3月23日 午後 80
「でもじゃなくて。オレのことだってわざと振り回そうとはしてないじゃん」
「ふりまわしてはいるみたいだけどね」
我が事なので、断言は避けた。かるくいなされるかと思っていると、
「この程度でそう思うから、オレ、困るんだよ。オレが無茶苦茶するとこの人大丈夫かなってすげー心配なんだけど、ミズキ相手にぜんぜん怯んでないとこ見ると、やっぱオレが思ってる以上に強いんだなって」
「ミズキさんの場合は」
「あいつが惚れてるからだけじゃなくて、見てるともう、勝敗ついてるもん。あのプロデュース好きの奴がぜんぜん手出せなくて右往左往してるの見ると、けっこう笑える」
それはなんだかなあと笑いかけて、その耳に掠れ声が響いた。
「高三のとき、オレのせいで友達が死に損なって」
油断していたわけではないものの、浅倉くんの呼吸はいつも読めなかった。気をしっかりもたせようと頤をひく。
「センパイ、大丈夫?」
こちらをうかがう声は普通だった。そのことが、なんだかこわかった。
「オレね、人間て簡単にとは言わないまでもやり方によってはどうにかまあ、ある程度は動かせるんじゃないかって思ってるんすよ」
いきなり挿入された独白は、たぶん、彼なりの前置きなのだと察した。
「センパイは、そういうふうに思うことない?」
「……あるといえばあるし、ないといえばない、かな。ただ、浅倉くんがそう思ってるっていうことと、実際この世の法則としてそうかもしれないってことと二つ、否定する材料が少ないとは感じるけどね」
彼は私の苦々しい口ぶりに、なんだか皮肉っぽい、微妙にひきつった笑い声をたてた。
「さっきの話しの続きを言うと、無事なんすけど。制服着てふらふらしてたから飛び降りようってとこで補導されて、受験ノイローゼってことで始末されちゃったんすよね。あいつ子供んときから勉強できて頭よくて、ぜんぜんそんなんで悩むことなかったのに東大狙いだったから、まあ理由になっちゃったっていうか。けっきょく、そんなこんなでその年は受験できなかったんすけど」
彼はそこで、ふうっと息を継いだ。
「そいつがそんな状況で、オレの名前出してオレがした酷いこと喋らなくてよかったって、そう思うオレってすげー人でなしだよね」
「そこは普通じゃないの?」
相手が震えたのが、電話のむこうだというのにわかった。私はすう、と息を吸ってから自分の胸が上下するのを感じて続けた。
「悪事の露見を恐れるのはすごくノーマルな人間だと思うよ。法律やら倫理観やらいろいろ照らし合わせて罰がこわいのか、復讐がこわいのか、なんにせよ、そこそこ知能のある人間の自己保存本能としてはフツウ」
浅倉くんがなにか言い出す前にもう一度、大きく息を吸い込んで話した。
「正直、ひとでなしの定義ってよくわからない。それって悪人とかそういう意味なんだろうけど、戦争でひとを殺してもいいってこととか、あ、勝った方からの裁判とか、そういう誰かどうにかしてよっていう割り切れなさと一緒で、人類以外にでも裁定してもらわないとわかんないじゃん。他の動植物を絶滅させちゃったこととかさ。私、べつに人間至上主義者じゃないし、知能があるのが人間だけだとも思わないし、人間を特別扱いしてもらいたい欲求はあるけど、どっから動物で線引きするのは」
「センパイ?」
はぐらかしているわけじゃないのだ。
でも。
うまく、なんていうか、どう言ったらいいのかわからないから。
「とにかく浅倉くんはその、ひとでなしって自分を罵ることで安心しないで、そっから出て、自己嫌悪だけじゃないとこまで進んで考えたほうがいいよ」
「……それ、なぐさめてくれてる」
「そういうわけじゃないよ」
ひどく遠慮がちな声にかぶせて否定すると、はあ、とあからさまにがっくりされた。
それからしばらくほんとにずっと無言で、私はさいしょの十数秒こそなんだかおろおろ心配したものの、柱時計の秒針が一周しても電話の向こうでうんともすんともいわないことで、業を煮やして問いつめた。
「いったいほんとは何したの?」
「せっくす」
思わず電話を取り落としそうになった。イジメか何かと思っていたけど、浅倉くんが友達のカノジョを寝取っちゃって、それを苦にした友達が自殺未遂おこしたの? 友達って、GFじゃない子とそういう関係になって妊娠中絶みたいなことがあったとか?
「浅倉くん、あの」
「オレ、うそつきっぱなし。オレ、絶対そいつがオレの名前出さないって知ってたし。怖くもなんともなかった」
「それもウソだよ」
「センパイ?」
「誰かに知られないってことでは安心してたかもしれない。でもこわくもなんともないってことはないんじゃないの?」
相手の無言を肯定と断じて、続けた。
「自分のやったことが悪いことだって思ってないなら、私に聞かせようとしたりしないでしょ。よく考えてから話しなよ。悪いことしてこわくて苦しいから、だいじょうぶだよって許して欲しいんじゃないの」
「許すって言う?」
「言わないよ」
浅倉くんが息を止めたようなので、すぐに言い継いだ。
「私は神様でも天使でもないから。浅倉くんは話す相手を間違ってる」
「でもオレ」
「浅倉くんが話さなきゃいけないのは、そのひとでしょ。違うかな」
「それはもう、すんでる」
え。
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