誉は自分で守って維持したいと思ってるし、酷いことされれば生きてるかぎり自身で復讐するぞくらいの、あんまりこの社会では認められないような妙な覚悟はあるの。女のひとっぽい考え方じゃないけど、でも、私はそういうひとなの。子供の頃になりたかったのは、なにを隠そう王子様だから、ね」

 数秒の余白のあと、

「……センパイやっぱ、かっこいいこと言うよね」

 そう続いた掠れ声には、笑ってしまった。

「母性とか女性性とか全然なくってすみませんね」

 皮肉っぽく返すと、ちょっとまた間があいた。鼻をすするような音に続いて。

「や、オレにとってはマジで、お姫様なんすけどね」

 そうくるか! 

 もう、ほんとに今の話の流れをちゃんと聞いてたの?

「わ、怒らないで。や、怒ってもいいけど、言われるのヤなの知ってるんすけど」

「……聞くほうが恥ずかしいよ。年、考えようよ」

 王子様といった自分自身を棚にあげて呆れていると、意外なほどきっぱりと口にされた。

「年齢は関係なくて、女の人は年取ってもずっとお姫様だってオレのじいちゃん、言ってましたよ。だから、ちゃんと女の人がお姫様でいられるようにしろって」

 おじいさまの言葉となれば、否定も反論もしようがないじゃないか。浅倉くんはきゅうに気分が浮上したようだ。

「うち、父親もじいちゃんも婿養子なんすよ。昔は羽振りがよくって、ばあちゃんほんと乳母日傘のおひいさまで、じいちゃん丁稚奉公からのしあがってっていう関係だったらしいっすよ。姉貴もけっきょく婿とったようなもんだし、大志だけは例外で、って今はそれは関係ないか」

 おばあちゃん子だとは聞いていたけれど、そうだったのか。だいたい星座とか血液型より、家族兄弟関係で性格見分けるとあたるよね。

 そんなことを悠長に思っていたところで、彼が続けた。

「オレ、あんたにはオレのばあちゃんみたいに年取ってもらいたいんだよ。死ぬまでずっと綺麗でわがままで間違ったこと大嫌いで、じいちゃんが下にも置かないって態度で大事にしたからさ。女の人って苦労が顔に出るよね。病気とか介護とかそういう不可抗力みたいなものならまだしも、男で苦労すると、見てらんないっつうか」

 その、見てられない相手が誰なのか考えようとした瞬間、 

「でも、センパイの口から、性欲があるって聞く日があるとは思わなかった……」

 どうもアサクラ君のひっかかりどころというのはいつもズレてる。

「オレ、今なんかやっと、年取ったって感じたかも」

 バカだ。

 こちらが無言でいると、電話のむこうで、妙にひとりでどぎまぎしている様子が伝わってくる。なんか、アヤシイ。

「もしかして、ひとりエッチとかもする?」

「あ、お客さま来られたから、じゃあね」

 涼しい声で、電話を切った。

 ほんと、バカだ。大馬鹿だ。どっかにほんと、穴ほって埋めてやりたい。なんでああすぐ調子に乗るんだろう。

 懲りずに、携帯電話が鳴っている。ウルサイ。でも、とりあえず後味が悪いのはいやなので出ることは出よう。

「……センパイ?」

 うかがうような声音。

「なに」

 冷然と問い返すと、すぐにも謝罪するかと思えばこちらを詰った。

「お客さんなんてうそでしょ。なにもソッコウで切らなくてもいいじゃん」

「言うのはそれだけ?」

「恥ずかしくて照れてるわけじゃなくて、ほんとにヤなの?」

 神妙な様子で問われて、思わず額に手をあててため息をついていた。

「だったらスミマセン。ごめんなさい」

 早々に尻尾をまいている。だったら、

「どうしてそういうこと言うの」

「どうしてって、すごく興味があったから」

 謝ったわりに、悪いと思っていないのは見え見えだった。だめだ。私は頭をかるくふって態勢をととのえようとしたところで反撃がきた。

「なんでヤなの」

 声が、ありえないくらいの真剣さで届いた。

「恥ずかしいから、昼間の仕事場だから、ひとりエッチに抵抗あるから?」

 たたみかけられてうろたえていると、さらに追い討ちがかかる。

「オレ、あんたを気持ちよくさせたいの。電話だと顔もなんにも見えないし、判断材料がないんだよ」

「ちょっと、アサクラ君」

「そういうの、人によって違うから」

 ずいぶんいろいろ知ってるんだ、という嫌味が口から飛び出しそうになり、あわてた。すでにもう、彼のペースだと気がついて、なるほどこうやって丸め込むのだと感心する。

 一息、肩で大きく呼吸して。

「その話はまたにしないって言ったよね?」

「聞けないよ、それ」

 不満そうに口を尖らしているのが見える気がした。浅倉くんがヘテロなのかバイなのか、私にはわからない。思春期の頃は異性じゃなくて同性のほうが慕わしく感じることはいくらでもあるだろう。でも、じゃあ、言ってもいいだろうか。

「私、男のひとを自分からちゃんと本気で好きになったこと今までないの」

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