3月23日 午後 81


「ごめん。オレ、ほんとにすっげえ小心者なんだよ。本人に許してもらってないようなことなら、あんたに言えない。そいつ今はブロンド美人と結婚して子供もいて子供の頃の夢叶えて稼いで人生順風満帆で、オレが最初に勤めた会社潰れたときすぐ連絡くれて、もうそのときで和解してるっつうか」

 頭の中でいろいろなことを組み立てようとして、できなかった。男の子。オトコノコか。ひとつの予想は消えたな。自殺未遂。セックス。断片を拾い集めようとしていると。

「オレ、ほんとにあんたにだけは嫌われたくなくて」

「浅倉くん、あの、じゃあどうして……」

「そいつがもう気にしてないって、それ、小学生のときから知ってるんでうそじゃないってオレにもわかるんだよ。オレがあんなことしたのに」

「ほんとは何したの」

 私の問いに、浅倉くんが笑った。嫌な、馬鹿にしたような笑い方だった。

「女の子相手には絶対できないようなことって言ったら、わかる?」

 浅倉くんは、よくよく私を黙らせるのが上手だ。

 くぐもった、低い、笑い声が続いた。泣き声と笑い声の区別さえ、つかないのかもしれないと考えていた。

「そいつん家すごく立派な洋館で、部屋がいくつもあって、オレんちもけっこう大きかったけどうちと違って小洒落てて、そいつ高校生にもなってまだ家では親のことママって呼んだりして、書斎にずらって洋書が並んでてさ。でもオレ、そいつが高校来なかった日もぜんぜん普通にしてて、ましてやその親に呼び出されて、学校さぼってるらしいんだけど何か知らないかって聞かれたときも知らないって首ふって、昼は女の子とつきあって、それで夜は平気でそいつに」

「浅倉くん」

 独白を遮ることができて、ほっとした。聞きたくなかったという気持ちもあったけれど、言うべきことがあったのだ。

「好きだったんじゃないの、ただ、たんに」

「それは向こうがオレのこと」

「うん。だから、そのひとのほうがオトナだったんじゃない? 浅倉くんの我がままを許してなんでも好きにさせてくれたってことでしょ?」

 あ、とか声をあげている。馬鹿者め。

 ほんとにバカだ。

 どうせだから虐めてあげよう。

「そのひと、ミズキさんに似てるんだ」

「や、それは……」

 おお、困ってる、困ってる。

 うろたえている様子を楽しみながら、はた、と気がついた。話のさいしょで、浅倉くんは自分自身でそこまで知っていた。

「なんでそのこと、私に言わないとならないの?」 

「そいつが許しても、オレが、自分自身のこと許せないからっていう理由じゃダメ?」

 声が、はっきりしていた。

 いつもの、つまりはミズキさんいわく、実は計算してるオトコの声だった。

 なるほどね。

 お客さん、来ないなあ。

 っていうか、これ、電話で話す内容か? いや、でも、向きあってたら聞けなかったかもしれないな。臆病な自分を確認したら、合点がいった。

 そうか。

 けっきょく、私のことなのか。

「……浅倉くんはなんか、私のことを勘違いしてるよね」

「センパイ?」

「なんかすごく、壊れ物みたいに思ってる」

「違うの?」

 首をふった。頬にかかる髪を耳にかけて、私はひとこと。

「人間みんなコワレモノだよ」

 自嘲とともに、吐き出した。死ぬし腐るし生きてても折れたりもげたり血が出て傷が治らなかったりする。見える傷だけじゃなくて、心だか魂だか知らないけれど、見えない傷も負うことができちゃうくらい、コワレモノ。

「オレ、あんたに許して、認めてほしいんだよ。それで、それだけで、オレ……」

 感動的というよりやっぱり卑屈なせりふだなあと頭の隅っこで感じながら、こんな私に自分を委ねようとして、このオトコ、この先いったいどうするつもりだと冷静に考える。人生の選択を誤ってるよ。

「それがミズキさんじゃダメな理由はなに?」

 虚を衝かれたのか、しずかになった。

「浅倉くんの才能とか情熱とか、彼はよく理解してると思うよ。なんなら、彼とだってセックスできるんじゃない?」

「や、それ、は……」

 さすがに今の質問は不躾だっただろうか。

「無理? 私はそのへんのところよくわかんないんだけど、仕事とプライヴェートでべったりできたら最高じゃない?」

「それ、あんたにとってオレはなんのメリットもないからいらないって意味?」

 返す刀で弾かれたというところか。冷たい声でなかったことが、ひどく、落ち着かない気持ちにさせた。

「ミズキなら、あんたの夢叶えるのに好都合だものね」

「浅倉くん」

「いいよ、べつに。そういうこと考えて当然だから」

「そうじゃなくて、それは芸術というものをなめてるよ。パトロナージュがあろうとなかろうと」

「でも、あったほうがいいだろ?」

「それはもちろん」

 なんでか、笑われた。現金すぎるから? 馬鹿にされた風ではなかったものの、気に障る。その苛立ちのまま問うてみた。

「だいたいね、私が許すとか認めるってひとこと言っただけで、かんたんに救われちゃったりするのって変じゃない?」

「ていうかオレ、あんたの何もかも欲しいの。それでこの先ずっと、オレにあれこれ指図してもらいたいんだよ」

 なんか今、すごく変なことを聞いた気が。

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